風は旅人

 

      風は旅人


 


 


 


 


 


夢を見るうつらうつらのうたたねに信濃追分あたりを歩く


 


今日もまた優しい嘘をついている富士の笠雲雨呼んでいる


 


ごまかしてもっと上手に誤魔化して泥の小舟で湖を渡るの


 


半年もほったらかされた天皇の異常のデータ朝刊に読む


 


子を残し空に帰れぬ鶴がいて夕べの雲を倦かず眺める


 


禅林寺へ行ってみました三鷹で降りて 昨日どこへも行くところなく


 


森茉莉も納骨されるはずだという森家の墓地の花枯れている


 


花と酒、それも津軽の酒がある 太宰治は幸福な死者


 


この町の七十軒の古時計ネジマキ屋さんにまかされている


 


脚立持ち修理具入れた鞄持ちネジ巻き歩く古時計の町


 


崖にある足跡一つ晴れた日に海を見ていた恐竜X


 


鉛筆の芯折れている音がするどこかの沼で魚が跳ねる


 


犯罪を犯したいほど雲一つ草木一つも動かぬ真昼


 


街路樹の赤い風船ひきちぎり春一番の南風吹く


 


私を支配しようとする人を紙飛行機に乗せて飛ばそう


 


すねかじりすねをかじってかじりきりその一本を捨ててきている


 


ひとり出かける日の駅前に浩平の好きなボンネットバス


 


つつがなくうつらうつらとすぎていてカフカの変身他人事ならず


 


こめかみのくぼみは何のせいだろう牙なき象のかなしみのため


 


夕焼けを夕焼けとしか言えなくて他国の風に吹かれているよ


 


前の家の庭の木を切り草を抜き蜜柑をひろいどくだみを摘み


 


西向きの狭い小さなバルコニー咲いているもの花と呼ぼうか


 


花じゃない西日わずかに陽と思い顔傾けて咲く花なんて


 


一枚の葉は見つかりましたかと陛下と小倉遊亀さんの会話


 


税務署と市役所と法務局行ったり来たりで日が暮れている


 


たましいが何かにあたって鳴る音が風の中からきこえてくるよ


 


春を抱く春の光を抱いているれんげ畑の小さな王女


 


竹とんぼ自由一つを羽にしてただ風だけを友だちにして


 


日常がただ日常で過ぎてゆく等身大の鏡の中で


 


生きているとどんどん汚れていきますね表面積が大きくなって


 


人は死に土塊になり灰になり空の雲より淡いものとなる


 


太陽は天の赤道通過中眠気とだるさとたたかいながら


 


一年はわずかな時間の経過だとスザンヌ・ヴェガの歌聴きながら


 


「漁船の絵」アラン・シリトー読んでいる土曜の朝と日曜の朝


 


アリさんも歌ってみればよかったのにキリギリスよりアリへの手紙


 


四十代の女はみんな元気だという話聞いているうち疲れてしまう


 


鴎外忌初めて暑い夏の日のその日の墓地に風もない日の


 


絶版の「父の帽子」の中にいる父鴎外と森家の人々


 


森鴎外、太宰治と森茉莉と静かに眠れ梅雨まだ明けず


 


一葉の父のふるさと塩山のすもも花咲く二本木の道


 


二本木行きバス終点のバス停の馬小屋の馬、留守番の馬


 


何をしているかわからぬ家があり馬一頭が繋がれている


 


あの窓の一つの窓に住んでいる 歩道橋を斜めに歩く


 


一冊の本落ちている石の上、蟻が見ている旧約聖書


 


旅立ちの支度をしているいつの日か来る私の旅立ちの日の


 


こうもりが薄暮の空を飛んでいるまだ帰らない子供を待って


 


夕空に一つ星あり三日月あり近づき消える飛行機もあり


 


美しいというものはあるどこにでも小さな家の軒に降る雨


 


お魚が雨傘さして歩いてる「エッフェル塔とロバ」の風景


 


追憶のロシアが見えるフランスの海に河岸に空の向こうに


 


こんな夜更けにまた火事らしい 窓に映っている灯と私


 


ねずみ来て話してゆくと祖母が言うひとり居るより楽しいと言う


 


八幡の大杉樹齢数百年「皮一枚のぼくの人生」


 


嬉々として弾けるように跳んでゆくはるばると来て海を見た子が


 


満ち潮に靴さらわれて流されて網で掬っている小学生


 


左舷には純漁村風、右舷には地中海風風景がある


 


なせばなるやればできると思ったこと一度もなかった死に極道され


 


丸坊主になってしまったベンジャミン何が悪かったのかなあって考えている


 


葉も枯れ土も減ってしまった幸福の木ますます過分数になっていくね


 


千代田区一番町の夕闇に病む人あるらし水鳥も病む


 


雨がまたざんざん降って夜になる 九月東京、雨の東京


 


東京の空から太陽消えている 医師団は血を入れ替えている


 


土曜日の約束をして別々の道を帰って日常である


 


こんな午后もしあったなら鴨川の石になってもよいほたる草


 


されどされどさびしさびしと言う人よ雨の降る日の優しさごっこ


 


昨日から熱あるようなないようなぼんやり過ごす雨の休日


 


貴腐ぶどう熟れる夕陽の落ちる町あずさ九号通過する町


 


少し汚れ少し壊れて美しい騎馬民族の王の水差し


 


あの頃の夢がどこかへ消えたと言うどんな現実に捩じ伏せられて


 


落ち着いて玉葱切っている時間 涙は何のせいでもなくて


 


母が死んだ ただそれだけのことなのに親族一族すべてが視える


 


栗の実を拾ったことも今ではもう遠い昔の夢のようです


 


何もかもお終いだって知っていて何も知らないふりをしている


 


ふるさとの海へ行こうと話してる春休みには大橋渡り


 


ざる一杯バケツ一杯の海老やシャコおやつに食べていた漁師町


 


浩平と二人で渡る瀬戸大橋海老の匂いのする町に来る


 


ホラーでない異次元世界見たいから超高層の夕陽見ている


 


広島のことはやむをえなかったと語りし天皇眠る天皇


 


戦争の死者たちがもういいと言うあかげらの歌が寂しいゆえに


 


明日ゆく日出ずる国の天子ゆく空襲の日の空に似た夕焼け


 


血塗られた昭和の果てに血を替えて天皇はゆく何も告げずに


 


冬ざれの史蹟公園散歩する缶コーヒーを片手にもって


 


千曲川上流育ちクレソンを佐久の馬刺の大皿に盛る


 


転がされ棄てられている一塊の土のようなる影のようなる


 


細長い廊下の向こうに海があり座敷の向こうに海光る家


 


この生のさなかに訣れし人あれば春立つ頃の月を忘れず


 


半分は冗談だった薄情さ私の本質だっただなんて


 


しばらくはこんな調子で流されて流れるままに流されてみて


 


なまじっか愉しい日々があったから後の月日がさびしいのです


 


夜行性みみずく一羽起きてきて日々の軽さに爪たてている


 


物語(レシ)と呼ぶにふさわしい一生もあり母たちの世代


 


畑にも庭にも雨が降っている蓮池に咲く花にも降るよ


 


冬眠のがまとこの頃の私とどちらが先に目を醒ますのだろう


 


鹿苑寺「白蛇の塚」の子孫かも赤と黒との小さな小蛇


 


通夜の客若い日の名で呼びあって遥か昔の物語する


 


見知らない記憶すらない一生に支配されゆく一生もある


 


来たる闇行く世の闇の何処より光はありてわがいのち在る


 


生きている私に砂をかけている耳をすませば弔いの鐘


 


夜明けから降りだした雨昨日まであなたの庭に降っていた雨


 


一日中雨が降ってる一日中雨を聞いてる蛙……私


 


祈りにも似た暮しなどに憧れるこの春ゆえの軽い変調


 


どこまでも空っぽだってことのほかその錯乱の理由を知らず


 


メッセージはもうどこからも届かない何の憂いもないはずの日々


 


光れ風 野分よ奔れ残生と呼ぶに短き時生きるため


 


人の世の栄枯盛衰見てきたる烏梢にとまる夕暮


 


平家谷、落人部落、桃源郷、杏花咲く村に来ている


 


父と子と古い公図を開いている古屋敷二町歩八幡平五町歩


 


犬目行きバスに揺られて四十分 君恋温泉今日は訪ねる


 


本陣の道を歩けば土埃 四方津へ降りる最終のバス


 


二重の生、二重の私を生きている梅雨入りの日の空々漠々


 


家を売り家を購いまた家を売りそうして心はざらざらになる


 


核融合試験官でもできるらし詩のようなもの創っているらし


 


人恋うて人恋いやまぬ夕暮よ蛍の沢と呼びし深沢


 


「夢だけに生きれば終り」腹が減ったか?と訊いてるレノン


 


「憎しみは愛だけが消す」ジャワルナデ大統領の手の鳩が飛ぶ


 


もう死んだ気になっているのか夏の蝶 幾何学模様の中に眠って


 


突然に視界展けて富士がある木のトンネルを抜けて行ったら


 


縁側に出て村を見る富士を見る南アルプス邑の朝焼け


 


道端の小石を蹴って歩いている彼岸花咲く寺までの道


 


富士よりも高く住むような村に来て無住の寺で聴く蝉しぐれ


 


もっと引けもっとサラッと歌えという艶歌の竜のひばりへの注文


 


私は暗いところで暮していた名だけ明かるい学園通り


 


閑雅なるよきものなんてこの世には存在しないものかもしれない


 


棄ててきた何かを思い出すように晴れた空から雨降ってくる


 


優しくも強くも生きてゆけないしオブローモフにもなれないけれど


 


失ったものの記憶は新しく脱け殻はみな標本になる


 


遠く住む友の葉書を読んでいるその街はもう雪が降ってる


 


思い軽く生きているよと告げている花と木のことだけ書いてある


 


何よりもその見通しの明るさは人がお金を出しても買うもの


 


身に即しあまりに近く身に即し息苦しくてならぬ石仏


 


まるでもう今日の不条理のように暗い舞台を見せられている


 


俳優の松田優作死んだ日に滝沢修のゴッホ観ている


 


蝋燭のほかには何もない舞台、青い炎になった老優


 


エピローグ、宇野重吉のナレーション死者に感動させられている


 


利休の死、死の死があって残るもの、流派という名の形骸ばかり


 


サイレント・マジョリティなどと呼ばれいつも何かに括られている


 


西多摩のなんじゃもんじゃの旧家には「富貴安楽」の額掛けてあり


 


街中の五重の塔をとり囲む墓一千基陣形に似る


 


火だるまになって死ぬのも非業なら延命治療という非業死もある


 


「萩の寺」その名おぼえて来てみれば墓地分譲は今盛りなり


 


奥多摩の渓谷二千年前の海パレオパラドキシアの伝説


 


生まれ落ちたる時の他にはドラマなく垣間見るだけの私の人生


 


「そしてまた雨ふる今夜私の両手は緑いろ」とソーサの歌う


 


焼き芋を売る声なども聞こえくる冬至の夜の駅裏通り


 


地下街にホーキを持った魔女がいる雪も降らない降誕祭前夜


 


魔女はもう空を飛べない世を忍ぶ仮の姿に地を這うばかり


 


一人旅、寅さんの身に憧れる自分が少し壊れはじめて


 


喪の明けた一月七日新年も〈貧しい庶民〉の暮ししている


 


雪ちらちら春の岬に降ってきてスティル・ライフはもう終わるのです


 


カムチヤツカ半島の先の点々に住んで原子炉の火も燃やしている


 


立葵、義手にて描ける人もいてただ思い出のためだと言って


 


北陸は能登能美郡根上町春の煙の立つ昼下がり


 


ひかえめに静かに生きてみたくなる酸晴雨降る白い一日


 


今は最期、とぎれとぎれのつぶやきのそのつぶやきのように降る雪


 


切れ切れに想い出したりして雪に 終幕近いシーンの音楽


 


昔見た夢のつづきをみるような「戦争と平和」の国の映像


 


夢ロシア雪のロシアのサモワール世が世ならという祖母の口癖


 


ここにいる私はいったい誰だろう春のうららの墨田川かな


 


墨田川ベイエリアまで川下り未来が少し見えてくるまで


 


もう誰の心も残っていないから風の別れのような青空


祥  * 『風は旅人』(初出「短歌人・未来」 * 08:02 * - * -

「初期歌篇」・「風は旅人」1980年〜1993年












1980年〜

青春の謝肉祭なら知っている 紙吹雪なら一枚残っている

反宇宙、反銀河、反地球、反私。何処にあっても今日の飲食

この村は星の里ですその昔隕石落ちたほこらがあります

弔いの夜の彗星は鳥だよと墓掘りながら村人が言う

雪山の端より月は上り出づ夜を照らして死を弔って

忍野村その八海の水底に幽界はあり光る魚あり

母病んでいる日の庭に鳥が来て昨日のパンをわけあっている

春になれば花も咲くさと陽だまりの土を踏んでみている

「パリの灯点って一周年」テレフォンカードの国立の秋

冬の樹の梢の彼方に消えてゆく黄色い飛行船を見ている子供

ひとときに人は死ねないものだから幼き者へ手紙を書こう

夕暮になれば富士山影になり石段降りる猫も影になり

どんぐりが帽子被って落ちているゆうべ風が吹いたらしくて

山椒の赤い実を腹いっぱいに詰めているよ香ばしそうな鳩だよ

白黒のぶちと茶色の子猫が林で生まれてさざんかも咲いた

風はまだ吹かないけれどいつか吹くと誰かが言っているような秋

往き帰り枯葉の寝床にうずくまる白い猫見るこの幾日か

駅前にビル増えてきて柿色の空のむこうの富士が小さい

犯罪の多そうな日だ今日一日春の嵐が吹き荒れている

明日のこと誰も知らない今日までの続きと思って葱きざんでいる

重くて古い自我などと言われているよNHKから来たディレクターは

スカラ座は閉館しますの貼り紙が雨にちぎられ飛ばされている

閉館の今日は優しい切符切るシモーヌ・シニョレに似た小母さんも

老館主右脚少し曳きながら閉館の日のロビーを歩く

難破船漂うように映写室雨降る中に残されている

甲冑の触れ合う音のする如き黒き家並みの果てに海あり

白壁と定紋瓦、長屋門 昔日知らぬ子等の落書

その昔合戦ありという杜の傍ら行けば風花が舞う

舟隠し洞窟潮の引くときに小さき魚の残る岩陰

坂道に篭をおろして老人は道を尋ねしわれ案じ待つ

夕焼けの墓地に海見る少年は熟れしばかりの無花果を食む

花びらの雪降る朝は死者たちの今年最初の声とどく朝

やがてその石に夕焼けが射せば薄桃色の馬頭観音

転生を願うことなき涼やかさ 今を最期のひぐらしの杜

存在の奥の欠落埋めがたく夾竹桃の夏もすぎゆく

雪の夜にランタン赤き窓ありて若き主人の古美術の店

アリのんでいるパンをすずめがひょいと食べてしまった

「邪魔だったから」家族殺しの少年のつぶやき夏の草いきれ

無残なる日々を生ききて今ひとり陶器の店を商う女あり

たとえば歌など何のためにこんなに空が青く澄んでいる

生きているだろうかまだ私は日々の渇きの充ちる時まで

今はもう絵空事です言葉です「気儘に風に吹かれるように」

荒海の船を導く火のありかセントエルモス・ファイアー消えたり

ひとすじの煙が空へ消えてゆく宙とつながる心のように

誰も知らない私があるように私も知らない私がいるだろう



1987ー

夢を見るうつらうつらのうたたねに信濃追分あたりを歩く

今日もまた優しい嘘をついている富士の笠雲雨呼んでいる

ごまかしてもっと上手に誤魔化して泥の小舟で湖を渡るの

半年もほったらかされた天皇の異常のデータ朝刊に読む

子を残し空に帰れぬ鶴がいて夕べの雲を倦かず眺める

禅林寺へ行ってみました三鷹で降りて 昨日どこへも行くところなく

森茉莉も納骨されるはずだという森家の墓地の花枯れている

花と酒、それも津軽の酒がある 太宰治は幸福な死者

この町の七十軒の古時計ネジマキ屋さんにまかされている

脚立持ち修理具入れた鞄持ちネジ巻き歩く古時計の町

崖にある足跡一つ晴れた日に海を見ていた恐竜X

鉛筆の芯折れている音がするどこかの沼で魚が跳ねる

犯罪を犯したいほど雲一つ草木一つも動かぬ真昼

街路樹の赤い風船ひきちぎり春一番の南風吹く

私を支配しようとする人を紙飛行機に乗せて飛ばそう

すねかじりすねをかじってかじりきりその一本を捨ててきている

ひとり出かける日の駅前に浩平の好きなボンネットバス

つつがなくうつらうつらとすぎていてカフカの変身他人事ならず

こめかみのくぼみは何のせいだろう牙なき象のかなしみのため

夕焼けを夕焼けとしか言えなくて他国の風に吹かれているよ

前の家の庭の木を切り草を抜き蜜柑をひろいどくだみを摘み

西向きの狭い小さなバルコニー咲いているもの花と呼ぼうか

花じゃない西日わずかに陽と思い顔傾けて咲く花なんて

一枚の葉は見つかりましたかと陛下と小倉遊亀さんの会話

税務署と市役所と法務局行ったり来たりで日が暮れている

たましいが何かにあたって鳴る音が風の中からきこえてくるよ

春を抱く春の光を抱いているれんげ畑の小さな王女

竹とんぼ自由一つを羽にしてただ風だけを友だちにして

日常がただ日常で過ぎてゆく等身大の鏡の中で

生きているとどんどん汚れていきますね表面積が大きくなって

人は死に土塊になり灰になり空の雲より淡いものとなる

太陽は天の赤道通過中眠気とだるさとたたかいながら

一年はわずかな時間の経過だとスザンヌ・ヴェガの歌聴きながら

「漁船の絵」アラン・シリトー読んでいる土曜の朝と日曜の朝

アリさんも歌ってみればよかったのにキリギリスよりアリへの手紙

四十代の女はみんな元気だという話聞いているうち疲れてしまう

鴎外忌初めて暑い夏の日のその日の墓地に風もない日の

絶版の「父の帽子」の中にいる父鴎外と森家の人々

森鴎外、太宰治と森茉莉と静かに眠れ梅雨まだ明けず

一葉の父のふるさと塩山のすもも花咲く二本木の道

二本木行きバス終点のバス停の馬小屋の馬、留守番の馬

何をしているかわからぬ家があり馬一頭が繋がれている

あの窓の一つの窓に住んでいる 歩道橋を斜めに歩く

一冊の本落ちている石の上、蟻が見ている旧約聖書

旅立ちの支度をしているいつの日か来る私の旅立ちの日の

こうもりが薄暮の空を飛んでいるまだ帰らない子供を待って

夕空に一つ星あり三日月あり近づき消える飛行機もあり

美しいというものはあるどこにでも小さな家の軒に降る雨

お魚が雨傘さして歩いてる「エッフェル塔とロバ」の風景

追憶のロシアが見えるフランスの海に河岸に空の向こうに

こんな夜更けにまた火事らしい 窓に映っている灯と私

ねずみ来て話してゆくと祖母が言うひとり居るより楽しいと言う

八幡の大杉樹齢数百年「皮一枚のぼくの人生」

嬉々として弾けるように跳んでゆくはるばると来て海を見た子が

満ち潮に靴さらわれて流されて網で掬っている小学生

左舷には純漁村風、右舷には地中海風風景がある

なせばなるやればできると思ったこと一度もなかった死に極道され

丸坊主になってしまったベンジャミン何が悪かったのかなあって考えている

葉も枯れ土も減ってしまった幸福の木ますます過分数になっていくね

千代田区一番町の夕闇に病む人あるらし水鳥も病む

雨がまたざんざん降って夜になる 九月東京、雨の東京

東京の空から太陽消えている 医師団は血を入れ替えている

土曜日の約束をして別々の道を帰って日常である

こんな午后もしあったなら鴨川の石になってもよいほたる草

されどされどさびしさびしと言う人よ雨の降る日の優しさごっこ

昨日から熱あるようなないようなぼんやり過ごす雨の休日

貴腐ぶどう熟れる夕陽の落ちる町あずさ九号通過する町

少し汚れ少し壊れて美しい騎馬民族の王の水差し

あの頃の夢がどこかへ消えたと言うどんな現実に捩じ伏せられて

落ち着いて玉葱切っている時間 涙は何のせいでもなくて

母が死んだ ただそれだけのことなのに親族一族すべてが視える

栗の実を拾ったことも今ではもう遠い昔の夢のようです

何もかもお終いだって知っていて何も知らないふりをしている

ふるさとの海へ行こうと話してる春休みには大橋渡り

ざる一杯バケツ一杯の海老やシャコおやつに食べていた漁師町

浩平と二人で渡る瀬戸大橋海老の匂いのする町に来る

ホラーでない異次元世界見たいから超高層の夕陽見ている

広島のことはやむをえなかったと語りし天皇眠る天皇

戦争の死者たちがもういいと言うあかげらの歌が寂しいゆえに

明日ゆく日出ずる国の天子ゆく空襲の日の空に似た夕焼け

血塗られた昭和の果てに血を替えて天皇はゆく何も告げずに

冬ざれの史蹟公園散歩する缶コーヒーを片手にもって

千曲川上流育ちクレソンを佐久の馬刺の大皿に盛る

転がされ棄てられている一塊の土のようなる影のようなる

細長い廊下の向こうに海があり座敷の向こうに海光る家

この生のさなかに訣れし人あれば春立つ頃の月を忘れず

半分は冗談だった薄情さ私の本質だっただなんて

しばらくはこんな調子で流されて流れるままに流されてみて

なまじっか愉しい日々があったから後の月日がさびしいのです

夜行性みみずく一羽起きてきて日々の軽さに爪たてている

物語(レシ)と呼ぶにふさわしい一生もあり母たちの世代

畑にも庭にも雨が降っている蓮池に咲く花にも降るよ

冬眠のがまとこの頃の私とどちらが先に目を醒ますのだろう

鹿苑寺「白蛇の塚」の子孫かも赤と黒との小さな小蛇

通夜の客若い日の名で呼びあって遥か昔の物語する

見知らない記憶すらない一生に支配されゆく一生もある

来たる闇行く世の闇の何処より光はありてわがいのち在る

生きている私に砂をかけている耳をすませば弔いの鐘

夜明けから降りだした雨昨日まであなたの庭に降っていた雨

一日中雨が降ってる一日中雨を聞いてる蛙……私

祈りにも似た暮しなどに憧れるこの春ゆえの軽い変調

どこまでも空っぽだってことのほかその錯乱の理由を知らず

メッセージはもうどこからも届かない何の憂いもないはずの日々

光れ風 野分よ奔れ残生と呼ぶに短き時生きるため

人の世の栄枯盛衰見てきたる烏梢にとまる夕暮

平家谷、落人部落、桃源郷、杏花咲く村に来ている

父と子と古い公図を開いている古屋敷二町歩八幡平五町歩

犬目行きバスに揺られて四十分 君恋温泉今日は訪ねる

本陣の道を歩けば土埃 四方津へ降りる最終のバス

二重の生、二重の私を生きている梅雨入りの日の空々漠々

家を売り家を購いまた家を売りそうして心はざらざらになる

核融合試験官でもできるらし詩のようなもの創っているらし

人恋うて人恋いやまぬ夕暮よ蛍の沢と呼びし深沢

「夢だけに生きれば終り」腹が減ったか?と訊いてるレノン

「憎しみは愛だけが消す」ジャワルナデ大統領の手の鳩が飛ぶ

もう死んだ気になっているのか夏の蝶 幾何学模様の中に眠って

突然に視界展けて富士がある木のトンネルを抜けて行ったら

縁側に出て村を見る富士を見る南アルプス邑の朝焼け

道端の小石を蹴って歩いている彼岸花咲く寺までの道

富士よりも高く住むような村に来て無住の寺で聴く蝉しぐれ

もっと引けもっとサラッと歌えという艶歌の竜のひばりへの注文

私は暗いところで暮していた名だけ明かるい学園通り

閑雅なるよきものなんてこの世には存在しないものかもしれない

棄ててきた何かを思い出すように晴れた空から雨降ってくる

優しくも強くも生きてゆけないしオブローモフにもなれないけれど

失ったものの記憶は新しく脱け殻はみな標本になる

遠く住む友の葉書を読んでいるその街はもう雪が降ってる

思い軽く生きているよと告げている花と木のことだけ書いてある

何よりもその見通しの明るさは人がお金を出しても買うもの

身に即しあまりに近く身に即し息苦しくてならぬ石仏

まるでもう今日の不条理のように暗い舞台を見せられている

俳優の松田優作死んだ日に滝沢修のゴッホ観ている

蝋燭のほかには何もない舞台、青い炎になった老優

エピローグ、宇野重吉のナレーション死者に感動させられている

利休の死、死の死があって残るもの、流派という名の形骸ばかり

サイレント・マジョリティなどと呼ばれいつも何かに括られている

西多摩のなんじゃもんじゃの旧家には「富貴安楽」の額掛けてあり

街中の五重の塔をとり囲む墓一千基陣形に似る

火だるまになって死ぬのも非業なら延命治療という非業死もある

「萩の寺」その名おぼえて来てみれば墓地分譲は今盛りなり

奥多摩の渓谷二千年前の海パレオパラドキシアの伝説

生まれ落ちたる時の他にはドラマなく垣間見るだけの私の人生

「そしてまた雨ふる今夜私の両手は緑いろ」とソーサの歌う

焼き芋を売る声なども聞こえくる冬至の夜の駅裏通り

地下街にホーキを持った魔女がいる雪も降らない降誕祭前夜

魔女はもう空を飛べない世を忍ぶ仮の姿に地を這うばかり

一人旅、寅さんの身に憧れる自分が少し壊れはじめて

喪の明けた一月七日新年も〈貧しい庶民〉の暮ししている

雪ちらちら春の岬に降ってきてスティル・ライフはもう終わるのです

カムチヤツカ半島の先の点々に住んで原子炉の火も燃やしている

立葵、義手にて描ける人もいてただ思い出のためだと言って

北陸は能登能美郡根上町春の煙の立つ昼下がり

ひかえめに静かに生きてみたくなる酸晴雨降る白い一日

今は最期、とぎれとぎれのつぶやきのそのつぶやきのように降る雪

切れ切れに想い出したりして雪に 終幕近いシーンの音楽

昔見た夢のつづきをみるような「戦争と平和」の国の映像

夢ロシア雪のロシアのサモワール世が世ならという祖母の口癖

ここにいる私はいったい誰だろう春のうららの墨田川かな

墨田川ベイエリアまで川下り未来が少し見えてくるまで

もう誰の心も残っていないから風の別れのような青空

虹立つは昨日一人の魂が空へ急いで帰った軌跡

誰もいない午前の日差し浴びている昔の恋のような冬の陽

簡単な引っ越しが済んでマイケルと呼ばれた猫の飼い主も去る

生きていることさえ無駄の一つかも三月十日春雷を聞く

脳細胞の数ほどの渦巻銀河系宇宙、ピケットフェンスを幾つ超えても

ブラインド越しに見ている街の空、赤い屋根から濡れはじめている

いつからか既にオールド・ゼネレーション ミック・ジャガーの皺深き顔

南から吹いてくる風もう春が扉を叩いているのだろうか

ゆっくりと見えない破滅に向かっている何にもない日の春の夕暮

酸性雨降る雨の夜は鎧戸をおろして昔話をしよう

温室になった地球で生きている半分死んで病んで狂って

人が死にそしてそれから何もない 窓ガラスには雨の雫が

離れ猿次郎は親を知らざれば自分を猿と思わざりしよ

それぞれの運尽きるまで凩天にそよげよ風が流れる

人生と共に息しているような気がしないんだこの頃私

ぬかるみを歩いた人の足あとがぬかるみの中残されている

吸いこまれそうな魔の淵 透明な水に透明な魚が泳ぐ

月曜日の鬱のことなど書いてある「あなたも病気」という本を読む

朝は昼に昼は夕べに夕べは朝に何の不思議もないのだけれど

人類の子供二人を育てている春爛漫の空の真下で

少しだけ暗いところが好きだった陽あたる丘に住んでいたから

音のない雨を見ている音のない風を見ている一年の後

向かいあい一人は絵地図一人は歌のようなものなど書いている午後

煙突の見える場所から描いている五歳の地図の空の拡がり

星空の下のテントで眠っている消息絶った重信房子

隠れ家に日常があり石鹸の匂いしている幼児がいる

地下鉄の地下に水湧き流れる音淋しい人が背中押される

思う程死ぬのは簡単じゃないと呼吸不全に陥りながら

病院の地下には霊安室があり待機している葬儀屋もいる

究極のなれの果てなる同窓会初夏の銀座の三笠会館

一九九〇年の街角でグレタ・ガルボの死を聞くばかり

若い日は誰にもあったはずなのにシーラカンスのように眠って

私のためというなら何のため私は生きているのだろうか

日曜日の教会の裏は荒井呉服店 春の燕が通り抜けする

体制は黄昏の色、世紀末漂流民は流氷に乗り

黙示録開いてみたくなるような額の象徴もつゴルバチョフ

魂の蛍明滅しただろうあなたが病んでいた夏の日々

白い手のさよならだった細くなり小さくなって優しくなって

長い夢みているような気がします醒めない夢をみているような

エルドラド幻の郷エルドラド金の釣針のむ魚たち

蛙、蛇、鰐棲む河の流域に栄えて滅ぶ エルドラドという

地球儀の文字書き換えるミャンマーと、昔「ビルマの竪琴」を観た

教科書も地図もすっかり役立たない世界史に風、新しい風

NHK「七色村」のマリエさんプラハの春は再びめぐり

さよならがどうもになって終ること長い時間が流れていたこと

東洋の小男一人立っていてマチスの聖母子眺めているよ

ドミニコ会ロザリオ礼拝堂の壁、線で描かれたマリアとキリスト

美しいものは戦国乱世の落城の日の天守の自害

国分寺の家に行ったら咲いているえごの花びらもう泥だらけ

雨降れば傘さしてみる萼あじさい去年と同じ色に咲いてる

降る雨のように触れられないならばいっそ何にも無いほうがいい

気がつけば横になりたくなっている雨の日は雨の音聴きながら

何一つ残さず消えてゆくのがいい感動だけがすべてだったと

講習会「ゴキブリ団子のつくり方」、PTAの総会にいる

学校は金太郎飴本舗ゆえ熟練工のような教師もいる

規律説き正義押し売る人もいて胡桃を潰すように個を潰す

まだ見えない雨を感じているような雨の匂いのする日曜日

世界はもう遠くへ行ってしまったと微熱ある日の夕べの風が

異型の子みごもる地球いつしかにチェルノブイリに雨は降りつつ

家庭という殻が重たくなっている葉裏にひそむわがかたつむり

鬱々と鬱を重ねてゆくばかり生気失せゆく今日鴎外忌

難破した船から救い出すように絶版の書の数冊を購う

言葉とは冬の桜と詩人が言う風たちの歌聴いて育てば

「火薬庫」で火薬爆発、容赦なく苛酷に生きよと中東の風

新安値つけている日の市場ゆえ避暑地の猫のように眠ろう

そしてまた黄昏刻の映画館 「秋津温泉」「雪国」の恋

完結が死であるならばこの旅は滅びの歌がよく似合うはず

日本へこの子を連れていって下さいとチェルノブイリの若い母親

誰が死んでも空は照り風は真夏の街馳け抜ける

夕焼けが窓染めている安っぽい映画みたいだけれど綺麗だ

午前五時「桑の都」の蒸気立ち「中村豆腐」の硝子戸が開く

俊ちゃんと夏中行った香炉園、海水浴場だった昔に

私の生まれた頃の魚崎の海もきれいに澄んでいたはず

流木で沸かした産湯に入ったわけで漂いながら生きてるわけで

去年まで母が元気でいた家が八月の雨と草木の中に立っている

わけもなく今日は心が軽くなり九月初めの雨に濡れている

空はもう秋の空だと雲が言う日本海には高気圧がある

一顧だにかえりみられないもののため 石を積んだり崩してみたり

そしてもう春は最後の春になり秋は最後の秋になるかのかも

汗ばんで眠っていたのは睡蓮の葉かげに眠るおやゆび姫

万人に見放されている気がしているたった一人の人を失い

負へ負へと退却していた私の兵隊たちを呼び戻している

ひまわりに似た花が咲く夏の朝それも晩夏の雨上りの朝

〈カグー〉君は飛べない鳥と呼ばれているなぜそうなったのか誰も知らない

深海魚うちあげている秋の海何を嘆いている海だろう

国分寺の家の樹に似て太い幹蝉がとまっている夏の闇

窓際に誰かが忘れていった本 風が読んでる「梁塵秘抄」

私も月の小舟を一人漕ぐ「梁塵秘抄」の桂男のように

始まりはイエスの方舟、ものみの塔、富士の裾野にオウム鳴くまで

「オッチャン」は元気でいるか 方舟は夏の終りの海漂うか

また空が小さくなったまた青いシートが空へ伸びてゆく街

火炎ビン葦簀に移って燃え尽きた。三島屋商店炎上の経緯

不安との道連れであるあまりいい人生送っていないのである

その心見えなくなって長い日が、長い時間が過ぎてしまった

思い出を少し残して消えてゆくいつかあなたもいつかあなたも

レコードの針を降ろした時の音、多分忘れてしまうだろう音

振ってごらん揺すってごらんもしかしたら記憶の底の音がするから

生きて逢う最後の夏を見るように積乱雲をあなたは見ていた

悲しみは時が癒すという嘘を信じるふりを誰もがしていた

「苦楽園」誰が名付けし駅名と 小さな駅に人を待つ時

北側の窓から猫が出入りするすすきが白い川べりのアパート

じゃがいもを剥きながら思う一節 お皿を洗いながら思う一章

つい二年前まで母は生きていたその街角を曲って消えた

母だって死んでしまった神無月 見捨て給うな月は欠けても

悲しみに胸を切られて血を流す出血多量の夕焼けがある

「あなたさえいれば私は生きられる」久しぶりに読む恋愛小説

健全な市民のように生きたいと泥棒貴族の最後の仕事

そしてもし明日があるなら始めましょう貴方と二人の子供の暮し

何でもない普通の日々でも薔薇の日々、明日があるなら明日も薔薇色

世界中が留守になったと思うでしょうあなたのいない世界の夜明け

何の夢も希望もないと思える日「ヒマラヤの芥子」の絵葉書が来る

揺れている揺れて何かを想っている落葉前線移りゆく頃

虫喰いも形不揃いなるもよしその新鮮さ食してみたし

マーケット情報今日も変化なし大いなる雲空を覆えど

秋の午後歯医者の椅子に座っている「夜半には雨」と気象情報

究極は心の壁を持たないこと ホームレスヨーコ ニューヨークにいる

今そこを風が通っていったのは きっと精霊になったあなただ

「ジェラス・ガイ」レノンの口笛聴いている雨だれを聞くこともないから

恋しさに似たるは水の悲しさに母病むときは血のかなしさに

いずれ死屍累々の私だ 廃墟のような胸の洞だ

暮れかけた空見上げれば空さえも雲ばかりその蛇腹を見せて

投げている石の行方は知りません海がさらってゆくのでしょうか

誰かが幸福になれば私も幸福になれる 羊のような雲も浮かんで

「ローズ家の戦争」はいいまだたしかにいい初めに愛があったのだから

人一人たとえ病んでも狂っても笑い話になるだけだろう

住む人が変われば家も変わるのさ あなたのいない人生だって

今もまだ病院にいると思おうか私は一人と思わないため

ざわざわと樹を揺する風 起きなさい目覚めなさいと樹を揺らす風

素裸で立っている樹が美しい何にも飾ってない樹が好き

「アフリカは悲し雲も森も無く」滅びゆくものみな美しく

紙吹雪一枚残る青春は誰のものでもないプロローグ

あきらかにほがらかに声充ちる時、永遠の別れと誰思うらん

戦争が終れば次の戦争が、終らなくてもまた戦争が

結局はお伽話であるらしい生まれも育ちもひよわなる花

つるされてあまくだりくるたかみくらたみのかまどはにぎわうらしも

戦略も計画もなく生きていて、いつか身ぐるみ剥がされていて

多国籍軍兵士のための子守唄、女優メリル・ストリープも歌う

今日からは見えない犬を飼いましょう「犬でも飼えば」終る憂鬱

中東に今陽は射していたりけり青き地球の病み初むる頃

言ってみればこの雨のひとしずくのようなものかもしれない私は

タランチュラ赤い年老いた星雲 銀河に咲いた昏い紫陽花

太陽が暗くなるまで炉を燃やす ほろりほろりと人が死ぬまで

無条件降伏強いる強いられる貧しき者は幸いならず

一度だけ不用意だったことがあるあの時そしてそれからはない

充電を予告している赤ランプ かく果てしなく膨らむ宇宙

昔々地球という星があった 天満宮には桜も咲いて

三鷹にも雨は降るかもみぞれかも 春の雪降る禅林寺かも

茉莉さんが冷たい雨に濡れている茉莉さんは雨が好きだったけれど

この星に少し後先になって生まれてもしかしたら出逢えて

人生はこうして流れ去ってゆく「淡雪流る」その春の日に

「問題は数学ですね。」今回は私は母として聞いている

放心をしているような午后の空、春のプールに揺れている影

教室の窓から遠く眺めていた 鉛色したある日の海を

青谷を降りれば海星女学院、聖母子像も遥かなる街

春早き神戸の街の花吹雪今年の桜見ずに終りぬ

昨日来て今日帰りゆくような旅 親しみ薄き街になりゆく

この駅は久坂葉子の死んだ駅、阪急六甲通過している

もう一度風に逢うため私も一つの風となるための旅

私は急ぎ始めているらしい生き急ぐというほどではないが

老残を見せたくはない見たくない、風を誘って散る花がある

距離感が私を誘う 水流は風を含むと中国の詩に

ついにもう昨日の夢のように降る、雨のプールをみているある日

雨の日の雨のプールを見ている日 降りたくて降る雨なのだろう

N極は北極星の方を指す。北枕して人も去りゆく

既にもう優しさに似た残忍さ着心地のよい毛布にも似て

夢よりも儚き世とは思わざり日々生き難きこの世なりけり

もうすでに遠い思い出かもしれないこうしてみんな終ってゆくね

通いあう心もたない私と線路向こうの昼鳴く鶏と

純白の花咲くように純白の死が突然にあなたを捕え

麻酔事故 脳死十日の後のことピアノ教師の死のあっけなさ

もっと普通のありふれた、たとえば沈む夕陽のような

甲府から二つ目の駅が身延線善光寺駅、桜散る駅

満月の夜の花散る無人駅、銀河鉄道停車する駅

郵便はまだ来ていないかもしれない春の便りは少し遅れて

またいつか逢えればいいね春が来て花が咲く頃逢えるといいね

雨はもう降らないだろう離れ住むひとの心を伝えるようには

春今宵老父一人の逝った夜、湖の霧晴れてゆくらし

様々に色変えながら咲くことにすでに疲れていたりけるかも

誰だって魔法の杖は持ってないもちろん私の手は空っぽさ

幸福の青い鳥などいないことただ樹のように朽ちてゆくこと

私を呼んでいるのは洗濯機、「朝日のあたる家」の薄闇

沙羅の木の風に鳴る時風を知る夢見る頃を過ぎて久しき

とどめを刺すこともできるというように一秒間の空白があり

この岩を裂いてつくった切り通し落ち行く先も風の断崖

敗軍の将は鎌倉道を逃げ首塚一つ残していたり

もうすでにあきらめている人生の放課後に吹くその夏の風

その胸に咲く薔薇のため降る雨の優しさだけを愛しはじめて

日常が重く切なく辛いなら風の青さが身にしみるはず

見知らない街には見知らない人が、昔のあなたに似ている人が

逆瀬川、仁川、夙川、芦屋川、流れる水に花を浮かべて

玄関に猫が六匹居眠って、ローランダス家の風の休日

〈幕切れの見事さなんか言われても仕方がないよ生きていたいよ〉

手も足もからだも動かなくなってゆく、ダンディだった君の友だち

昨日まであった命が今日はない フォーミディブルは咲いているのに

やがて死はそこにひっそりやってきて待っているのだろうに 膝をかかえて

悲しんでばかりいないで夜光るこの遊星の光あつめて

地球ではいつも何処かでジェノサイド夜も目覚めて耳立てる犬

もし君が風になるなら海に出て帆を張る船の追い風になれ

やがて夜は明けるのだろう永すぎた君の白夜も終るのだろう

どこまでの私でいつまでの私 生きてなければいけないけれど

散り散りになってゆく雲 いつか見た夢なんかもう何処にもなくて

風が呼ぶあるいは雲が呼ぶなんて 誰も待ってはいない空なのに

夕やけが恋しい海の色が欲しい さまよう船をのみこんだ海

何度も何度もそう思う 虚しさの理由、悲しさの理由

死体なき殺人劇も終るから普通の日々も始まっている

衛星(シギント)はいつも見ていた天安門、アラビア半島、日本列島

砂漠は見えないものがあるという消えた死体や顔なき兵士

垣間見た世界の終りいつだってナンセンスなる世界の終り

人知れずグレていたんだ今日一日白い木綿に針刺しながら

従順に老いて死ぬゆえこの星に青い地球に緑の国に

湾岸より以後は朝夕刊を見ずニュースは後から知ることにする

風ははや時代をこえて吹くからに消去されてゆくホモ・サピエンス

〈我の死も友の死もない戦争〉と歌人の歌う戦争があり

中心は空虚で稀薄で退屈で自ら動く姿も見えず

その彼方、彼方の彼方の彼方まで もしできるなら遠く離れて

ほんとうに強い相手に勝てたならレジスタンスの勝利に酔える

メイフライニンフは今日も水遊びほんとうの自分にはいつなれるのでしょう

真っ白い曼珠沙華咲く〈石の華〉見えない花が今日もどこかで

私の生まれた冬のサモワールかなしみならば沸かせるだろう

千年の夜明け始まる新世界 月満ちるまで苦しむもよい

ほのぐらき憂いの森にかなかなと一期一会と鳴くなひぐらし

心には心の傷が絶え間なく〈優雅な行進曲〉が聞こえる

『何も無し』その日七月一四日、ルイ一六世の日記短く

終日をまた一生をうたたねのオブローモフの醒めて見る夢

死ぬ他は何にもしない夕陽さすそよぐ葉陰のアンシャン・レジーム

どのように生きても変りないものか 時に夕陽は美しすぎて

さびしさに空の真水を汲み上げて秋はこころのうちにこそ来る

晩年の母の気鬱をまぎらわす猫の行方もわからなくなる

後の世の人には何と呼ばれよう花火のような時代だとでも

こんなこともみんな忘れてしまうだろう三十年後の陽だまりにいて

何処にでも折って畳んでゆけるように絵筆数本持つだけの暮し

ささやかなこの幸福でいいのよと風に吹かれる青紫蘇の花

青い影、青い二人の影がある ゆきどまりかもしれない道に

ある日ふと空は裂けても虹もない明日を胡桃のように信じて

私がただ私であるために雨は静かにまた降ってくる

生きていることが一番大事なこと 九月の雨が降る優しさに

生きて在るそのことだけを愛してもトスカ暗愁かぜのゆうぐれ

幸福なことなのかしら日本に北半球に生まれたことが

ぼうふらのように発生した群れは冬の時代が生きられなくて

幸福な日々は終わって退屈な時代さえ去り、暗転の時

出て行って帰って来ない人もいる 街に空き家が目立つこの頃

透明な秋のつづきの日に消える ジジという名の黒猫置いて

病む時があるから癒える時がある一番好きな季節は晩秋

アマデウス、蝋燭の火が消えるから早く書いてよそのレクイエム

眠れなくなるのは思いつめたから《あんたとあんたの音楽のせい》

誰かもまたどこかで歌を歌っている朝が来るのが待ちきれなくて

雪、雪、雪、雪が降る 世界は白い愛に満ちている

狂うほか死ぬほかなくて居る砂浜 千鳥が波を呼んでいるから[ 智恵子抄より]

どこにももう飛び立てないし帰れない 華奢なつくりの鳥篭がある

五ヵ月の無音、訪れなき日々は紙を切るよりしかたもなくて

やつれてゆく姿見るほど強くないゼームズ坂は日に日に遠い

その恋の物語には封印を 虚しくひらく贖罪の花

晩秋の雨なら知ってるかもしれない私がこんなに疲れたわけを

だんだんと心も冷めていきますね 日向の匂い忘れるほどに

なお濁り濁りきれない街の空 静かに破滅することもある

おとなしく発狂するしかない真昼 ただ待つだけの時間の果てに

太陽は西に沈んでゆくときに少しみんなを幸福にする

いつだってあの人の後を歩いている二十年後を歩く坂道

電車からまだ見えていた赤い屋根、雑木林の古いあの家

もうそこに今は無い家、無い林 焚火していた黒沼博士

身のおき場心のおき場なき日暮 生まれた国に生きて暮して

日々辛酸日々に破滅をくり返す血の色に似た夕空がある

今はもう誰も呼ばない語らない星がどこかで瞬いている

ガリレオが望遠鏡で見た世界 信長公の回す地球儀

あの人はいつも悲しい眼をしている 夢で時々会うあの人は

一瞬の炎がそれを包みこむ 世界を支える樹が炎えている

どんな場所どんな時間にもホロコースト海の向こうはそんなに遠い?

身震いもしないで獣が目を醒ます 今太陽が昇ったところ

絶望と希望の間に架かる橋 それが虹なら消えやすい橋

祈らせて奪う命もあるだろう〈雪のサンタマリア〉の祈り

原子量58・933記号CO原子番号27それがすべての始まりだった

半身はバターのように溶けたから残った臓器は貴方にあげる

〈ハルシオン〉飲む大統領 明日もし西海岸に雨が降ったら

永遠に周りつづける宇宙船 帰還不能の飛行士がいる

帰れない宇宙船から見る地球 国境にいま雪が降ってる

いつまでの世界だろうか子供たち運がよければ時間はあるが

石積みの一つ一つの均衡と石の一つの忍耐力と

そしてまた時代は変わる青空の水平線の向こうから来る波

満開の桜の森の樹の下に二度と眠るな上野の雀

そう言えば短い戦争があった 長い破局が始まっていた

〈私〉の死につながってゆく足跡 遠く逃げれば遠く行くほど

誰だって最後は不慮の死を遂げる 運命という風の一撃

降りかかる雪はいつでも美しい とりわけろくでなしの死に顔

「学校に行きたくない」と電話して横浜線に自死せる少女

大丈夫父母は気づいておりません むしろ我が身を責めております

部外者に口外してはなりません貴方の子供が可愛いかったら

父母集会 美談、拍手で終ります めでたく一件落着します

朝刊に轢死と載ったそのわけを知ってはいても風の噂に

黒塗りはコピーミスというわけではなくて教育委員会の調査報告

校長は無事に退職されました 何事もなき春の夕暮

遠い日に逃げてしまった青い鳥 つがいの鳥の一羽だったが

雪だけがあなたの心の色に似て触れようとすれば消えてしまう

死んでいるのではないよ ただ眠っているのだ蝶は 石よ

傾いて立つ樹のように傾いて風の手紙を待っているだけ

いつの日かまた逢う風の又三郎 さよならだけが人生じゃない

これよりは終着駅へ突っ走れ春の日暮れの海岸電車

懐かしいオブローモフに逢ったんだ 午前零時半に別れた

絶望の他に何にもないのならその絶望を食べていなさい

それは怠惰のせいというのでもなく多分生まれつきの他なく

パラダイムシフト完了夜明けだと囀る鳥の声がしている

『君たちのために腐ってしまった』もっと上手に腐らせてあげる

この上はもう何もない焼野原 春の雪降る窓を見ている

逢えるでしょうきっといつかは逢えるでしょう君は優しいゴーストになる

死のうかもう楽しいことがないのならgame・overする揚雲雀

どん底に何度も落ちてきたじゃないもうお終いと思ったじゃない

倒れこむ愛があるならそれもいい知らんふりなどしているのもいい

積載量オーバー許容量オーバー風に吹かれていたかったのに

雛人形飾って納う武者人形飾って納ういつまでの花明り

「幸福の木の実」一粒あればいい尊厳がもしそんなものなら

降る雨のミサイルよりも怖いもの生きて気体になる私たち

激突で最後は終る松葉杖そっと隠していっても無駄さ

よかったら焔の瓶詰一ダース 夢の時間さ 炎やしてあげる

ダレモミナココロニキヅヲモツという ありふれた死もやがて来るべし

少し寒く少し疲れた。夏が来ても眠っていたい木の陰の蛇

明るい日、明るい五月 草も木も花さえ殺意秘めたる五月

看守付き格子付きではないけれど花降る午後にまだ行き逢わず

〈主体〉なら遊びに来たよ昨日から誰かの胸で死にたがってる

もう何も無いことを知っている新しい日々にも何もおこらないことを

憂愁の最前線はどこにある空が錯乱する夏の朝

この街にカラスが飛んでくるわけは死臭が漂いはじめたからさ

蜘蛛の巣の繊細な糸かけられてついに息やむまでの宙吊り

物置に蛇のぬけがらいたちの巣迷宮の入口というわけではないが

燃える街、暖炉に落ちた焼夷弾 母の記憶の中のその夏

川鉄の、神戸製鋼所の煙 阪神工業地帯の煤煙

ふりむけばいつでもそこに街角に、海があったが夢かもしれない

今さらに何を求めて小綬鶏は午睡している榛の木を呼ぶ

榛の木は応えられずに耳澄ます 崖を下ってゆく水の音

一行の詩には償う力がない ゆうべ生まれてけさ死ぬばかり

あじさいの花の下にはかたつむり 雨降る午後の物思いして

桜桃忌・鴎外忌など来ると思う 明るい雨の降る街に出て

灯篭の水に流れる八月は昨日を吹いた風に吹かれる

八月のさまよう死者が問いかけるドウシテワタシハカエレナイノカ

「もしかしたらこの手で殺したのかもしれない」王の悲惨は夏に始まる

健康で生きていること死なぬこと『辛酸佳境に入る』に至らず

初めから根こそぎだった草だから 不在は誰のせいでもなくて

「あきらかに産湯を出ない一生」と占いに凝る親戚の人

「情報が話してるから僕たちは何にも話すことがないんだ」

あんな死が僕の死なんて思うなよ 悪戯好きの天使のドジさ

いきなりの自己主張とも見えてきてなぜこんなにも血を見る世界

いうなれば二重の条件つきの生 台風の目の中の日本

一九九二年の夏である 日本が日本を病んでいる夏

それだってまた喜んで手を振って 前へ前へと押されていって

突き抜けて吹く風だったはずなのに中上健次死す夏となる

しなければよかったことの一つ二つ生まれたことに比べれば何も

明日きみが死んだら信じてあげるその嘘の幼さ

雨雲は東へ去ると伝えくるさらに深まりくる欝らしき

あの人を嫌いにならないでおこう雨の日はラフマニノフを聴きながら

もう誰もいないから空は晴れて明日は明かるい日になるという

鬱陶しいほどの緑のなかにいて湧水に手をひたしていたり

富士川の上流という早川で貝の化石を拾ってきました

星が落ち貝が化石になるまでの時間をヒトは蛍のように

みすずかる信濃追分ふりむけば桔梗色した秋が来ている

その人も白いすすきのように立ち〈笛一管による井筒〉舞う

血まみれの時代の顔がふりかえる 撃ち抜かれている人間の顔

木陰から木陰へ続く小径より栗のいが踏み上る石段

栗の木の栗落ちる音えごの木の実の雨だれに似て風に鳴る音

くぬぎの実ならの実しいの実けやきの実かしの実も落ちよ風の連弾

夕暮の富士シルエットになってゆく想い出だけで生きてみようか

国分寺崖線に立つ古家は嵐吹くたび傾いでいった

海亀を見においでって言われた日 まだ観音寺にいた頃のこと

海亀は漁協の樽に入っていた お酒をのませて海に帰した

その町に昔私は住んでいた「浦島太郎」の村の子のように

千年もその前からも住んでいたその頃の人もまだいるような

伝説の岩 女が身を投げてその血に染まった海の赤岩

漁師には海があるから海へ出る 人はどうして生きるかなんて

絶滅種の一つになるかもしれない海に降る雨が見たくて海見ていれば

意味もない 疲労ばかりが快い耐えがたいまで哀れな人生!

豚よりもましかもしれないヒヒならば・・・桜の園に死にたきものを

恩寵のように澄んだ青空 美しい冬です風邪をひかないように

お気遣いは無用 微かな苛立ちといつも同じ軽い憂鬱

誰よりも柔らかそうな栗色の捲毛はナポレオンの遺髪

睡蓮と蓮の違いを誰かが言う眠く気怠く美術館の茶房

マケドニア、昔大王の生れし国〈フルーツポンチ〉の危険な香り

まだ君の火薬は湿っていませんか?僕の火薬は濡れていますが

木枯らしがおまえを待っているばかり隠れ家はもうないのだからね

暗いから灯りがとても美しいだから暗闇を怖がらないで

小鳥はいつ逃げたのだろう檻はいつ私を閉じこめたのだろう

また冬が来るのだろうか何連れて 掌にのるほどのかなしみ

ひとすくい匙で掬ってごらんなさい焦げる匂いがする 胃袋で

どの草もみんな同じ倒れ方 倒され方も似てくるものね

東洋の辺境に棲む水澄まし 波紋までもが愛らしいんだね

Ir・GaGa 水を私にと祈る シュメール文字が巨石に残る

夢を見た出血多量の紅雀 しばらくは眠れそうもない

照る月に流れる雲の影映る 湖底に村が一つ沈んだ

ともかくもそれを涅槃と呼ぶがよい行き倒れたる〈同行二人〉

御誂え向きにぼろぼろではあるがなかなか着心地のよい隠れ蓑

美しく時は過ぎたと思うべし切断の後動く虫けら

憧れて生きていた日もあったのに多分そうだったのに 忘れた

交番はいつも不在だ神様もいつも不在だ『パトロール中』

「お母さん かたつむりって貝なんだよ」 六月の雨、雨の降る庭

風ならば初夏の小径を吹いていた 古井戸一つ隠す草むら

つわぶきの黄色い花も咲いていた萼あじさいの群落の蔭

王女という渾名のがまが待っていた 雨降る前の夜の玄関

美しい楽しいことはもうないと街の隠者のように棲む蟇(ひき)

洞窟にluminous moss光蘚(ひかりごけ) 未知なるゆえに我は愛せり

行く航路(みち)を見つけたのかもしれないね 船の舳先に灯りが見える

そこだけに風が流れている気配 河口に近い海を見ている

夕焼けが好きだった子供は夕焼けが好きな大人になった それだけ

天国に一番近い収容所 一生何もしなかった罪

抵抗がなくなったから飛べません 漂うことももうできません

あの声で遠い昔も啼いていた 夜明けの空に弧を描くカラス



                       『短歌人』・『未来』
祥  * 『風は旅人』(初出「短歌人・未来」 * 18:27 * comments(0) * trackbacks(0)

風は旅人

      風は旅人











夢を見るうつらうつらのうたたねに信濃追分あたりを歩く



今日もまた優しい嘘をついている富士の笠雲雨呼んでいる



ごまかしてもっと上手に誤魔化して泥の小舟で湖を渡るの



半年もほったらかされた天皇の異常のデータ朝刊に読む



子を残し空に帰れぬ鶴がいて夕べの雲を倦かず眺める



禅林寺へ行ってみました三鷹で降りて 昨日どこへも行くところなく



森茉莉も納骨されるはずだという森家の墓地の花枯れている



花と酒、それも津軽の酒がある 太宰治は幸福な死者



この町の七十軒の古時計ネジマキ屋さんにまかされている



脚立持ち修理具入れた鞄持ちネジ巻き歩く古時計の町



崖にある足跡一つ晴れた日に海を見ていた恐竜X



鉛筆の芯折れている音がするどこかの沼で魚が跳ねる



犯罪を犯したいほど雲一つ草木一つも動かぬ真昼



街路樹の赤い風船ひきちぎり春一番の南風吹く



私を支配しようとする人を紙飛行機に乗せて飛ばそう



すねかじりすねをかじってかじりきりその一本を捨ててきている



ひとり出かける日の駅前に浩平の好きなボンネットバス



つつがなくうつらうつらとすぎていてカフカの変身他人事ならず



こめかみのくぼみは何のせいだろう牙なき象のかなしみのため



夕焼けを夕焼けとしか言えなくて他国の風に吹かれているよ



前の家の庭の木を切り草を抜き蜜柑をひろいどくだみを摘み



西向きの狭い小さなバルコニー咲いているもの花と呼ぼうか



花じゃない西日わずかに陽と思い顔傾けて咲く花なんて



一枚の葉は見つかりましたかと陛下と小倉遊亀さんの会話



税務署と市役所と法務局行ったり来たりで日が暮れている



たましいが何かにあたって鳴る音が風の中からきこえてくるよ



春を抱く春の光を抱いているれんげ畑の小さな王女



竹とんぼ自由一つを羽にしてただ風だけを友だちにして



日常がただ日常で過ぎてゆく等身大の鏡の中で



生きているとどんどん汚れていきますね表面積が大きくなって



人は死に土塊になり灰になり空の雲より淡いものとなる



太陽は天の赤道通過中眠気とだるさとたたかいながら



一年はわずかな時間の経過だとスザンヌ・ヴェガの歌聴きながら



「漁船の絵」アラン・シリトー読んでいる土曜の朝と日曜の朝



アリさんも歌ってみればよかったのにキリギリスよりアリへの手紙



四十代の女はみんな元気だという話聞いているうち疲れてしまう



鴎外忌初めて暑い夏の日のその日の墓地に風もない日の



絶版の「父の帽子」の中にいる父鴎外と森家の人々



森鴎外、太宰治と森茉莉と静かに眠れ梅雨まだ明けず



一葉の父のふるさと塩山のすもも花咲く二本木の道



二本木行きバス終点のバス停の馬小屋の馬、留守番の馬



何をしているかわからぬ家があり馬一頭が繋がれている



あの窓の一つの窓に住んでいる 歩道橋を斜めに歩く



一冊の本落ちている石の上、蟻が見ている旧約聖書



旅立ちの支度をしているいつの日か来る私の旅立ちの日の



こうもりが薄暮の空を飛んでいるまだ帰らない子供を待って



夕空に一つ星あり三日月あり近づき消える飛行機もあり



美しいというものはあるどこにでも小さな家の軒に降る雨



お魚が雨傘さして歩いてる「エッフェル塔とロバ」の風景



追憶のロシアが見えるフランスの海に河岸に空の向こうに



こんな夜更けにまた火事らしい 窓に映っている灯と私



ねずみ来て話してゆくと祖母が言うひとり居るより楽しいと言う



八幡の大杉樹齢数百年「皮一枚のぼくの人生」



嬉々として弾けるように跳んでゆくはるばると来て海を見た子が



満ち潮に靴さらわれて流されて網で掬っている小学生



左舷には純漁村風、右舷には地中海風風景がある



なせばなるやればできると思ったこと一度もなかった死に極道され



丸坊主になってしまったベンジャミン何が悪かったのかなあって考えている



葉も枯れ土も減ってしまった幸福の木ますます過分数になっていくね



千代田区一番町の夕闇に病む人あるらし水鳥も病む



雨がまたざんざん降って夜になる 九月東京、雨の東京



東京の空から太陽消えている 医師団は血を入れ替えている



土曜日の約束をして別々の道を帰って日常である



こんな午后もしあったなら鴨川の石になってもよいほたる草



されどされどさびしさびしと言う人よ雨の降る日の優しさごっこ



昨日から熱あるようなないようなぼんやり過ごす雨の休日



貴腐ぶどう熟れる夕陽の落ちる町あずさ九号通過する町



少し汚れ少し壊れて美しい騎馬民族の王の水差し



あの頃の夢がどこかへ消えたと言うどんな現実に捩じ伏せられて



落ち着いて玉葱切っている時間 涙は何のせいでもなくて



母が死んだ ただそれだけのことなのに親族一族すべてが視える



栗の実を拾ったことも今ではもう遠い昔の夢のようです



何もかもお終いだって知っていて何も知らないふりをしている



ふるさとの海へ行こうと話してる春休みには大橋渡り



ざる一杯バケツ一杯の海老やシャコおやつに食べていた漁師町



浩平と二人で渡る瀬戸大橋海老の匂いのする町に来る



ホラーでない異次元世界見たいから超高層の夕陽見ている



広島のことはやむをえなかったと語りし天皇眠る天皇



戦争の死者たちがもういいと言うあかげらの歌が寂しいゆえに



明日ゆく日出ずる国の天子ゆく空襲の日の空に似た夕焼け



血塗られた昭和の果てに血を替えて天皇はゆく何も告げずに



冬ざれの史蹟公園散歩する缶コーヒーを片手にもって



千曲川上流育ちクレソンを佐久の馬刺の大皿に盛る



転がされ棄てられている一塊の土のようなる影のようなる



細長い廊下の向こうに海があり座敷の向こうに海光る家



この生のさなかに訣れし人あれば春立つ頃の月を忘れず



半分は冗談だった薄情さ私の本質だっただなんて



しばらくはこんな調子で流されて流れるままに流されてみて



なまじっか愉しい日々があったから後の月日がさびしいのです



夜行性みみずく一羽起きてきて日々の軽さに爪たてている



物語(レシ)と呼ぶにふさわしい一生もあり母たちの世代



畑にも庭にも雨が降っている蓮池に咲く花にも降るよ



冬眠のがまとこの頃の私とどちらが先に目を醒ますのだろう



鹿苑寺「白蛇の塚」の子孫かも赤と黒との小さな小蛇



通夜の客若い日の名で呼びあって遥か昔の物語する



見知らない記憶すらない一生に支配されゆく一生もある



来たる闇行く世の闇の何処より光はありてわがいのち在る



生きている私に砂をかけている耳をすませば弔いの鐘



夜明けから降りだした雨昨日まであなたの庭に降っていた雨



一日中雨が降ってる一日中雨を聞いてる蛙……私



祈りにも似た暮しなどに憧れるこの春ゆえの軽い変調



どこまでも空っぽだってことのほかその錯乱の理由を知らず



メッセージはもうどこからも届かない何の憂いもないはずの日々



光れ風 野分よ奔れ残生と呼ぶに短き時生きるため



人の世の栄枯盛衰見てきたる烏梢にとまる夕暮



平家谷、落人部落、桃源郷、杏花咲く村に来ている



父と子と古い公図を開いている古屋敷二町歩八幡平五町歩



犬目行きバスに揺られて四十分 君恋温泉今日は訪ねる



本陣の道を歩けば土埃 四方津へ降りる最終のバス



二重の生、二重の私を生きている梅雨入りの日の空々漠々



家を売り家を購いまた家を売りそうして心はざらざらになる



核融合試験官でもできるらし詩のようなもの創っているらし



人恋うて人恋いやまぬ夕暮よ蛍の沢と呼びし深沢



「夢だけに生きれば終り」腹が減ったか?と訊いてるレノン



「憎しみは愛だけが消す」ジャワルナデ大統領の手の鳩が飛ぶ



もう死んだ気になっているのか夏の蝶 幾何学模様の中に眠って



突然に視界展けて富士がある木のトンネルを抜けて行ったら



縁側に出て村を見る富士を見る南アルプス邑の朝焼け



道端の小石を蹴って歩いている彼岸花咲く寺までの道



富士よりも高く住むような村に来て無住の寺で聴く蝉しぐれ



もっと引けもっとサラッと歌えという艶歌の竜のひばりへの注文



私は暗いところで暮していた名だけ明かるい学園通り



閑雅なるよきものなんてこの世には存在しないものかもしれない



棄ててきた何かを思い出すように晴れた空から雨降ってくる



優しくも強くも生きてゆけないしオブローモフにもなれないけれど



失ったものの記憶は新しく脱け殻はみな標本になる



遠く住む友の葉書を読んでいるその街はもう雪が降ってる



思い軽く生きているよと告げている花と木のことだけ書いてある



何よりもその見通しの明るさは人がお金を出しても買うもの



身に即しあまりに近く身に即し息苦しくてならぬ石仏



まるでもう今日の不条理のように暗い舞台を見せられている



俳優の松田優作死んだ日に滝沢修のゴッホ観ている



蝋燭のほかには何もない舞台、青い炎になった老優



エピローグ、宇野重吉のナレーション死者に感動させられている



利休の死、死の死があって残るもの、流派という名の形骸ばかり



サイレント・マジョリティなどと呼ばれいつも何かに括られている



西多摩のなんじゃもんじゃの旧家には「富貴安楽」の額掛けてあり



街中の五重の塔をとり囲む墓一千基陣形に似る



火だるまになって死ぬのも非業なら延命治療という非業死もある



「萩の寺」その名おぼえて来てみれば墓地分譲は今盛りなり



奥多摩の渓谷二千年前の海パレオパラドキシアの伝説



生まれ落ちたる時の他にはドラマなく垣間見るだけの私の人生



「そしてまた雨ふる今夜私の両手は緑いろ」とソーサの歌う



焼き芋を売る声なども聞こえくる冬至の夜の駅裏通り



地下街にホーキを持った魔女がいる雪も降らない降誕祭前夜



魔女はもう空を飛べない世を忍ぶ仮の姿に地を這うばかり



一人旅、寅さんの身に憧れる自分が少し壊れはじめて



喪の明けた一月七日新年も〈貧しい庶民〉の暮ししている



雪ちらちら春の岬に降ってきてスティル・ライフはもう終わるのです



カムチヤツカ半島の先の点々に住んで原子炉の火も燃やしている



立葵、義手にて描ける人もいてただ思い出のためだと言って



北陸は能登能美郡根上町春の煙の立つ昼下がり



ひかえめに静かに生きてみたくなる酸晴雨降る白い一日



今は最期、とぎれとぎれのつぶやきのそのつぶやきのように降る雪



切れ切れに想い出したりして雪に 終幕近いシーンの音楽



昔見た夢のつづきをみるような「戦争と平和」の国の映像



夢ロシア雪のロシアのサモワール世が世ならという祖母の口癖



ここにいる私はいったい誰だろう春のうららの墨田川かな



墨田川ベイエリアまで川下り未来が少し見えてくるまで



もう誰の心も残っていないから風の別れのような青空



虹立つは昨日一人の魂が空へ急いで帰った軌跡



誰もいない午前の日差し浴びている昔の恋のような冬の陽



簡単な引っ越しが済んでマイケルと呼ばれた猫の飼い主も去る



生きていることさえ無駄の一つかも三月十日春雷を聞く



脳細胞の数ほどの渦巻銀河系宇宙、ピケットフェンスを幾つ超えても



ブラインド越しに見ている街の空、赤い屋根から濡れはじめている



いつからか既にオールド・ゼネレーション ミック・ジャガーの皺深き顔



南から吹いてくる風もう春が扉を叩いているのだろうか



ゆっくりと見えない破滅に向かっている何にもない日の春の夕暮



酸性雨降る雨の夜は鎧戸をおろして昔話をしよう



温室になった地球で生きている半分死んで病んで狂って



人が死にそしてそれから何もない 窓ガラスには雨の雫が



離れ猿次郎は親を知らざれば自分を猿と思わざりしよ



それぞれの運尽きるまで凩天にそよげよ風が流れる



人生と共に息しているような気がしないんだこの頃私



ぬかるみを歩いた人の足あとがぬかるみの中残されている



吸いこまれそうな魔の淵 透明な水に透明な魚が泳ぐ



月曜日の鬱のことなど書いてある「あなたも病気」という本を読む



朝は昼に昼は夕べに夕べは朝に何の不思議もないのだけれど



人類の子供二人を育てている春爛漫の空の真下で



少しだけ暗いところが好きだった陽あたる丘に住んでいたから



音のない雨を見ている音のない風を見ている一年の後



向かいあい一人は絵地図一人は歌のようなものなど書いている午後



煙突の見える場所から描いている五歳の地図の空の拡がり



星空の下のテントで眠っている消息絶った重信房子



隠れ家に日常があり石鹸の匂いしている幼児がいる



地下鉄の地下に水湧き流れる音淋しい人が背中押される



思う程死ぬのは簡単じゃないと呼吸不全に陥りながら



病院の地下には霊安室があり待機している葬儀屋もいる



究極のなれの果てなる同窓会初夏の銀座の三笠会館



一九九〇年の街角でグレタ・ガルボの死を聞くばかり



若い日は誰にもあったはずなのにシーラカンスのように眠って



私のためというなら何のため私は生きているのだろうか



日曜日の教会の裏は荒井呉服店 春の燕が通り抜けする



体制は黄昏の色、世紀末漂流民は流氷に乗り



黙示録開いてみたくなるような額の象徴もつゴルバチョフ



魂の蛍明滅しただろうあなたが病んでいた夏の日々



白い手のさよならだった細くなり小さくなって優しくなって



長い夢みているような気がします醒めない夢をみているような



エルドラド幻の郷エルドラド金の釣針のむ魚たち



蛙、蛇、鰐棲む河の流域に栄えて滅ぶ エルドラドという



地球儀の文字書き換えるミャンマーと、昔「ビルマの竪琴」を観た



教科書も地図もすっかり役立たない世界史に風、新しい風



NHK「七色村」のマリエさんプラハの春は再びめぐり



さよならがどうもになって終ること長い時間が流れていたこと



東洋の小男一人立っていてマチスの聖母子眺めているよ



ドミニコ会ロザリオ礼拝堂の壁、線で描かれたマリアとキリスト



美しいものは戦国乱世の落城の日の天守の自害



国分寺の家に行ったら咲いているえごの花びらもう泥だらけ



雨降れば傘さしてみる萼あじさい去年と同じ色に咲いてる



降る雨のように触れられないならばいっそ何にも無いほうがいい



気がつけば横になりたくなっている雨の日は雨の音聴きながら



何一つ残さず消えてゆくのがいい感動だけがすべてだったと



講習会「ゴキブリ団子のつくり方」、PTAの総会にいる



学校は金太郎飴本舗ゆえ熟練工のような教師もいる



規律説き正義押し売る人もいて胡桃を潰すように個を潰す



まだ見えない雨を感じているような雨の匂いのする日曜日



世界はもう遠くへ行ってしまったと微熱ある日の夕べの風が



異型の子みごもる地球いつしかにチェルノブイリに雨は降りつつ



家庭という殻が重たくなっている葉裏にひそむわがかたつむり



鬱々と鬱を重ねてゆくばかり生気失せゆく今日鴎外忌



難破した船から救い出すように絶版の書の数冊を購う



言葉とは冬の桜と詩人が言う風たちの歌聴いて育てば



「火薬庫」で火薬爆発、容赦なく苛酷に生きよと中東の風



新安値つけている日の市場ゆえ避暑地の猫のように眠ろう



そしてまた黄昏刻の映画館 「秋津温泉」「雪国」の恋



完結が死であるならばこの旅は滅びの歌がよく似合うはず



日本へこの子を連れていって下さいとチェルノブイリの若い母親



誰が死んでも空は照り風は真夏の街馳け抜ける



夕焼けが窓染めている安っぽい映画みたいだけれど綺麗だ



午前五時「桑の都」の蒸気立ち「中村豆腐」の硝子戸が開く



俊ちゃんと夏中行った香炉園、海水浴場だった昔に



私の生まれた頃の魚崎の海もきれいに澄んでいたはず



流木で沸かした産湯に入ったわけで漂いながら生きてるわけで



去年まで母が元気でいた家が八月の雨と草木の中に立っている



わけもなく今日は心が軽くなり九月初めの雨に濡れている



空はもう秋の空だと雲が言う日本海には高気圧がある



一顧だにかえりみられないもののため 石を積んだり崩してみたり



そしてもう春は最後の春になり秋は最後の秋になるかのかも



汗ばんで眠っていたのは睡蓮の葉かげに眠るおやゆび姫



万人に見放されている気がしているたった一人の人を失い



負へ負へと退却していた私の兵隊たちを呼び戻している



ひまわりに似た花が咲く夏の朝それも晩夏の雨上りの朝



〈カグー〉君は飛べない鳥と呼ばれているなぜそうなったのか誰も知らない



深海魚うちあげている秋の海何を嘆いている海だろう



国分寺の家の樹に似て太い幹蝉がとまっている夏の闇



窓際に誰かが忘れていった本 風が読んでる「梁塵秘抄」



私も月の小舟を一人漕ぐ「梁塵秘抄」の桂男のように



始まりはイエスの方舟、ものみの塔、富士の裾野にオウム鳴くまで



「オッチャン」は元気でいるか 方舟は夏の終りの海漂うか



また空が小さくなったまた青いシートが空へ伸びてゆく街



火炎ビン葦簀に移って燃え尽きた。三島屋商店炎上の経緯



不安との道連れであるあまりいい人生送っていないのである



その心見えなくなって長い日が、長い時間が過ぎてしまった



思い出を少し残して消えてゆくいつかあなたもいつかあなたも



レコードの針を降ろした時の音、多分忘れてしまうだろう音



振ってごらん揺すってごらんもしかしたら記憶の底の音がするから



生きて逢う最後の夏を見るように積乱雲をあなたは見ていた



悲しみは時が癒すという嘘を信じるふりを誰もがしていた



「苦楽園」誰が名付けし駅名と 小さな駅に人を待つ時



北側の窓から猫が出入りするすすきが白い川べりのアパート



じゃがいもを剥きながら思う一節 お皿を洗いながら思う一章



つい二年前まで母は生きていたその街角を曲って消えた



母だって死んでしまった神無月 見捨て給うな月は欠けても



悲しみに胸を切られて血を流す出血多量の夕焼けがある



「あなたさえいれば私は生きられる」久しぶりに読む恋愛小説



健全な市民のように生きたいと泥棒貴族の最後の仕事



そしてもし明日があるなら始めましょう貴方と二人の子供の暮し



何でもない普通の日々でも薔薇の日々、明日があるなら明日も薔薇色



世界中が留守になったと思うでしょうあなたのいない世界の夜明け



何の夢も希望もないと思える日「ヒマラヤの芥子」の絵葉書が来る



揺れている揺れて何かを想っている落葉前線移りゆく頃



虫喰いも形不揃いなるもよしその新鮮さ食してみたし



マーケット情報今日も変化なし大いなる雲空を覆えど



秋の午後歯医者の椅子に座っている「夜半には雨」と気象情報



究極は心の壁を持たないこと ホームレスヨーコ ニューヨークにいる



今そこを風が通っていったのは きっと精霊になったあなただ



「ジェラス・ガイ」レノンの口笛聴いている雨だれを聞くこともないから



恋しさに似たるは水の悲しさに母病むときは血のかなしさに



いずれ死屍累々の私だ 廃墟のような胸の洞だ



暮れかけた空見上げれば空さえも雲ばかりその蛇腹を見せて



投げている石の行方は知りません海がさらってゆくのでしょうか



誰かが幸福になれば私も幸福になれる 羊のような雲も浮かんで



「ローズ家の戦争」はいいまだたしかにいい初めに愛があったのだから



人一人たとえ病んでも狂っても笑い話になるだけだろう



住む人が変われば家も変わるのさ あなたのいない人生だって



今もまだ病院にいると思おうか私は一人と思わないため



ざわざわと樹を揺する風 起きなさい目覚めなさいと樹を揺らす風



素裸で立っている樹が美しい何にも飾ってない樹が好き



「アフリカは悲し雲も森も無く」滅びゆくものみな美しく



紙吹雪一枚残る青春は誰のものでもないプロローグ



あきらかにほがらかに声充ちる時、永遠の別れと誰思うらん



戦争が終れば次の戦争が、終らなくてもまた戦争が



結局はお伽話であるらしい生まれも育ちもひよわなる花



つるされてあまくだりくるたかみくらたみのかまどはにぎわうらしも



戦略も計画もなく生きていて、いつか身ぐるみ剥がされていて



多国籍軍兵士のための子守唄、女優メリル・ストリープも歌う



今日からは見えない犬を飼いましょう「犬でも飼えば」終る憂鬱



中東に今陽は射していたりけり青き地球の病み初むる頃



言ってみればこの雨のひとしずくのようなものかもしれない私は



タランチュラ赤い年老いた星雲 銀河に咲いた昏い紫陽花



太陽が暗くなるまで炉を燃やす ほろりほろりと人が死ぬまで



無条件降伏強いる強いられる貧しき者は幸いならず



一度だけ不用意だったことがあるあの時そしてそれからはない



充電を予告している赤ランプ かく果てしなく膨らむ宇宙



昔々地球という星があった 天満宮には桜も咲いて



三鷹にも雨は降るかもみぞれかも 春の雪降る禅林寺かも



茉莉さんが冷たい雨に濡れている茉莉さんは雨が好きだったけれど



この星に少し後先になって生まれてもしかしたら出逢えて



人生はこうして流れ去ってゆく「淡雪流る」その春の日に



「問題は数学ですね。」今回は私は母として聞いている



放心をしているような午后の空、春のプールに揺れている影



教室の窓から遠く眺めていた 鉛色したある日の海を



青谷を降りれば海星女学院、聖母子像も遥かなる街



春早き神戸の街の花吹雪今年の桜見ずに終りぬ



昨日来て今日帰りゆくような旅 親しみ薄き街になりゆく



この駅は久坂葉子の死んだ駅、阪急六甲通過している



もう一度風に逢うため私も一つの風となるための旅



私は急ぎ始めているらしい生き急ぐというほどではないが



老残を見せたくはない見たくない、風を誘って散る花がある



距離感が私を誘う 水流は風を含むと中国の詩に



ついにもう昨日の夢のように降る、雨のプールをみているある日



雨の日の雨のプールを見ている日 降りたくて降る雨なのだろう



N極は北極星の方を指す。北枕して人も去りゆく



既にもう優しさに似た残忍さ着心地のよい毛布にも似て



夢よりも儚き世とは思わざり日々生き難きこの世なりけり



もうすでに遠い思い出かもしれないこうしてみんな終ってゆくね



通いあう心もたない私と線路向こうの昼鳴く鶏と



純白の花咲くように純白の死が突然にあなたを捕え



麻酔事故 脳死十日の後のことピアノ教師の死のあっけなさ



もっと普通のありふれた、たとえば沈む夕陽のような



甲府から二つ目の駅が身延線善光寺駅、桜散る駅



満月の夜の花散る無人駅、銀河鉄道停車する駅



郵便はまだ来ていないかもしれない春の便りは少し遅れて



またいつか逢えればいいね春が来て花が咲く頃逢えるといいね



雨はもう降らないだろう離れ住むひとの心を伝えるようには



春今宵老父一人の逝った夜、湖の霧晴れてゆくらし



様々に色変えながら咲くことにすでに疲れていたりけるかも



誰だって魔法の杖は持ってないもちろん私の手は空っぽさ



幸福の青い鳥などいないことただ樹のように朽ちてゆくこと



私を呼んでいるのは洗濯機、「朝日のあたる家」の薄闇



沙羅の木の風に鳴る時風を知る夢見る頃を過ぎて久しき



とどめを刺すこともできるというように一秒間の空白があり



この岩を裂いてつくった切り通し落ち行く先も風の断崖



敗軍の将は鎌倉道を逃げ首塚一つ残していたり



もうすでにあきらめている人生の放課後に吹くその夏の風



その胸に咲く薔薇のため降る雨の優しさだけを愛しはじめて



日常が重く切なく辛いなら風の青さが身にしみるはず



見知らない街には見知らない人が、昔のあなたに似ている人が



逆瀬川、仁川、夙川、芦屋川、流れる水に花を浮かべて



玄関に猫が六匹居眠って、ローランダス家の風の休日



〈幕切れの見事さなんか言われても仕方がないよ生きていたいよ〉



手も足もからだも動かなくなってゆく、ダンディだった君の友だち



昨日まであった命が今日はない フォーミディブルは咲いているのに



やがて死はそこにひっそりやってきて待っているのだろうに 膝をかかえて



悲しんでばかりいないで夜光るこの遊星の光あつめて



地球ではいつも何処かでジェノサイド夜も目覚めて耳立てる犬



もし君が風になるなら海に出て帆を張る船の追い風になれ



やがて夜は明けるのだろう永すぎた君の白夜も終るのだろう



どこまでの私でいつまでの私 生きてなければいけないけれど



散り散りになってゆく雲 いつか見た夢なんかもう何処にもなくて



風が呼ぶあるいは雲が呼ぶなんて 誰も待ってはいない空なのに



夕やけが恋しい海の色が欲しい さまよう船をのみこんだ海



何度も何度もそう思う 虚しさの理由、悲しさの理由



死体なき殺人劇も終るから普通の日々も始まっている



衛星(シギント)はいつも見ていた天安門、アラビア半島、日本列島



砂漠は見えないものがあるという消えた死体や顔なき兵士



垣間見た世界の終りいつだってナンセンスなる世界の終り



人知れずグレていたんだ今日一日白い木綿に針刺しながら



従順に老いて死ぬゆえこの星に青い地球に緑の国に



湾岸より以後は朝夕刊を見ずニュースは後から知ることにする



風ははや時代をこえて吹くからに消去されてゆくホモ・サピエンス



〈我の死も友の死もない戦争〉と歌人の歌う戦争があり



中心は空虚で稀薄で退屈で自ら動く姿も見えず



その彼方、彼方の彼方の彼方まで もしできるなら遠く離れて



ほんとうに強い相手に勝てたならレジスタンスの勝利に酔える



メイフライニンフは今日も水遊びほんとうの自分にはいつなれるのでしょう



真っ白い曼珠沙華咲く〈石の華〉見えない花が今日もどこかで



私の生まれた冬のサモワールかなしみならば沸かせるだろう



千年の夜明け始まる新世界 月満ちるまで苦しむもよい



ほのぐらき憂いの森にかなかなと一期一会と鳴くなひぐらし



心には心の傷が絶え間なく〈優雅な行進曲〉が聞こえる



『何も無し』その日七月一四日、ルイ一六世の日記短く



終日をまた一生をうたたねのオブローモフの醒めて見る夢



死ぬ他は何にもしない夕陽さすそよぐ葉陰のアンシャン・レジーム



どのように生きても変りないものか 時に夕陽は美しすぎて



さびしさに空の真水を汲み上げて秋はこころのうちにこそ来る



晩年の母の気鬱をまぎらわす猫の行方もわからなくなる



後の世の人には何と呼ばれよう花火のような時代だとでも



こんなこともみんな忘れてしまうだろう三十年後の陽だまりにいて



何処にでも折って畳んでゆけるように絵筆数本持つだけの暮し



ささやかなこの幸福でいいのよと風に吹かれる青紫蘇の花



青い影、青い二人の影がある ゆきどまりかもしれない道に



ある日ふと空は裂けても虹もない明日を胡桃のように信じて



私がただ私であるために雨は静かにまた降ってくる



生きていることが一番大事なこと 九月の雨が降る優しさに



生きて在るそのことだけを愛してもトスカ暗愁かぜのゆうぐれ



幸福なことなのかしら日本に北半球に生まれたことが



団塊の世代に先立つ少数派 少しひよわと言われて育ち



ぼうふらのように発生した群れは冬の時代が生きられなくて



幸福な日々は終わって退屈な時代さえ去り、暗転の時



出て行って帰って来ない人もいる 街に空き家が目立つこの頃



透明な秋のつづきの日に消える ジジという名の黒猫置いて



病む時があるから癒える時がある一番好きな季節は晩秋



アマデウス、蝋燭の火が消えるから早く書いてよそのレクイエム



眠れなくなるのは思いつめたから《あんたとあんたの音楽のせい》



誰かもまたどこかで歌を歌っている朝が来るのが待ちきれなくて



雪、雪、雪、雪が降る 世界は白い愛に満ちている



「智恵子抄」より



狂うほか死ぬほかなくて居る砂浜 千鳥が波を呼んでいるから



どこにももう飛び立てないし帰れない 華奢なつくりの鳥篭がある



五ヵ月の無音、訪れなき日々は紙を切るよりしかたもなくて



やつれてゆく姿見るほど強くないゼームズ坂は日に日に遠い



その恋の物語には封印を 虚しくひらく贖罪の花



晩秋の雨なら知ってるかもしれない私がこんなに疲れたわけを



だんだんと心も冷めていきますね 日向の匂い忘れるほどに



なお濁り濁りきれない街の空 静かに破滅することもある



おとなしく発狂するしかない真昼 ただ待つだけの時間の果てに



太陽は西に沈んでゆくときに少しみんなを幸福にする



いつだってあの人の後を歩いている二十年後を歩く坂道



電車からまだ見えていた赤い屋根、雑木林の古いあの家



もうそこに今は無い家、無い林 焚火していた黒沼博士



身のおき場心のおき場なき日暮 生まれた国に生きて暮して



日々辛酸日々に破滅をくり返す血の色に似た夕空がある



今はもう誰も呼ばない語らない星がどこかで瞬いている



ガリレオが望遠鏡で見た世界 信長公の回す地球儀



あの人はいつも悲しい眼をしている 夢で時々会うあの人は



一瞬の炎がそれを包みこむ 世界を支える樹が炎えている



どんな場所どんな時間にもホロコースト海の向こうはそんなに遠い?



身震いもしないで獣が目を醒ます 今太陽が昇ったところ



絶望と希望の間に架かる橋 それが虹なら消えやすい橋



祈らせて奪う命もあるだろう〈雪のサンタマリア〉の祈り



原子量58・933記号CO原子番号27それがすべての始まりだった



半身はバターのように溶けたから残った臓器は貴方にあげる



〈ハルシオン〉飲む大統領 明日もし西海岸に雨が降ったら



永遠に周りつづける宇宙船 帰還不能の飛行士がいる



帰れない宇宙船から見る地球 国境にいま雪が降ってる



いつまでの世界だろうか子供たち運がよければ時間はあるが



石積みの一つ一つの均衡と石の一つの忍耐力と



そしてまた時代は変わる青空の水平線の向こうから来る波



満開の桜の森の樹の下に二度と眠るな上野の雀



そう言えば短い戦争があった 長い破局が始まっていた



〈私〉の死につながってゆく足跡 遠く逃げれば遠く行くほど



誰だって最後は不慮の死を遂げる 運命という風の一撃



降りかかる雪はいつでも美しい とりわけろくでなしの死に顔



「学校に行きたくない」と電話して横浜線に自死せる少女



大丈夫父母は気づいておりません むしろ我が身を責めております



部外者に口外してはなりません貴方の子供が可愛いかったら



父母集会 美談、拍手で終ります めでたく一件落着します



朝刊に轢死と載ったそのわけを知ってはいても風の噂に



黒塗りはコピーミスというわけではなくて教育委員会の調査報告



校長は無事に退職されました 何事もなき春の夕暮



遠い日に逃げてしまった青い鳥 つがいの鳥の一羽だったが



雪だけがあなたの心の色に似て触れようとすれば消えてしまう



死んでいるのではないよ ただ眠っているのだ蝶は 石よ



傾いて立つ樹のように傾いて風の手紙を待っているだけ



いつの日かまた逢う風の又三郎 さよならだけが人生じゃない



これよりは終着駅へ突っ走れ春の日暮れの海岸電車



懐かしいオブローモフに逢ったんだ 午前零時半に別れた



絶望の他に何にもないのならその絶望を食べていなさい



それは怠惰のせいというのでもなく多分生まれつきの他なく



パラダイムシフト完了夜明けだと囀る鳥の声がしている



『君たちのために腐ってしまった』もっと上手に腐らせてあげる



この上はもう何もない焼野原 春の雪降る窓を見ている



逢えるでしょうきっといつかは逢えるでしょう君は優しいゴーストになる



死のうかもう楽しいことがないのならgame・overする揚雲雀



どん底に何度も落ちてきたじゃないもうお終いと思ったじゃない



倒れこむ愛があるならそれもいい知らんふりなどしているのもいい



積載量オーバー許容量オーバー風に吹かれていたかったのに



雛人形飾って納う武者人形飾って納ういつまでの花明り



「幸福の木の実」一粒あればいい尊厳がもしそんなものなら



降る雨のミサイルよりも怖いもの生きて気体になる私たち



激突で最後は終る松葉杖そっと隠していっても無駄さ



よかったら焔の瓶詰一ダース 夢の時間さ 炎やしてあげる



ダレモミナココロニキヅヲモツという ありふれた死もやがて来るべし



少し寒く少し疲れた。夏が来ても眠っていたい木の陰の蛇



明るい日、明るい五月 草も木も花さえ殺意秘めたる五月



看守付き格子付きではないけれど花降る午後にまだ行き逢わず



〈主体〉なら遊びに来たよ昨日から誰かの胸で死にたがってる



もう何も無いことを知っている新しい日々にも何もおこらないことを



憂愁の最前線はどこにある空が錯乱する夏の朝



この街にカラスが飛んでくるわけは死臭が漂いはじめたからさ



蜘蛛の巣の繊細な糸かけられてついに息やむまでの宙吊り



物置に蛇のぬけがらいたちの巣迷宮の入口というわけではないが



燃える街、暖炉に落ちた焼夷弾 母の記憶の中のその夏



川鉄の、神戸製鋼所の煙 阪神工業地帯の煤煙



ふりむけばいつでもそこに街角に、海があったが夢かもしれない



今さらに何を求めて小綬鶏は午睡している榛の木を呼ぶ



榛の木は応えられずに耳澄ます 崖を下ってゆく水の音



一行の詩には償う力がない ゆうべ生まれてけさ死ぬばかり



あじさいの花の下にはかたつむり 雨降る午後の物思いして



桜桃忌・鴎外忌など来ると思う 明るい雨の降る街に出て



灯篭の水に流れる八月は昨日を吹いた風に吹かれる



八月のさまよう死者が問いかけるドウシテワタシハカエレナイノカ



「もしかしたらこの手で殺したのかもしれない」王の悲惨は夏に始まる



健康で生きていること死なぬこと『辛酸佳境に入る』に至らず



初めから根こそぎだった草だから、不在は誰のせいでもなくて



「あきらかに産湯を出ない一生」と占いに凝る親戚の人



「情報が話してるから僕たちは何にも話すことがないんだ」



あんな死が僕の死なんて思うなよ 悪戯好きの天使のドジさ



いきなりの自己主張とも見えてきてなぜこんなにも血を見る世界



いうなれば二重の条件つきの生 台風の目の中の日本



一九九二年の夏である 日本が日本を病んでいる夏



それだってまた喜んで手を振って 前へ前へと押されていって



突き抜けて吹く風だったはずなのに中上健次死す夏となる



しなければよかったことの一つ二つ生まれたことに比べれば何も



明日きみが死んだら信じてあげるその嘘の幼さ



雨雲は東へ去ると伝えくるさらに深まりくる欝らしき



あの人を嫌いにならないでおこう雨の日はラフマニノフを聴きながら



もう誰もいないから空は晴れて明日は明かるい日になるという



鬱陶しいほどの緑のなかにいて湧水に手をひたしていたり



富士川の上流という早川で貝の化石を拾ってきました



星が落ち貝が化石になるまでの時間をヒトは蛍のように



みすずかる信濃追分ふりむけば桔梗色した秋が来ている



その人も白いすすきのように立ち〈笛一管による井筒〉舞う



血まみれの時代の顔がふりかえる 撃ち抜かれている人間の顔



木陰から木陰へ続く小径より栗のいが踏み上る石段



栗の木の栗落ちる音えごの木の実の雨だれに似て風に鳴る音



くぬぎの実ならの実しいの実けやきの実かしの実も落ちよ風の連弾



夕暮の富士シルエットになってゆく想い出だけで生きてみようか



国分寺崖線に立つ古家は嵐吹くたび傾いでいった



海亀を見においでって言われた日 まだ観音寺にいた頃のこと



海亀は漁協の樽に入っていた お酒をのませて海に帰した



その町に昔私は住んでいた「浦島太郎」の村の子のように



千年もその前からも住んでいたその頃の人もまだいるような



伝説の岩 女が身を投げてその血に染まった海の赤岩



漁師には海があるから海へ出る 人はどうして生きるかなんて



絶滅種の一つになるかもしれない海に降る雨が見たくて海見ていれば



意味もない 疲労ばかりが快い耐えがたいまで哀れな人生!



豚よりもましかもしれないヒヒならば・・・桜の園に死にたきものを



恩寵のように澄んだ青空 美しい冬です風邪をひかないように



お気遣いは無用 微かな苛立ちといつも同じ軽い憂鬱



誰よりも柔らかそうな栗色の捲毛はナポレオンの遺髪



睡蓮と蓮の違いを誰かが言う眠く気怠く美術館の茶房



マケドニア、昔大王の生れし国〈フルーツポンチ〉の危険な香り



まだ君の火薬は湿っていませんか?僕の火薬は濡れていますが



木枯らしがおまえを待っているばかり隠れ家はもうないのだからね



暗いから灯りがとても美しいだから暗闇を怖がらないで



小鳥はいつ逃げたのだろう檻はいつ私を閉じこめたのだろう



また冬が来るのだろうか何連れて 掌にのるほどのかなしみ



ひとすくい匙で掬ってごらんなさい焦げる匂いがする 胃袋で



どの草もみんな同じ倒れ方 倒され方も似てくるものね



東洋の辺境に棲む水棲まし 波紋までもが愛らしいんだね



Ir・GaGa 水を私にと祈る シュメール文字が巨石に残る



夢を見た出血多量の紅雀 しばらくは眠れそうもない



照る月に流れる雲の影映る 湖底に村が一つ沈んだ



ともかくもそれを涅槃と呼ぶがよい行き倒れたる〈同行二人〉



御誂え向きにぼろぼろではあるがなかなか着心地のよい隠れ蓑



美しく時は過ぎたと思うべし切断の後動く虫けら



憧れて生きていた日もあったのに多分そうだったのに 忘れた



交番はいつも不在だ神様もいつも不在だ『パトロール中』



「お母さん かたつむりって貝なんだよ」 六月の雨、雨の降る庭



風ならば初夏の小径を吹いていた 古井戸一つ隠す草むら



つわぶきの黄色い花も咲いていた萼あじさいの群落の蔭



王女という渾名のがまが待っていた 雨降る前の夜の玄関



美しい楽しいことはもうないと街の隠者のように棲む蟇(ひき)



洞窟にluminous moss光蘚(ひかりごけ) 未知なるゆえに我は愛せり



行く航路(みち)を見つけたのかもしれないね 船の舳先に灯りが見える



そこだけに風が流れている気配 河口に近い海を見ている



夕焼けが好きだった子供は夕焼けが好きな大人になった それだけ



天国に一番近い収容所 一生何もしなかった罪



抵抗がなくなったから飛べません 漂うことももうできません



あの声で遠い昔も啼いていた 夜明けの空に弧を描くカラス











<初期歌稿>(1980年〜 「短歌人」 )





存在の奥の欠落埋めがたく夾竹桃の夏もすぎゆく






雪の夜にランタン赤き窓ありて若き主人の古美術の店



坂道の西洋館の風見鶏ひとりぼっちでくるくる廻る



落陽の海見る丘の墓地近き外人学校新学期の秋



幸福は街の夜店の青い鳥 青く塗られたひよこなのです



縞馬と駱駝が見える公園の土手から見ていた朝焼けの海



授業抜け白紙答案出してきて校長室で書いた始末書



転生を願うことなき涼やかさ 今を最期のひぐらしの杜



アリのんでいるパンをすずめがひょいと食べてしまった



「邪魔だったから」家族殺しの少年のつぶやき夏の草いきれ



無残なる日々を生ききて今ひとり陶器の店を商う女あり



たとえば歌など何のためにこんなに空が青く澄んでいる



生きているだろうかまだ私は日々の渇きの充ちる時まで



今はもう絵空事です言葉です「気侭に風に吹かれるように」



荒海の船を導く火のありかセントエルモス・ファイアー消えたり



ひとすじの煙が空へ消えてゆく宙とつながる心のように



誰も知らない私があるように私も知らない私がいるだろう



青春の謝肉祭なら知っている 紙吹雪なら一枚残っている



反宇宙、反銀河、反地球、反私。何処にあっても今日の飲食



この村は星の里ですその昔隕石落ちたほこらがあります



弔いの夜の彗星は鳥だよと墓掘りながら村人が言う



雪山の端より月は上り出づ夜を照らして死を弔って



忍野村その八海の水底に幽界はあり光る魚あり



母病んでいる日の庭に鳥が来て昨日のパンをわけあっている



春になれば花も咲くさと陽だまりの土を踏んでみている



「パリの灯点って一周年」テレフォンカードの国立の秋



冬の樹の梢の彼方に消えてゆく黄色い飛行船を見ている子供



ひとときに人は死ねないものだから幼き者へ手紙を書こう



夕暮になれば富士山影になり石段降りる猫も影になり



どんぐりが帽子被って落ちているゆうべ風が吹いたらしくて



山椒の赤い実を腹いっぱいに詰めているよ香ばしそうな鳩だよ



白黒のぶちと茶色の子猫が林で生まれてさざんかも咲いた



風はまだ吹かないけれどいつか吹くと誰かが言っているような秋



往き帰り枯葉の寝床にうずくまる白い猫見るこの幾日か



駅前にビル増えてきて柿色の空のむこうの富士が小さい



犯罪の多そうな日だ今日一日春の嵐が吹き荒れている



明日のこと誰も知らない今日までの続きと思って葱きざんでいる



重くて古い自我などと言われているよNHKから来たディレクターは



スカラ座は閉館しますの貼り紙が雨にちぎられ飛ばされている



閉館の今日は優しい切符切るシモーヌ・シニョレに似た小母さんも



老館主右脚少し曳きながら閉館の日のロビーを歩く



難破船漂うように映写室雨降る中に残されている







網元の暗き湯殿にほの白き午前零時の湯気立ちのぼる



甲冑の触れ合う音のする如き黒き家並みの果てに海あり



断崖の上の老樹のそのもとに墓地あり小さき葬列が行く



白壁と定紋瓦、長屋門 昔日知らぬ子等の落書



その昔合戦ありという杜の傍ら行けば風花が舞う



舟隠し洞窟潮の引くときに小さき魚の残る岩陰



坂道に篭をおろして老人は道を尋ねしわれ案じ待つ



夕焼けの墓地に海見る少年は熟れしばかりの無花果を食む



花びらの雪降る朝は死者たちの今年最初の声とどく朝



やがてその石に夕焼けが射せば薄桃色の馬頭観音







*「短歌人」1980年より1993年まで、「未来」1990年より1993年までまでの作品より













祥  * 『風は旅人』(初出「短歌人・未来」 * 19:36 * comments(0) * trackbacks(0)
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