お金の代りに「印籠」が動く事件の難しさ 思想信条が動かす事件の難しさ

安倍さんは、「なるはずはないんですよ」

というが、ないはずがあるんですよ、ということもあり、

思想信条への共鳴や支援が事を動かすことがあり、

「日本会議」や、「教育再生機構」という一本の糸でつながれた力が、

働いたとしても、それを証明するのは至難だ。

 

現実の成り行きを動かすことがあっても、

金銭的贈収賄と違って、

法的に検証する難しさ、立証の難しさ。

 

 

祥  * 『日記』 * 09:11 * comments(0) * trackbacks(0)

お金の代りに「印籠」が動く事件の難しさ 思想信条が動かす事件の難しさ

安倍さんは、「なるはずはないんですよ」

というが、ないはずがあるんですよ、ということもあり、

思想信条への共鳴や支援が事を動かすことがあり、

「日本会議」や、「教育再生機構」という一本の糸でつながれた力が、

働いたとしても、それを証明するのは至難だ。

 

現実の成り行きを動かすことがあっても、

金銭的贈収賄と違って、

法的に検証する難しさ、立証の難しさ。

 

 

祥  * 『時事』 * 09:10 * comments(0) * trackbacks(0)

結局のところ籠池さんだけが逮捕・破産の憂き目に遭い 所轄官庁は合法ゆえに問題無しとなるのだろうか

財務省も国交省も、法令に従い粛々と事を進めただけで、

ゴミの撤去は、お金がかかるものだから、

それは正当な金額であるから、

ゴミを撤去しなかったとしても、

そこまで確認する義務は契約上定められていないから、

所轄官庁は、責任がない。

ゴミをきちんと撤去しなかった森友学園だけが悪い。

ということに。

 

大阪府も、森友学園の虚偽申請が原因であっただけで、

認可妥当としたのは、条件付きだし、

それを森友学園が守らなかっただけだから問題ないと。

 

結局、所轄官庁は、

罪には該当することないようになつていて、

責任を負うのは、森友学園であり、

自業自得であるということに、なって終わるのだろうか。

 

そうすると、

所轄官庁の背任容疑は成立せず、

籠池氏個人の詐欺事件としてだけ決着するのかしら。

疑惑の関係者は、異例のことづくめの経過は経過のままに、

法的に問題無しで終わるということになるということもありえて。

 

 

森友学園が、思想信条的にも、幼少者教育的にも、資金計画的にも、

元々問題のある最悪最低の学園だとして、

なぜ、そういう学園の申請が、過剰なほどにトントン拍子に決まり、

事ここに至ったかということは、

問題にならないで終わるのだろうか。

 

お役人も松井さんも、逃げ上手だし、

寧ろ被害者のような顔をしているし、

証拠を残すこともなく、

証人喚問されて法廷に立つこともなく、

これで終わるとしたら、

彼らにとっては、この国は、天国ということに。

 

 

祥  * 『日記』 * 08:24 * comments(0) * trackbacks(0)

国交省と言えば公明党 査定・補助金の決定に関わる

連立与党を組む公明党に用意されるポストと決まってでもいるように、

公明党から、国交省の大臣が多く出ている。

 

今回の国有地払下げ事件で活躍しているのが、

国交省大阪航空局。

その経験に基づいて、ゴミ撤去費用を見積もった。

また、木質化ということで補助金の選定もした。

その当時の国交相も、現在の国交相も、

人は変われど公明党の大臣だ。

 

財務省理財局と共に、国交省が深く関わっている事件であり、

彼らの証言なくして解明は出来ない事件だと思う。

なぜ証人喚問しないのだろう。

真実が白日の下に引き出されるのを拒否しているようなものだ。

祥  * 『時事』 * 03:36 * comments(0) * trackbacks(0)

共謀罪(テロ等準備罪)閣議決定する朝 緊急事態条項も次に来る 

着々と、国民を縛るナチス的改革が迫っている。

祥  * 『時事』 * 20:03 * comments(0) * trackbacks(0)

寄付金があってもなくても安倍首相のご意思があったと籠池氏は認識しているわけで

一方的にせよ、

心と心が一緒だったとまで、

片思い的に思ってもいて、

だからこそ、「しつこい」と言われて、

ショックを受けて、反動的に現在の行動に出てもいる。

(その上に、長年信じていたのに

「保守の人は誰も助けに来てくれなかった誰も」

というのも二重にショックだったのだろう。)

 

それを完全否定するなら、

安倍昭恵さんが、名誉校長を引き受けるべきではなかったし、

相思相愛は、籠池理事長サイドの思い込みであっても、

安倍総理の改憲や愛国心を重んじる教育改革に期待し、

情念的に心酔し、傾倒し、その教育改革の先兵を任じていた籠池氏に対して、

 

安倍首相の側も、講演依頼を引き受け、

自分が行けなくなった時は、お詫びの文を

安倍晋三の名で郵送し、次を約束してもいる。

 

熱心な支援者である籠池理事長に対する

リップサービスであったとしても、

実際、安倍首相自身が講演するはずだった9月5日当日も、

代りに昭恵夫人が公演をし、自らフェイスブックに

写真付きで投稿もしている。

 

ゆえに、安倍首相が、「しつこい人」と切り捨て、

完全に相関関係を否定するなら、

そう思い込むまでに支援をして来たことを

否定する材料がなければならない。

 

そもそも、バックアップする安倍首相に限らない多くの

「ご意思」無しに、

このような小さな学園が、巨額の資金を必要とする

「瑞穂の國記念小學院」を作れると思い、

実際、間近まで漕ぎつけると思っただろうか。

 

それこそがドンキホーテ的な籠池氏の籠池氏たるゆえんであるかもしれないが、

普通なら、そうは思えないわけで、

それを可能と思い込ませたものが確かにあるはず。

その妄想を現実のものと実現寸前まで運んだもの。

 

その錯覚を後押ししたものは何だったのか。

大きな勢力となっているものがあったからではないだろうか。

 

普通なら、その資力から考えても、

壮大すぎる夢だったはずのもの。

それを可能にしたのは、沢山の人が、応援してくれているという思い。

日本会議や自民党右派の人たち、維新の会の人たち、

森友学園の教育方針に共鳴する人が支援を約束し、

学院の建設を共に望んでいる不特定多数の存在を、

たとえ錯覚、思い込みにせよ、信じてのことであっただろうし、

信じさせる事象も、数々あったのだろう。

 

その代表であり、そのピラミッドの頂点が、

安倍内閣総理大臣その人であった。

少なくとも、籠池理事長の心の中では。

その構図の上に立って、籠池氏は奔走し、

「風が吹いて来た」思いを味わい、

その勢いを加速する動きに出た。

 

加計学園にしろ、森友学園にしろ、

安倍政権の復活がなければ、

ありえない「偶然」であった。

 

 

それが、中途挫折したのは、豊中市の木村市議の告発(2月8日)と、

それを取り上げた朝日新聞の記事(2月9日)からだった。

 

それがなければ、野望は実現していたし、

今頃は、桜咲く季節の開校を待つばかりだったのだ。

 

 

9月3日に、安倍さんが、迫田前理財局長を呼び出して、

何を話したのか。

9月4日、冬柴Jrと、りそな銀行の融資について

大阪で話さなかったか。

松井さんや橋下さんと会食した時には何を話したのか。

近畿財務局や理財局の担当官の証人喚問を求めると共に、

安倍首相にも、参考人招致を求めて訊きたいくらいだ。

もちろん疑惑は疑惑にしかすぎないし、

安倍さんの介在は、一切なかったかもしれないが、

真相に関わる疑問を聞くことも出来ないのでは、

解りようがない。

 

 

祥  * 『時事』 * 13:49 * comments(0) * trackbacks(0)

〈短歌紹介〉 

 

・目に見えぬ絶望小さく折り畳み何もなかつたやうに歩き出す

 

・生きのいい命を油で揚げてゐる生きろ生きろ生きろ蝉鳴く

 

 

        築林歌子 「晩年」『玲瓏』93号

 

 

・中上健次の最大の才能はその出自なりと柄谷行人言い切りにける

 

        浅利瑞穂 「謎の白昼」『玲瓏』94号

 

 

・これがさいごの春であっても指切りをしようわたしはわたしの歌と

 

        佐藤弓生 「誰も見てない」『短歌研究』4月号

 

 

祥  * 『今日の歌 :本、印刷媒体』 * 11:56 * comments(0) * trackbacks(0)

映画『ハルチカ』のCDを購った。

ずーっと、下手な演奏(そういう設定なので)ばかり続いて、

このまま終わりまで行っちゃうの?と思う最後の最後に、

やっと出て来た。部員をひやひやさせ続けたソロ部分を含む演奏。

(これも別に上手な演奏というわけじゃない。でも、映像が再現できる。)

勇気が出る。ほんと良い映画だった。

祥  * 『映画・演劇(宝塚)・TV・コンサート』 * 11:29 * comments(0) * trackbacks(0)

たとえ金銭授受がなくても、その地位はまさに印籠のごとき力と贈収賄以上の力を 

発揮するし、下位にあるものは、

人事権を持つ上司に配慮する。

まして、最高権力を持つ者に全く

配慮しない者は稀有だろう。

ゆえに上に立つものは、自ら身を律する気持ちが大事なのであって。

(もちろん贈収賄があれば、その罪深さは言うまでもない。)

 

贈収賄以上に、人事権は強力だろうし、

政府は、最高裁の長官や判事の任命権も持ち、

司法の独立さえ、危うい状態。

その上、安倍政権のもと、「内閣人事局」が発足している。

官僚は、ひたすら上を見る習性があるというのに。

 

原子力委員会の委員や、

NHKにまで、その力を及ぼそうとする最高権力者。

彼が愛用する「有識者会議」は、

様々なものに影響力を持ち、

政府の政策に有利な提言を意図的に引き出すことに

有効利用?されている。

 

時の政府が、物事をどう考えているか。

ということが、世の中の価値基準を、

指導し、誘導し、決定することがある。

 

その上に、政府の考え方を強化し、反対意見を持つものを、

「共謀罪」や「緊急事態条項」で縛り、動きを取れなくすることも、

多数決の力をもってすれば、容易ということであれば、

政府の方針に反対意見を持つ者は、如何にして

その意見と身柄を守ればいいか。

 

左遷や降格を怖れずに意見を言うものがいなくなれば、

例えば、東芝の原発部門重視が社内勢力によって決定した時などのように、

間違った方向へ進もうとする道を変えることは出来なくなる。

その結果が、社の運命を変え、滅びに導くこともあるだろう。

 

それが、政府の決定する国策であったら、

そしてそれが、ただ現有勢力図や多数決だけで決まったら、

愚か者の多いときには、愚か者の決めた政策が優先され

その後の国の方向を決めることになる。

祥  * 『時事』 * 09:58 * comments(0) * trackbacks(0)

『ラ・ラ・ランド』と『話す犬を、放す』を観て来た。

ミュージカル映画と、ちょっとシリアスな映画。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ラ・ラ・ランド』は、

『セッション』以来2年を経過、

デイミアン・チャゼル監督の作ったミュージカル映画。

ということで、アカデミー賞も何部門も受賞し、

どんな映画だろうと思って出かけたが、

面白いところと、退屈で眠くなるところ半々。

 

ミュージカルだから、もちろん歌もダンスもあるのだけれど、

お芝居の延長的で、ミュージカル的高揚感はないし、

歌もダンスも突き抜けるほどではない。

まぁ、楽しく歌っているし踊っているという。

わざとそうしている感もある。

歌唱力やダンスの魅力そのものより何か別のものを伝えたいようだ。

 

ファンタジックな魅力もそこそこに取り入れながら、

不器用にぶつかりながら生き、この世にさざ波を立て、

夢見ることと、大人になることの狭間で揺れながら、

厄介な反抗者であり敗れても悔いず、

挑戦し続ける者たちへの呼びかけを、歌の中では歌うのだが、

実際は、どこで妥協したのか、大人になることの痛みを引き受けると共に、

単なる成功者になっているような。

それでも、どこかに、残っているのかな。夢見続ける心。抵抗する心。

それはとりもなおさずチャゼル監督の心。

 

最後は『シェルブールの雨傘』をなぞったような終わり方なんだけど、

もう一つの在り得たかもしれない人生を、

映像でもしっかり見せて、でもそれだけだから、

同じって言えば同じの上に、

シェルブール的余韻もないのは、

あれはあれでいいのかな。

 

 

ジャック・ドウミ監督の『シェルブールの雨傘』だけじゃなく、

『カサブランカ』が好きな女優志望のミアの部屋には、

大きな、イングリット・バーグマンのポスターが、

ミアの憧れを象徴する大きさで存在したり、

『理由なき反抗』の、グリフィス天文台でデートしたり、

チャゼル監督の、映画黄金期へのオマージュが

無限大と言いたい程に感じられて、

『ニューヨーク・ニューヨーク』や『巴里のアメリカ人』や、

『雨に唄えば』が2重写しになるような。

 

セブ(セバスチャン)にはジャズを熱く語らせ、ピアノも、

主役のライアン・ゴズリングに、自分で弾かせる。

ミアは、セーヌ河に飛び込んだ女優だった叔母の話をするが、

ミアが女優を志した理由は、歌詞にもあるように

「叔母と雪とセーヌ川」なのだが、

それは必然的に、ジャンヌ・モローの『突然炎のごとく』を想起させる。

オマージュはオマージュで、

今は今で、その今もまた、刻々と過去へと過ぎ去る。

 

叶えたい夢を実現したミア。

かつて撮影所のコーヒ−ショップで働きながら、

オーディションを受け続け、女優を目指していた頃、

そして、セバスチャンのいた頃と、

大女優になり、可愛い子供も出来、

どこかの誰かのお金持ちの妻になっている今と、

ミアはどちらが幸福なんだろう。

(映画設定上しょうがないのに、なんであんな

つまらない男と結婚するんだ。と突っ込んでいたり^^)

 

『シェルブールの雨傘』の、雪降るガソリンスタンドでの

束の間の再会だけですれ違っていく人生と、『ラ・ラ・ランド』の、

やはり成功したオーナーとなっているセブとミアの束の間の再会、

劇的なことは何もなく、ただ心の中だけで合体し別れる。

7分間の、もう一つの、ありえたかもしれないセブとミアの人生。

 

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祥  * 『映画・演劇(宝塚)・TV・コンサート』 * 18:09 * comments(0) * trackbacks(0)
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