茂木敏江歌集『かぎしっぽ ふれふれ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年5月発行

印刷製本 株式会社わかば

著者 茂木敏江

『未来』、『楡の会』所属

 

 

 

お会いしたことはないが、

この歌集を読めば、

誰でも、この人が、

ひたすら正直で裏表のない人であることが分かるだろう。

ケレンや虚飾がなく、真っ白な紙に、

一筆一筆書いて行くように、

日々の思いを、淡々と詠う。

 

その歌は、著者の職業詠であり、

介護を必要とするようになった母や、

慈愛溢れる父の生前の姿をとらえる家族を思う歌でもあり、

歴代の飼い猫の愛らしさを写すカメラマンのような写実の歌でもある。

猫が、こんなに登場する歌集も珍しい。

 

表紙にも、口絵写真にも、「写真付き短歌」にも、

もちろん本文挿入写真にも登場する。

どの猫もめまぐるしく動き、安心を預けて眠り、

一人暮らしの著者の友だちであり

子どもであり、時には畏敬する王であり王子王女である。

 

どの猫も個性があり、やんちゃな仔猫や、野良猫の歌もあり、

生き生きとした生の塊が、穏やかな日常に小さな波乱を呼び、

攪乱し、また著者の手のひらで眠りにつく。

 

・硬直し初めて吾に触れさせし野良猫レオを葬る朝

 

・母猫を交通事故で失いし小猫がきたりココと名付けぬ

 

・手のひらの 上で遊べる 仔猫ヘルス 伸びをしたまま 眠りに入る

 

・母猫の乳首にすがり眠る仔を見守るごとく昼の月あり

 

・かぎしっぽを振れ振れココよ家猫よ幸せの扉開いておくれ

 

かぎ尻尾の猫は、幸運のお守りと言われている。

生い立ちは可哀想ではあったが、

幸福を運んで来た猫であったろう。

 

 

この本の中に、一人の女性の25年間がある。

あとがきに詳しいが、そのプロフィールにある生の過程が、

凝縮した一冊の歌集となって反映されている。

なかでも、歌集に挿入された亡き父との写真と歌が心を打つ。

 

・折り紙のうさぎをかざり初春の小江戸横丁タクシー流す

 

・「二度目ね」と吾がタクシーに乗車せし癌の女性は再入院を告ぐ

 

・弟は家内安全の吾が札に猫しかいないではないかと言う

 

・黒羽根の那珂川を吾は流さるる鮎竿をにぎり引き船を連れ

 

・三月のままの生家のカレンダー地震の日より母は老いゆく

 

・冬物の衣類それぞれに名前書く施設に入る母の持ち物

 

・「困ったことあれば言えよ」と父は言う鼻から腸に管を入れつつ

 

祥  * 『今日の歌 :本、印刷媒体』 * 15:28 * comments(2) * trackbacks(0)

鉢植ゑのあぢさゐを地へ移しやるゆふぐれ赤いシャベルも濡れて/永井陽子

・つつましき日をくりかへし雨の季がまた来ぬ 母の箒も湿る 

 

・禍転じて・・・・・福とならざる夏の日のへちまぼんやり見てゐたるのみ 

 

・母とふたり生きてほとほと疲れたれば海のやうなる曇日が好き 

 

・大屋根をゆつたり跨ぎ越してのち梅雨の晴れ間の虹が消えゆく

 

・負うべくは負ふてゆくべし碧天を音なく流れゐる天の河

 

・もろともにをさなかりしを天平の少女のごとく生きたかりしを 

 

                  永井陽子『てまり唄』より

 

 

雨の季節、湿気の季節。

さみしさも悲しさも包み込んで、

雨が降る。

永井陽子さんは、雨が嫌いではなかったようです。

永井陽子さんは、心がやさしく溶けていくような歌を書きます。

48歳、そこまで生きるのもくるしいほど敏感で繊細な方だったようにおもいます。

 

 

〈永井陽子さんの歌集〉

「葦牙」(1973・愛知県立女子短期大学文芸部)

「なよたけ拾遺「(1978・短歌人会)

「樟の木のうた」(1981・短歌新聞社)

「ふしぎな楽器」(1986・沖積舎)

「なよたけ抄」(1991・沖積舎)

「モーツァルトの電話帳」(1993・河出書房新社)

「てまり唄」(1995・砂子屋書房)

「小さなヴァイオリンが欲しくて」(2000・砂子屋書房)

「永井陽子全歌集」(2005・青幻舎)

 

祥  * 『今日の歌 :本、印刷媒体』 * 06:12 * comments(0) * trackbacks(0)

足立尚彦歌集『ひろすぎる海』

 

 

・あやふやな核の傘なり我が国の傘は骨だけなのかもしれず

 

・領土とはふしぎなことば。あるがままなすがままなり微生物らは

 

・アントニオ猪木の延髄斬り思うさば缶のさばの骨やわらかく

 

・折れやすい鉛筆の心 やさしさはHでもなくBでもなくて

 

・この蛇に脳のありき調弦をすればはるかに響くこの二胡

 

・とりあえず今夜は生きているだろう野菜売り場の野菜のように

 

・雨音のやさしい未明 夢なのか過去なのか妻はしずかに死にゆく

 

・燃えるごみの中には文字が多くあり言葉を連れてごみ出しにゆく

 

・秋霖に打たれて猫が歩きおり修行のように猫らしくなく

 

・うつむけばひろすぎる海 見なくてもひろすぎる海 うつむいている

 

・あの猫は孤独だろうか石段の途中に長い影をつくって

 

・豆腐買う豆腐をつくっているひとは誰もが真面目そうな気がする

 

・かなしみはぎらぎらじゃなくきらきらとしずかなりけり日暮れの川に

 

・工事現場の足場だ。まるで何もかもなかったように消える人生

 

・豚汁がとても旨いと思うとき豚の悲鳴は聞こえておらず

 

 

             足立尚彦歌集『ひろすぎる海』より

             2017年4月20日 定価1000円(税別)

            「ミューズ・コーポレーション」発行

 

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

 

足立尚彦さんの歌集を読んで。

 

感想代わりに、

勝手に返歌させていただきますね。

 

 

・遥かなるタクラマカンの砂漠には孫悟空飛ぶ蒼天がある

 

・西域を吹く風の音、風の色 月の沙漠に眠るみずうみ

 

・日本語は美しいもの 「秋霖」に濡れてゆくらし竹林と猫

 

・そうみんな消えて消え去るだけのもの ただ一本の塔を残して

 

・日の暮の川しずかなり 海と川まじる汽水に弾ける光

 

・存在の証あらなく逝きたれば ただ文字・言葉その反古残る

 

・豚汁の豚にも在りし日が  愉しからずや悲しからずや

 

 

                       2017.5.3  祥

 

祥  * 『今日の歌 :本、印刷媒体』 * 13:38 * comments(2) * trackbacks(0)

〈短歌紹介〉 

 

・目に見えぬ絶望小さく折り畳み何もなかつたやうに歩き出す

 

・生きのいい命を油で揚げてゐる生きろ生きろ生きろ蝉鳴く

 

 

        築林歌子 「晩年」『玲瓏』93号

 

 

・中上健次の最大の才能はその出自なりと柄谷行人言い切りにける

 

        浅利瑞穂 「謎の白昼」『玲瓏』94号

 

 

・これがさいごの春であっても指切りをしようわたしはわたしの歌と

 

        佐藤弓生 「誰も見てない」『短歌研究』4月号

 

 

祥  * 『今日の歌 :本、印刷媒体』 * 11:56 * comments(0) * trackbacks(0)

「蜘蛛の糸」かもしれないね。『手紙、栞を添えて」を再読。

 生きる根拠。

精神的共同体。


祥  * 『今日の歌 :本、印刷媒体』 * 20:56 * comments(0) * trackbacks(0)

『短歌研究』9月号 (短歌研究賞&短歌研究新人賞発表号)


『短歌研究新人賞』が発表されている。

受賞作(「父親のような雨に打たれて」)
と、次席2篇&候補作6篇を読んだ。

候補作の 「雷を鳴らさない」/松尾唯花 
だけがいいと思った。
後はみんなドロドロした感じがする。

 夕立が来そうだねって母からのメール まもなく夕立が来る   松尾唯花

時代は隔てているが、
サガンの『悲しみよこんにちは』を思わせる。

この人は、自分の言葉で歌っている。
自分の感性で書いている。
それが清々しい。




あと、今月の『短歌研究』の「短歌時評」
澤村斉美〈不謹慎の文学〉
が、とても良かった。
祥  * 『今日の歌 :本、印刷媒体』 * 18:57 * comments(0) * trackbacks(0)

喜多昭夫 少年詩篇『デュナンの休日』&短歌雑誌『つばさ』

・新しい歌読むことの幸福をしばらく忘れていたと思うよ

・モノクロの口絵の写真〈高校三年生の頃〉詩集『デュナンの休日』の扉をひらく

・《祈念のためのエチュード》が最後にある 死者たちと深く「息を合わせ」て

・短歌雑誌『つばさ』「黒崎恵未の世界」を特集する

・小島なお、野口あや子の名も見える 「ガールズ・ポエトリーの現在」を探る

・巻頭は、岡井隆氏の招待作品 鴎外の『於母影』(鷗外)または〈静〉

・ある意味で百花繚乱 岡井氏は鷗外の〈於母影〉に遊ぶ

・鷗外も岡井氏も「一介の歌人」にはあらぬ 愁い勝るとも

・せめて過ぎ行きは石見の人のごとく風雪に凛としてあれ

・春の夜の夢は幻 いつか見し虹も幻 荒野を駆ける馬の数頭

・風切って走る少年ある時は 日本海が育てた町の


祥  * 『今日の歌 :本、印刷媒体』 * 21:33 * comments(0) * trackbacks(0)

私の好きな歌/あの世まで誘ってゆく歌一首選ぶとなればこの歌の他になく

 

 

 

 

 

紅梅をもったときからきみはもう李氏朝鮮の使者なのである  / 久木田真紀

 

美しい歌は魂を浄化する。


どんな醜い心も、胸に吹く嵐も、すべて消し去る。
歌には何の現実的力もないが、他の力が何の意味も持たなくなるようなとき、
忽然と姿を現して、風のように吹きすぎるもの。
そしてその一陣の風が去ったあと、跡形もなく憎しみや
愚かしい心の戦場は消えている。



歌っている対象は現代の、一人なのだが、
朝鮮通信使の行列が目に浮かぶ。
そのように作られている。
「紅梅」、「李氏朝鮮」
語彙の照応が、美しく華やかな彼の国の宮廷文化を鮮やかに浮かびあがらせ、
朝鮮通信使の行列が、陽光溢れる瀬戸内、旧い港町である鞆や牛窓を通り、
賑わう大阪、京都、名古屋、さらに賑わう江戸へ、

絢爛とした日光へと通って行った街道沿いの風景をも思い起こさせる。



 

 

 

 

 

 

祥  * 『今日の歌 :本、印刷媒体』 * 04:16 * comments(2) * trackbacks(0)

『短歌研究』2月号より     川野里子/遠来

応接室にしばしを独り 正解をさがすごと選ぶ母の死に方

延命装置「しない」に丸をつけてをり寒雲ひとつわが上に浮かび

人体は止むことのなき吹雪なり気管切開「する」に丸せり

歩けぬ老母は置き去りにしてゆくべきかゆくべきならむある段差にて

わが裡のしづかなる津波てんでんこおかあさんごめん、手を離します

わが家がいいやつぱり我が家が一番、と言はなくなりぬ老母の何かが

ベッドがひとつ便器がひとつ陽当たりの良き部屋ここに母は捨つべし

ああここが閻浮樹の下か背負ひ来し母を捨ててもよきひとところ

髪切つてもらひし母は素直なり河童のやうにたのしくなりて

ノックする音してをりぬひつそりと人生ならぶ廊下がありぬ

手摺りに縋りゆつくりと歩みゆく母はやがて吾なり吾が彼方なり

母よりはわれがわれよりは子が生き残るべきなり白き椿は咲きて





『短歌研究』2月号の川野里子さんの「遠来」30首
より引用させていただきました。
重いテーマと作家の力量が拮抗して、感慨深い30首となっています。

祥  * 『今日の歌 :本、印刷媒体』 * 21:08 * comments(0) * trackbacks(0)

浅利瑞穂『キャラミティ・タウン』

 キャラミティ・タウン    浅利瑞穂

気が付けば枕許を水が流れいて不審に思い起き出ずる夜

水の神は玄関よりは出でまさで奥座敷より不意に現わる

体不自由な姉を水から抱き起す ずしりと重きは命の重み

冷蔵庫がポカリポカリと炊事場に浮ぶを眺めて術なかりけり

泥流に脚踏み入れし人ありて慌てて飛び出す豪雨の夜更け

ソージ機もガスレンジもパソコンも水に浸かりて用をなさざり

冠水の家財道具の展示品 目抜き通りをところ狭しと

水にふやけし遺体に掌をば合わせりと銭湯の客のダミ声聞こゆ

死者の名を紙面で見つけ過ぎゆきの言葉の端々思い出しいる

原始人の生活なり台風十二号襲来以後のわが家の日々は

災厄の家でメガネや腕時計、帽子や手帳がするかくれんぼ

キャラミティ・タウンで続く立ち話、ためらう事なく夕陽は沈む

阪神が勝っているなり水害の後片付けの途次ふと耳にする

水の神がさらいゆきたる魂に祈りを捧ぐ長月九月

断水用に湧き水一缶差入れて呉れにし友も疲れおりにき



災害の多かった年も、もうすぐ暮れる。
後ひと月あまり。

浅利瑞穂さんは、和歌山県新宮市に住み、
台風12号の水害に遭った。
地元紙に掲載されたという「キャラミティ・タウン」。
許可を得てUPさせていただく。

体験した人でなければ分からない水の怖さ。
不意に水がしのびよっていた、
目覚めると、水が枕許を這っていたという。

エラリー・クイーンの『Calamity Town』に題を得たのだろうか、
目覚めれば、まさに「災厄の町」と化したわが町が、
そこにあったのだろう。
床下まではあっても、まさか、床上浸水し、
冷蔵庫がプカプカと浮いて漂うとは、
排水路も整った市街地が水浸しになるとは、
予想だにしなかったろう。

それが、、悪夢ではなく、ある日、現実となっていた。
平凡な日常が、非日常に変わり、
昨日まで言葉を交わしていた人が遺体となり、
見馴れた街角に、浸水した家財が山と積まれる。
パソコンも通信機器も水没し、
片付けようにも掃除機も、用を為さない。



水はどこで生まれたのか、
ひたひたと音もなく迫り、
今もどこかで水嵩を増している。

祥  * 『今日の歌 :本、印刷媒体』 * 21:37 * comments(2) * trackbacks(0)
このページの先頭へ