銀河最終便 前半

 
花詞集
詩曲
海の絵
         
       水たまりの空
       硝子の狐

         
         
       水没樹林
      《天使の翼》
       白い孔雀
       禽獣の森

あとがき







   


花詞集
光彩を放っているね移り気な忘恩の花ラナンキュラスよ
許されることがなくても美しい ひっそりと咲く狐の曾孫
サフラン「節度ある態度」を学びたい歓喜の季節はもうすぐという
檀の木、真弓のようなしなやかなあなたの魅力を心に刻む
無邪気だと西洋カラハナ草のこと誰かが言うからそうなのだろう
もう私死にそうな気がしていますムギワラギクが憶える前に
花魁草ほんとうの名は草夾竹桃 温和な日々が流れますように

ライラック苦しきことを忘れんと買い求めくる水無月の花
大毛蓼、蓼科の蓼は多年草 河原にあっても汚れない心
生涯信じますって何を?ツルボランって無責任だね
キスツス=私は明日死ぬだろう 八月八日の花言葉です
ノカンゾウ何を宣告されている萱原に夏来るという夕べ
シャガ=反抗、大根の花に混じり咲くシャガの一群れ小川のほとり
使者の首を奪っておいで イチハツの花咲きいでて美しい月
公園の花壇の隅に咲いている日々草は日々元気

美しい企み秘めてクレマチス旅人の手の赤い風車
れんげ草あなたの苦痛を和らげる道端にまだ残る春の日
スイトピーどんな優しい思い出も失うまでに時間はいらない
不死・不滅・心配ご無用ヒモゲイトウ鶏頭のその赤い冠
臆病なオシロイバナは思います芥子の慰めさえ遠過ぎる
誰ゆえに名づけられしか万年草 記憶の底の花に逢いにゆく
うなだれて主人の下知を待つように控えるように咲く弁慶草
アケビには白い心の疚しさが才より樹液溢れる果肉

アヤメ咲く危め殺めと変換す 薄紫に野原を染める
「愛の通夜」いったいどうしてそんなことに 茉莉花の花祭り
オナモミっていったいどんな花なのと、「怠け」だなんて他人事じゃない
死んじゃいたい。そんな気分になったりするルピナスおまえは貪欲すぎる
フェイドアウトしてゆくだろうゆっくりとギンヨウアカシア退去の言い訳
芙蓉咲く繊細にして陽気な花 富貴の歓楽充ちる夕闇
桃色のアルメリア咲く海近くお日様のどんな心遣いで
「頼りすぎ」蔓紫の花言葉 明日は何で笑おう私

詩曲
ピアノ聴くけだるき午後の瑠離色のサティを聞けば夏の雪降る
夜の窓 微かに聴こえる洩れてくる 小さな灯りと「悪魔のトリル」
タルティーニ、不死を夢見るヴァイオリン 腱・腓疼く「夜のト短調」
台風が来ているらしいこんな夜 「薔薇への三つの願い」聴こうね
クレッシェンド・デクレッシェンドどうしろというのだ降ったり止んだり雨は
バルトーク、ショスタコビッチ、プロコフィエフ  圧政ありて鳴り出だす音
バルトーク・ベラ、ベラ・バルトークいずれでもいずれにしても生き難き生

雨月には透明石のような曲 ピアノと管弦楽の組曲
ドビュッシー編曲による「ジムノペディ」 秋空に浮く露草、地球
ストラホフ修道院のコンサート冬のプラハの雪のセレナーデ
森の奥 予言の鳥は飛んだかしら シューマンの鳥、眠りの森の
天井に天使舞うから図書室の空に予言の鳥も羽ばたく
ラルケット 天使が喇叭吹くときに 始まるだろう世界の終わり 
烏羽玉の夜に目覚めて儚ければヴァイオリン・ソナタのための第二楽章 
マーラーの『復活』を聴く 演奏はルツェルン祝祭管弦楽団

やわらかく弦の音から始って木管楽器が続くその後
第二楽章、中でも最も美しい数節の連弾が消えている
フリードリヒ・グルダのためのコンサート 弦とピアノと一つの記憶
リコ・グルダ、パウル・グルダに父グルダが愛していると伝える楽譜
七転び八起きの八が来ないからショーソン作曲「詩曲」の中へ
アナトール・サルバトーレの弦の音聴きつつ震えている夏の翅
旋律ハソコデ膨ラミソコデ消エソコデ躓キソコデ泣クノダ
大四楽章「生」 九十歳、朝比奈隆が振る終楽章

旋回、旋回、旋回、旋回グラン・ジュテ! 薔薇、薔薇の精、跳ぶニジンスキー
明日からはBプログラム秋燦々 シルヴィ・ギエム最後の〈ボレロ〉
中空に炎となって舞うギエム 速水御舟の〈炎舞〉にも似て
舞台には時空をこえる橋が架かり 江戸のすべてが通って行った
魚屋も飛脚も手代も虚無僧も 遊女も瓦版売りも通って行った
なんという長い退屈 絢爛な退屈として「十二夜」がある
シルエットから始まって絢爛の豪奢にいたる次第、夜の部
幕開きの桜吹雪と鏡面のほかには船の率い出される

だんまりのような春来て薄闇を動く人影、散るさくら花
小忌衣、得体知れない衣装なれど義経が着れば貴人の衣 
久松の籠かき二退三進し花道を去る 籠かきにも花道
私の金魚が仮死した日 花道引いてゆく船弁慶
「恐ろしいのはお前の心」鶴屋南北の見た人の闇
その手紙見せよと迫る鬼女がいて 脚曳き歩く歌舞伎の女
華やかなその色彩は一転しモノクロームの雪降る世界
とめどなく太鼓は打たれとめどなく舞台の雪が降りしきる

海の絵
森の樹の小枝であったその時も風は知らずに吹きすぎていた
虫喰って風に倒れて流されて海を漂う流木になって
貝殻やわけのわからないものたちが私の身体に一杯ついて
貝殻を取りたくたって離れない中から腐るだけの流木
でもやがて魚が中に入って来て 私は魚になっていました
「太古の海」「盆の海」など話す時ジャック・マイヨール氏自殺の訃報
絵葉書のグラン・ブルーに百匹のイルカが描く海の曲線

絵葉書の海の底にはプランクトン 鮫や鯨の重なる屍骸
海は待つ 海底杳く藻のそよぐ 竜宮の亀、浦島を待つ  
紫雲出山、仁尾の海辺に佇めば太郎の亀も来る燧灘 
海水を一杯入れた大盥 大海亀の甲羅も光る
天蓋を支えて亀は永遠の孤独の賢者 風に吹かれて
海と砂、水の記憶のたどりゆく指の向こうはすべて水色
夜明けには太陽昇るその海の水平線の傷よ 海の絵
約束はまだ果たせない花便り 渡海船は一日二便

絵葉書の余白に滲む海の色 桜前線黒潮育ち
観音寺、豊浜、箕浦、伊予三島 夕日に染まる金色の海
暮れ残る琴弾浜の銭型の寛永通宝、砂に描く文字
雨の音聴きながら見る財田川 財田川河口の廃船
牡蠣舟の残骸のこす財田川、三架橋から見る冬の川
三架橋、琴弾八幡、神恵院 楠の大樹と涅槃の釈迦と
眠る象、眠る釈迦牟尼 菩提樹はいのち養う至福の眠り
ふるさとの涅槃の釈迦の寺に立つ樟の大樹の夢の千年

金色の海に浮かんだ島影が遠くなるまで夢になるまで
洞門を舟がくぐれば海光る 水の耀き海の輝き
玉藻よし讃岐の国の玉垣の八幡宮の鯨捕る絵馬
北前船船主寄贈の随身門 金襴、緞子、祭礼の絵馬 
海上を西に東に往来し 北前船は夢運ぶ船でありしか
雨霧城、由佐城、仁尾城、九十九城 讃岐は城もお結びコロリン
重なって重なってゆく音韻のさやかに平安京の名残りの
百合が咲き水仙が咲く断崖のせり上がりゆく波の先端

急坂をのぼれば台地、八幡と隣りあうのが主と西新屋
長屋門の片袖使って開局し水色のペンキ色褪せてゆき
時を隔て波を隔てて語りあう 幾千の闇越えて見たもの
風でした海を渡って行ったのは 主従八十余騎の武者絵の
キリスト教布教を許した戦国の武将は微風を纏うその人
海を見る覚城院の一隅に在りし都の花零れ咲く
風ならば無人の島の廃屋の枇杷の木の葉もそよがせるのに
浜辺には連歌の人の庵跡 遠浅なれば青の漣

大徳寺襖絵に見る花鳥図のエネルギッシュな中世の力
その人が愛した茶碗と掛け軸と歌に連なる一筆の書と
一滴の血のつながりのありやなし 四季花鳥図のかささぎほどの
一切の敵に離れて春の城 連歌に遊ぶ 滅びてあらむ
城は火を放って落ちる 自害してその人の子も夢も炎に
そのように自害した人幾人も連枝連雀、炎の蒔絵
姫神の曲も終わってふるさとの潮騒すでに聴こえなくなる
やがてもう死もなく生もない世界 時が洗っていった砂浜





   




水たまりの空
ソノヒトガモウイナイコト 秋の日に不思議な楽器空にあること
春の雨しずかに降れば黄昏の心満たしてゆく水位線
線虫の名は「シー・エレガンス」月満ちて生まれ生まれる千個の命
宇宙には音の泉があるのでしょう星の音階たどった母船
アレルギー物質一杯溜め込んで痒いのだろう漆、櫨の木
致死量の愛を点滴するように深夜に雫する雨の音
薔薇色の海には死とか永遠が貝殻のように沈んでいます

国立の大学通りの桜も咲く 銀杏書房の洋書に挿む
赤松の林と駅舎、一橋大学のあった国立は遠い
オレンジの瓦の三角屋根が見え 林が見えて崖のあの家
丘の上、雑木林と五軒の家 その丘に建つ一棟の屋根
『砂の器』菅野光亮作曲の「宿命」のテーマと加藤嘉と
鬱蒼と樹木は茂り雨粒が羊歯の葉陰に溜まっていった
どんぐりが帽子被って落ちている 華麗な秋のさみしい一個
白い蛾と瑠璃色の蝶ゆっくりとピンで刺されて標本となる

「再見!」とあなたは行ってしまったね 春の日逢った人が春逝く
もう飛べない飛びたい夢ももう持たない東京湾に夕日が落ちる 
そして風!天翔る鳥、火の鳥は光になるよ《グランド・ゼロ》の 
ゆっくりと記憶の野火は放たれて手負いの獣追いつめてゆく
誰よりも愛しているというように春の雪降る、生まれたばかり
薔薇病めば棘もまた病む 桜桃忌・鴎外忌など来る雨季の憂鬱
昨日また誰か死んだね、雨の燕「いつもこの駅で降りていた人」
夏来ればさやぐ身なれば白い旅 水呑む龍が睨む一水

『モデラート・カンタービレ』の悲鳴から始まるそんな八章
この星のどこかに必ずいるだろう 反世界にも雨のかたつむり
野の果てにタンポポ枯れて綿毛飛ぶ 日本に帰りたいしゃれこうべ
百手という弓矢の神事 本年の「鬼」を射抜いた射子衆の射子 
熊の仔は走る熊の親も走る 阿寒の冬は終ったらしい
原潜が浮上している春うらら東京湾に立つ蜃気楼  
揚雲雀、力の限り飛翔して悲しみ告げる茜空あり
森の奥静かに水はきよらかに野生の樹林貫いてゆく

曇りなく晴れた東京 人工の渚に遊ぶヤドカリの群れ
蜘蛛の巣も蟻の巣もあり蜂の巣になるかもしれない東京に住む
水よりも静かに時を刻む音ユンハンス製目覚まし時計
江戸の鐘、ノートルダムの鐘の音、川面に春を告げていた音
金属のベルトの一部が歪んでいる 鈍い光沢、遺品の時計
誰一人待たない故郷と知ったとき柱時計も止まった気配
もう既に死に絶えている血の系図 人気ない夜軋む秒針 
お別れにもう一度だけゆっくりと螺旋階段上る日時計

ホップには薄緑色の花が咲き、夏の雨降る微かに匂う
吊るされしまま削がれゆく鮟鱇の体内にありし頃の水嵩
泥牛蒡、葱がはみ出す袋がある この夕刻の淋しい時間
土蜘蛛は長病みにけり病み臥して心弱りて糸吐きにけり
石たちがお喋りしているカワラヒワ蝦夷山鳥のように日溜りで
きっとこの石そっくりの魚もいて石のふりして眠っているね
ブック・オフに知は百円で売られけり 海を渡って死んだマンモス
病み疲れ病み呆けてもいる花びらが水無月の文になりたいという

〈屋根書けば屋根打つ雨の音も書け〉甍に落ちる一粒の雨
吊り革がゆっくり揺れて吊り革の先に透明傘が一本
雨傘はもう要りません私の心を隠す傘はないから
ここに包んできたのはあなたへの愛 でも引用禁止です
てのひらに残るぬくもり月光の生み落したるひかりの卵
石炭を燃やして走る列車なら見えただろうか被弾する森
苦蓬・チェルノブイリの4号炉覆う石棺 雨のロシアの
大根でも洗っていなさい御城下の城下鰈 川霧がつつむ朝

金色の筋が燿めく桜色 イトヨリ鯛より細く美しい魚
丸亀藩婆沙羅の系譜、宇和島藩伊達の系譜の綺羅好む血よ
水中に泡見えるとき夏空の青を映した魚がよぎる
河馬がいた動物園の午後の雨 八重桜咲く遅春の雨
あの時もあの日も頼りない風がマルメロの葉をそよがせていた
森の香も清しき樫の木の舟も二人の櫂も流されていた
丸窓や四角い窓を額縁に京都落西錦繍の秋
月の舟、〈お椀の舟に箸の櫂〉絵本の中の舟遠ざかる

レクイエム聴こえて愛の第二章 ページに挿む木の葉の栞
白い花ジンジャー香るこの夕べ花に降る雨、小径の翳り
一度だけ破ってしまうかもしれない「悲の器」にはしない約束
定点で観測してもわからない山襞深く病む人までは
大切な一日のため雨よ降れ しずかにひらいてゆく花がある
風よどむ日の匂いがあるとあなたは言う 海の匂いを伝える手紙 
川沿いの道を歩けば見えてくる海の背中と白い帆船
ひらり 蝶 ひらり ふわり と街川の 流れをこえて春の野に出づ

モビールのイルカが泳ぐモビールを動かす春の風があるから
大きな木 勇気・元気と名づけられ雨の公園の真ん中に立つ 
人が死ぬ その時何が起こるのか 花束を乗せた始発電車よ
日曜の海見る丘のニュータウン 殺意の薔薇の棘もびっしり
アメリカの猟奇映画のような事件 その足元をぬらす滴り
廃線のレールがのびてゆく村にひらく月夜の無数の茸 
怨念は砂漠に海に降り沈み夜の底いを流れるオイル
永遠の無国籍軍フェルマータ国境越える蜜蜂部隊

腫瘍G大蝸牛の脳髄に紫陽花を食む花降る時間
リンパ腺、耳下腺腫れて五月闇 灯ともし頃は鬱兆す頃
爆心地グランド・ゼロの記憶より無花果の夕べ滴る乳の
永遠のはらわたを抜く作業して『レ・ミゼラブル』バック・ステージ
しっかりと遺伝子を巻き閉じこもる巻貝にして憎悪のシチュー
たっぷりと大きな愛が注がれて〈地球〉と名づけられて生まれる
マエストロあなたの優雅で繊細な音の海から私は生まれた
閃光に地球は開き天蓋の草原もゆる焼けて爛れて

薄青い鳥の刻印標されて封印された夏の消息
水色の万年筆の筆跡の高瀬一誌と記した太さ
亡くなった政田岑生氏デザインの玲瓏箋の藤沢螢
郵便の記念切手のその一つ「水辺の鳥シリーズ」の鳥たち
メジロ、カルガモ、モズ、カケス合計420円。鳥獣戯画の鳥の部を貼る
「森の詩」鳥の切手を貼って出す アトリ科アトリさんへ速達
「ふるさと切手・近畿の花」 枝垂桜の白き憂鬱
鹿の絵の郵便切手十円の切手の中の草炎える春

硝子の狐
実存が話してるからドン・パブロ 隠れていても堕ちたりしない
水棲人、木棲人の洞の奥瞼ひらかぬ魚や蜂の子
忘れられさびしかったと三日月が小舟浮かべる春の湖
一人でいい一人がいいと春の月 いつしか水に還った海月
病み疲れほろりはらりと紫木蓮 月へ帰ってゆく泣き兎
あるものは今宵離れゆく大空を火の粉が舞う火の鳥だろう
雪じゃない花が散ります桜ですこれが最後の波瀾万丈

見憶えはこの薔薇色の蛇にして石棺守る女王の蛇
舌あれるほど食したる蝶・葉虫 蝦蟇も蝸牛も篭もれる枯葉
潮の海 でいだらぼっち身を浸す 肘・膝、擦ってゆく鮫・鯨
銀青の燐粉散らし甍越え 水惑星をこえてゆく蝶
宙をゆく風の帆舟や月の馬 虚空の底に湧く星の砂
磁気嵐すぎゆく月の砂漠にも月の仔馬や兎が眠る
流されて流れて待てば億年の氷河の底に眠るマンモス
ゆうべ聞く冬の雷、冬の雨 草木地下に眠る幸福
ロシアには永久凍土という水凍り水を湛える森林がある
合法的脱出をしたのね透明なある日世界の隙間を抜けて
いつしかに逸脱すれば逸脱の果てに青空流れゆく雲
カッシーニ、その空隙は誰のもの 愛のためにこそディスタンスはあり
人生を楽しみましょう 降誕祭 冬には冬の日の美しさ
禽獣はなべて楽しむ春の日は若草を焼く草炎える音
起動音、受信する音 機能する音はしずかに充ちて来る潮
洋上を遥か風立ち飛べざればヤンバルクイナは夢見るばかり

その人に夕べの愁いあるらしき うすむらさきの硝子の埃
瑠璃、青玉、翡翠、水晶、硝子体 ルネ・ラリックの硝子の小壜
火の髪の火の飲食の弱法師 夏来ればニンゲンを返せと
武蔵野はむかし飛火野 飛火野の野焼きしてみよ硝子の狐
鸚鵡にはおやすみなさいを教えよう硝子の小壜が涙壷とも
もの憂くて倦んで疲れて死にたくて心の奥のガラス砕けて
この空の見えない玻璃を突き抜けてあなたの鳥が飛んでゆく秋
憂愁・苦悩・絶望・悲惨・呪詛・傲慢あなたが見ていたのは万華鏡

青空の硝子のような輝きの真中を進む黒の一隊
夏蝉は遠く遥かに死絶えて 私を待つ瑠璃の一族
一冊の書物のように傍に置く 氷のような硝子の文鎮
今日もまた夢を見ている夢見ればあなたに逢える 硝子の狐
詩と音楽、珍味佳肴につきものの二つも盛って硝子の器
ボローニャの腸詰、マラガの干し葡萄、海老も冷たく硝子の大皿
難題は遡っても玻璃に映る残照のような当主の浪費
山海の珍味蒐めて還暦の馳走配って血潮の玻璃皿

岩手県江刺市威武師字菊池 物語りせよ吹雪やむまで
四月尽 見知らぬ駅で降りてみる花降る銀河鉄道の夜
なぜこんなにさびしいのですか 鼬だったらわかりますか
なぜこんなにさびしいのですか 白ふくろうにはわかりませんか
なぜこんなにさびしいのですか 面ふくろうって可笑しいですね
なぜこんなにさびしいのですか なぜ教会の屋根裏が好きなのですか
なぜこんなにさびしいのですか とうとう鷹と争ったのですか
なぜこんなにさびしいのですか もう夏は終ったって知っていますか

永遠をただ待つ亀がいてもいい セント・ジョージはガラパゴスで待つ
また明日夜間飛行機飛び立つよ サン=テグジュペリの郵便飛行機
木は眠り木は育つ霧の森 木の海は遥かな心育てて眠る
さびしくてたまらないから逢いに来てマイアサウラの木霊する声
薔薇色の空をバックに立っているヒマラヤシーダの大きな影が
淋しくてひとりぼっちで悲しくてヒマラヤシーダの枝走る栗鼠
雪だるま スノウマンにも春は来て 溶けてしまった夢の紫
そんなにも羞ずかしがりやのきみだから残して帰る春のヒマラヤ










水没樹林 
ジャスミンはしずかに樹液搾られて滴る緑モロッコの夜
銀蜻蛉、透明な羽さしのべてあなたの肩に触れていきます
峪渡るこだまのひらく季節あり 死はすこやかに育ちつつあり
病巣は木の洞に根に土にあり 冬青空は透明に澄み
雪が降るかもしれないと言っている ユキノシタは緑の薬草
谷保天神、座牛の頭を撫でていく風の行方は春の梅林
雨でした雨のさなかの夕ぐれを赤いバイクが角を曲がって

古の青磁の海に泳ぐ魚 神無月という陽のやわらかさ
嬉しげに青磁の海に溺れゆく魚とも見える雨とも見える
丈高き芒一本掃き流し銀彩の壷冷えてゆく冬
銀彩の百合が微かに残っている百合の高さに立つ墨図壷
白釉の小さな壷を手にのせて包んでみれば温もりの朝 
古備前は深夜ひそかに鳴るという 満身創痍の備前の壷が
水盤に真紅の薔薇を浮かばせて魚の眠りのような一日
緑釉に元気な兎走るからきっと明日はよいことがある

鮮やかに心ほどけてジャカランダ 花祭り冬去れば春
火の鳥に似ている白色矮星をティコブラーエに教えてあげる
水がほしい水がほしいと根を張って根ばかり張って瘤だらけの樹だ
ここにある悲しい気分の水たまり 極月なれば映す裸木
山に雪、水辺に薔薇の咲くからに冬を愛する黒鶫あり
次々と啓く手紙のそのように雪兎の噛む歯型現る
心がねちょっと火傷をしたのですだからね少しだけやすみます
泣き兎、月跳ぶときは古傷が微かに痛む しっかりと跳べ

虚しさはかぎりなきかな冬空に取り残された鳥の巣一つ
慈しむ愛というのもあるんだね月に零れる蝋梅の花
剥離して浮遊してくる何ものか微熱のように憂鬱な春
カラコルム、天山南路越えてゆく風に逢いたいウィグルの馬
壁画には迦陵頻伽の鳥鳴きて菩提樹、蓮、石に射す影
山紫陽花、牡丹、芍薬、百日紅 梔子パオパオ熟睡する象
お釈迦様 象の花子が行きますよ もうすぐ貴方の菩提樹の下
鯉を見てとりどりに咲く花を見て公園通りの日が暮れるまで

空に鳥、水に魚というこの春の空の愁いのよう 濁る空
夕闇の岸にうっとり三椏が もうすぐ春は終るのですね
華麗なる変奏曲を聴くように春の逃げ水走る野火止
暖かくなって花粉も飛ぶという憂きこと多き春浅き空
なにかしら真実疲れた思いあり花野を歩む馬を羨む
明日はまた雨降るという三月の雪に変わってゆく夜の雨
日の暮れの蛇崩れ坂に行き惑う 菜の花色の月も滲んで
桜散る絢爛豪華な崩壊をしばらく見ない水たまりの空

変わらない日々の中にも終楽章もう近いことを告げて花咲く
今日の雨 白木蓮は七分咲き 静かに降っている雨がある
爛漫の春の吐息の中にいる 鬱陶しさの極まる卯月
何もかも忘れたというあなたがいる 淡水に見る魚に似ている
小舟にも魚がついて来るという 大きな河があるという国
蜻蛉飼う私の脳は可哀想あまり眠りもせずに夜もすがら
木に花が咲くとき遠い空の下 蜃気楼見る氷見の海岸
満開の桜が空に吸われてゆき 吹雪となって散る地蔵堂

鏡花の言う「春は朧でご縁日」夜を燈して怠惰に暮れて
やがてもう人は誰をも非難せず春陽炎のようなたつきを
朦朧と夢見るようにありがちなロシア気質の巣ごもり卵
花散らす雨が降るから湖に小舟もなくて春のみずうみ
一本の樹にとまる鳥 一枚の画布に描く空 その空の青
よき便りだっていうのに発熱中 朝夕気温が定まりません
鬱兆す雨期の森には幽かながら杳い遥かな麝香の匂い
渦巻いているね世界がゆっくりと流れるように死んでゆくのか

戦国の時代に生まれ露草の命を武器に戦って殺されていた前世の鷹
シュノーケル青蛙という全身が黄色い蛙や梟の話題
んとこしょどっこいしょって 重い石はこぶ運命の「ん」
愛媛県の小さな町の座敷雛 初節句の子の雛を町中で
藁屋根に灯ともる遠景に楡の枯れ枝、早春の雪
桃の花 その桃色の明るさに雪洞灯すそのかなしみに
左手を息子の肩に置き歩く 木村栄文氏のドキュメント
梅が咲き、雪柳が咲き、桜が咲き、咲く花の下 鬱々と猫

夕焼けに染まって緋色の鳥となる熱帯雨林の鳥かと思う
紫木蓮、白木蓮が並び立つ白木蓮から零れて落ちる
春蝉が啼く季、遠い日の夕べまどろむように沈む太陽
大切に大切に御身大切に 過ぎてゆく日の夢になるまで
横浜の海には雪が降っていたと 海に降る雪を初めて見たと
「北海道が舞台になっている本はない?」文庫一冊旅行鞄に
重量を預けてゆらりゆらゆらと象の花子は木洩れ日の中
金絲猴、ロクセラーヌの鼻のサル 金色の夢、金色の風

エスパニョーラ島のイグアナ その身体赤くしている別れの予感
進化には関係あるかあらざるかロンサム・ジョージ百歳の亀
手紙には雪解水の冷たさと春の香りのする草のこと
からだ中からっぽにしてあの鳥はぼーぼー鳥は啼くのだろうか
明日の朝だあれもいない校庭に葉っぱ生やした木に似た鳥が
海辺には打ち上げられた海草が遥かな時を伝えています
夏空に雲一つなき桜桃忌 台風はまだ東支那海
接線を一本引けば現れる まだ生傷の絶えない地球 

美しい虹 バッファロー棲む草原 ヌーの出産集団でする
生まれてすぐ起ち上がる牛・馬のたぐい、乳呑む仔牛、仔馬の類
ムングーバ 雨期の終わりに花つける 花びら散れば河を流れる
ホエザルは声の大きさ競いあう 木の葉バッタは木になっている
アリクイの鼻は長いよ 白蟻の巣にその鼻を入れて探すよ
木登りの上手な猿と下手な猿 上手な猿はいつまでも猿
オリーヴを搾る機械を引かされる目隠しされた駱駝の一日
土と木と少しの人の気配だけ駱駝の今日は駱駝の一生 

午前三時 宙に無数の水の星 水汲み上げる滑車の音も
いつだってリアルタイムで書いていて私の鳥は記憶喪失
誘惑 あともう少しやってみようかな こうして汚い死に際
雨の日の青蛙こそ愛しけれ 薄い緑の光りの雫
ほろほろと頭の芯が酔った気分「無関心」の花咲き
無関心になった自分の心にはエノコログサもほとほと手を焼く
ほんとうは誰にも何にも興味なくエノコログサは風に吹かれる
エルミタージュ サンクトペテルブルグの灯がともる「この世に完全な幸福はない」

「休みなさい、陽気であれ」と告げている 孔雀時計が時を報せる
物として物の形として残る三段式マホガニーの本箱
一九〇七年製の湯沸かしと、くるくる引き出す硝子戸の本箱
岩場には岩場の色のイグアナが重なりあって海を見ていた
静かなる炎が見えてほんとうのあなたが見える阿修羅の裸像
風の日は木の実降らせて雨の夜は銀鱗降らす交信記録
水面にも晩秋の雨ふりしきるせめて榛の木まっすぐに立て
まだ雨は降っていますか 雨の日は痛む右手をどうしていますか

敷島の国に棗は植えられてその実その花愁いを除く
天上の銀の塩降る砂時計 蛞蝓を消すゲームだという
焼夷弾、原爆、椰子の実、蛍の木 昨日毀れたTVで見たもの
真珠より小さく青く光る星 蛍集まる木があるという
人肉を食した兵士もいたという「命ニヨリ生キ命ニヨリ死ス」
八咫鏡、草薙の剣、八尺瓊勾玉 「国体護持」と原爆投下
天皇の選択としての「国体護持」雨師でありしか稲穂の国の
歴史という一つの言葉で括られて大方の人罪免れて
わたくしが雨であるなら弾かれて草の葉つたう雨の一粒
東京はまだ暖かい日曜の午後で冬薔薇小さく咲いて
まどろみの時間があなたを癒すよう祈っています 温かいね 雨
ゆっくりと飽和状態ゆっくりと終りに向かう炎える草叢
その他に何もなかった 毎日は機銃掃射がただ無いだけの
そういえば死者を焼く煙もまた空の雲に紛れる 春なのだろう
日々は夢 宮脇檀氏の教え 豪奢、逸楽、雑にして楽
かぶくこと好きだったのか江戸末期、水色袴の日記の断片

ファルージャは萌黄色に見える萌黄色の中の桃色の炎
一日中南の風が吹いていた 虹は嵐の後に立つもの
降りそうで降らない白い空の下 紫陽花昏く首を傾げて
死の螺旋めぐりめぐりて夏の朝 再び生れむ湖の巻貝 
満月が鏡のように凍る空 汽水域まで充ちていた潮
虚しさに蟇は篭りて桜桃忌 宇宙塵ともなりゆく蛙
どくだみの白い十字が美しい 木下闇に死蝋は満ちる
月と星二つ並んである時間 こうもりが飛ぶ町の夕空

羊歯族の裏白の影、無限大 水をたたえてすむ羊歯の森
伝統は確かに生きて生きのびてスポンジ脳に点る春の灯
スクレイピー、プリオン、ヤコブ、海綿が吸い取るだろうメタル・スポンジ
桃色の舌もつ貝がちろちろと覗っている町屋の厨
エロティック生まれつきだと花蘇芳 狂う牛とか狂う月とか
カリフラワー、キャベツの仲間ではあるが脳葉に似て春の虚しさ
エメラルド・グリーンの果肉切り分けて春の空虚も切り分けてゆく
中和する形としての一章を今からここに書き加えます

花火にも鳥にもなれず胞子飛ぶ とても虚しい日暮れが来るよ
夕べには薄紫の風が出て梔子がもう腐りはじめる
泥の中きれいな花を咲かせても無意味無意味と蛙が騒ぐ
楽譜集燃やしてあがる炎がある また夏が来る海岸倉庫
何事もないかのように朝は来る消えた楽譜の淋しい音符
あの時は逃げられなかった今ならば逃げられるかしら列を乱して
血の山河、夏の山河を渡りつつ ニッポニア・ニッポン滅びてゆくも
この雲をスクランブルして飛ぶ機影 入間基地から飛ぶ軍用機

花が咲き実が生り花は花疲れ 曇り空から白い太陽
ためつすがめつしているうちに一本の樹になってしまえり翠の桜
ひとかけらの希望すらないこののちの真っ暗闇と知って点る炎
ゆっくりと麻酔が切れて痛み出す 鎮痛剤の名はロキソニン
睡蓮とウォーター・レタス浮かべている水鉢、金魚もメダカも泳ぐ
山あいの生姜の花の薄紫 雨の日、雨のひかりあること
再び雨 雨また雨 雨のち雨の東京の空に氷雨を曳き飛ぶ尾長
ラングドシャ舌に溶けゆく午後三時 まだ鳴き足りないヒグラシの声

一輪の薔薇の花さえ汲み上げるいのちの水が渾身上がる 
百合の茎まっすぐ昇る真水あり ブナの森なれば水の合唱  
小川には影が映っておりました鳥がゆっくり飛んだらしくて  
密林の雨に打たれている芭蕉 田中一村の芭蕉の葉っぱ 
妖艶な鐘馗空木の花が咲き 上水の夏始まるらしき
淋しくて嵐が去った空を見る遠い山野に棲む獣たち
もう既に死んでいたものが改めて死んでも何も不思議はない
六月のドナウデルタの葦原の水と光りと小さな魚影

春蝉が啼いていました新緑の萌える林の一本の橡
野火止のムラサキシキブ花盛り 水辺が好きな一本の樹は
茴香のウィのかなしみ水無月は憂いある月、上水に雨
あの人はどうしているかと訊かれても訊かれなくても寂しい明日
雨のない六月だった 台風が壊していった日除けを替える
上水に雨降る雨の木の葉闇 きりもなき虚しさの桜桃忌
紫蘇に雨、羊歯に霧雨、竹の秋 睡蓮はまだ眠っているね
溜息と絶望歌うことのない夏が来るのね白いサルスベリ

タッちゃんと浅倉南の声がする 多分夏休みも始まっている
体系化されつつあれば体系化逃れてゆかむ遊びせむとや
液晶のモニターに見る遠花火 江戸の花火を忘れずに咲く
追い風と向かい風では違うよね 雲の動きが見分けられない
一人に向かって人は歌うという 海酸漿を鳴らして遊ぶ
嘴が痛くはないの?木を叩き木をつつく鳥ちいさいコゲラ
遠からず死は現実のものとなる 雨に打たれている曼珠沙華
あの貨車は今どのあたり過ぎている 遠い銀河をゆく夏燕


どこからか胡弓聴こえる昼下り 夏の最後の日曜日です
汗ばんで葡萄の雫光ります まだ夏雲の浮かぶ空です
地獄花死人花とも言うけれど猫も家鴨もいる土手に咲く
火喰鳥、花喰い鳥は梢離れ 雨期の沼地の森へ帰るよ
抜け殻になったら逢おう魂の三重連の水車が回る
夕映えの道に老人 年老いてゆくとき影は全てとなって
葦の影、薄の影や虫の影 影絵のような世界があった
夕暮れの道が仄かに明るむはこの紫の大藤のため

何かしら悲しい音がするようだ水禽がまた浮巣を作る
暖かい羽毛のような悲しみが充ちて来ること 雨季の悲しみ
湖の岸に沈んだ葦舟も鳰の浮き巣も降る雨の中
燦々と月光降れば燦々とかなしみも降る 夜の汀に
温存をしてはなくしてしまうのは温存選ぶ愚かさのため
この世は所詮生者の宴 月の裏側には蟹がはりつく
アルビレオ、デネブ、銀河を飛ぶ鳥が白鳥であるこの世の優雅
アカシアの白い花散る夏の雨 小猿は白い花に埋もれて

非時香菓のかぐわしく雨の春夜も日照りの夏も
夏の庭 古い庭には古井戸と思い出だけが住んでいました
どんよりと空が曇れば藻の陰に尾ひれ胸びれ隠して眠る
紗や絽や羅、透ける衣を織れば夏 蛍も蝉も蜻蛉もいる
香櫨園、海と川との汽水には渦巻くものが見えて夏の日
火星には確かに水があったという 地球に残る水の儚さ
暗闇に燈るランプと月の暈 水晶宮に降る秋の雨
左手はいつも同じ音の繰り返し黄金の秋が来ていても
祥  * 『ダイジェスト版』   * 09:18 * comments(0) * trackbacks(0)

150首版 銀河活字時代

今日もまた優しい嘘をついている富士の笠雲雨呼んでいる
花と酒、それも津軽の酒がある 太宰治は幸福な死者
絶版の「父の帽子」の中にいる父鴎外と森家の人々
二本木行きバス終点のバス停の馬小屋の馬、留守番の馬
こうもりが薄暮の空を飛んでいるまだ帰らない子供を待って
夜行性みみずく一羽起きてきて日々の軽さに爪たてている
物語(レシ)と呼ぶにふさわしい一生もあり母たちの世代
畑にも庭にも雨が降っている蓮池に咲く花にも降るよ
通夜の客若い日の名で呼びあって遥か昔の物語する
祈りにも似た暮しなどに憧れるこの春ゆえの軽い変調
もう死んだ気になっているのか夏の蝶 幾何学模様の中に眠って
突然に視界展けて富士がある木のトンネルを抜けて行ったら
縁側に出て村を見る富士を見る南アルプス邑の朝焼け
富士よりも高く住むような村に来て無住の寺で聴く蝉しぐれ
閑雅なるよきものなんてこの世には存在しないものかもしれない
ブラインド越しに見ている街の空、赤い屋根から濡れはじめている
少しだけ暗いところが好きだった陽あたる丘に住んでいたから
向かいあい一人は絵地図一人は歌のようなものなど書いている午後
煙突の見える場所から描いている五歳の地図の空の拡がり
国分寺の家に行ったら咲いているえごの花びらもう泥だらけ
雨降れば傘さしてみる萼あじさい去年と同じ色に咲いてる
降る雨のように触れられないならばいっそ何にも無いほうがいい
まだ見えない雨を感じているような雨の匂いのする日曜日
鬱々と鬱を重ねてゆくばかり生気失せゆく今日鴎外忌
難破した船から救い出すように絶版の書の数冊を購う
わけもなく今日は心が軽くなり九月初めの雨に濡れている
負へ負へと退却していた私の兵隊たちを呼び戻している
ひまわりに似た花が咲く夏の朝それも晩夏の雨上りの朝
国分寺の家の樹に似て太い幹蝉がとまっている夏の闇
窓際に誰かが忘れていった本 風が読んでる「梁塵秘抄」
私も月の小舟を一人漕ぐ「梁塵秘抄」の桂男のように
生きて逢う最後の夏を見るように積乱雲をあなたは見ていた
今そこを風が通っていったのは きっと精霊になったあなただ
「ジェラス・ガイ」レノンの口笛聴いている雨だれを聞くこともないから
ざわざわと樹を揺する風 起きなさい目覚めなさいと樹を揺らす風
素裸で立っている樹が美しい何にも飾ってない樹が好き
言ってみればこの雨のひとしずくのようなものかもしれない私は
太陽が暗くなるまで炉を燃やす ほろりほろりと人が死ぬまで
三鷹にも雨は降るかもみぞれかも 春の雪降る禅林寺かも
この星に少し後先になって生まれてもしかしたら出逢えて
「問題は数学ですね。」今回は私は母として聞いている
放心をしているような午后の空、春のプールに揺れている影
青谷を降りれば海星女子学院、聖母子像も遥かなる街
春早き神戸の街の花吹雪今年の桜見ずに終りぬ
昨日来て今日帰りゆくような旅 親しみ薄き街になりゆく
この駅は久坂葉子の死んだ駅、阪急六甲通過している
もう一度風に逢うため私も一つの風となるための旅
距離感が私を誘う 水流は風を含むと中国の詩に
雨の日の雨のプールを見ている日 降りたくて降る雨なのだろう
通いあう心もたない私と線路向こうの昼鳴く鶏と
満月の夜の花散る無人駅、銀河鉄道停車する駅
郵便はまだ来ていないかもしれない春の便りは少し遅れて
見知らない街には見知らない人が、昔のあなたに似ている人が
逆瀬川、仁川、夙川、芦屋川、流れる水に花を浮かべて
地球ではいつも何処かでジェノサイド夜も目覚めて耳立てる犬
私の生まれた冬のサモワールかなしみならば沸かせるだろう
太陽は西に沈んでゆくときに少しみんなを幸福にする
電車からまだ見えていた赤い屋根、雑木林の古いあの家
石積みの一つ一つの均衡と石の一つの忍耐力と
降りかかる雪はいつでも美しい とりわけろくでなしの死に顔
傾いて立つ樹のように傾いて風の手紙を待っているだけ
絶望の他に何にもないのならその絶望を食べていなさい
それは怠惰のせいというのでもなく多分生まれつきの他なく
積載量オーバー許容量オーバー風に吹かれていたかったのに
雛人形飾って納う武者人形飾って納ういつまでの花明り
少し寒く少し疲れた。夏が来ても眠っていたい木の陰の蛇
物置に蛇のぬけがらいたちの巣迷宮の入口というわけではないが
燃える街、暖炉に落ちた焼夷弾 母の記憶の中のその夏
ふりむけばいつでもそこに街角に、海があったが夢かもしれない
あじさいの花の下にはかたつむり 雨降る午後の物思いして
健康で生きていること死なぬこと『辛酸佳境に入る』に至らず
初めから根こそぎだった草だから 不在は誰のせいでもなくて
「あきらかに産湯を出ない一生」と占いに凝る親戚の人
しなければよかったことの一つ二つ生まれたことに比べれば何も
明日きみが死んだら信じてあげるその嘘の幼さ
雨雲は東へ去ると伝えくるさらに深まりくる欝らしき
あの人を嫌いにならないでおこう雨の日はラフマニノフを聴きながら
国分寺崖線に立つ古家は嵐吹くたび傾いでいった
木陰から木陰へ続く小径より栗のいが踏み上る石段
栗の木の栗落ちる音えごの木の実の雨だれに似て風に鳴る音
くぬぎの実ならの実しいの実けやきの実かしの実も落ちよ風の連弾
どんぐりが帽子被って落ちているゆうべ風が吹いたらしくて
夕暮になれば富士山影になり石段降りる猫も影になり
老館主右脚少し曳きながら閉館の日のロビーを歩く
夕暮の富士シルエットになってゆく想い出だけで生きてみようか
海亀を見においでって言われた日 まだ観音寺にいた頃のこと
海亀は漁協の樽に入っていた お酒をのませて海に帰した
その町に昔私は住んでいた浦島太郎の村の子のように
千年もその前からも住んでいたその頃の人もまだいるような
伝説の岩 女が身を投げてその血に染まった海の赤岩
恩寵のように澄んだ青空 美しい冬です風邪をひかないように
お気遣いは無用 微かな苛立ちといつも同じ軽い憂鬱
睡蓮と蓮の違いを誰かが言う眠く気怠く美術館の茶房
ひとすくい匙で掬ってごらんなさい焦げる匂いがする 胃袋で
どの草もみんな同じ倒れ方 倒され方も似てくるものね
東洋の辺境に棲む水澄まし 波紋までもが愛らしいんだね
Ir・GaGa 水を私にと祈る シュメール文字が巨石に残る
夢を見た出血多量の紅雀 しばらくは眠れそうもない
御誂え向きにぼろぼろではあるがなかなか着心地のよい隠れ蓑
美しく時は過ぎたと思うべし切断の後動く虫けら
「お母さん かたつむりって貝なんだよ」 六月の雨、雨の降る庭
風ならば初夏の小径を吹いていた 古井戸一つ隠す草むら
美しい楽しいことはもうないと街の隠者のように棲む蟇(ひき)
行く航路(みち)を見つけたのかもしれないね 船の舳先に灯りが見える
そこだけに風が流れている気配 河口に近い海を見ている
流されて来のは一つの舟であり 櫂と櫓もない小舟であった
風になる! ある日突然そう思う 地球を焼いてくる炎が思う
一生には悲しい日々が何度かある 流れるように飛ぶ鳥を見た
玉葱の芯には何もないゆえにあるがままなる炉辺の幸福
魂の古巣のような背表紙の金文字指でたどる図書室
《午前晴、正午浅草、夜小雨》、晩年に降る荷風の小雨
雨が降る とても静かに雨が降る 眠りなさいと夜を降る雨
〈一つ星てんとう虫は毒がある〉夕暮来ればその名も消える
〈二つ星てんとう虫も毒がある〉七星てんとう虫の幸福
私の中にあなたが生まれた日 風が生まれた 風は旅人
街に降る雨は車の音で知る 夜降る雨は夜の音して
簡潔な主題のための四楽章、第三楽章からの憂欝
今閉じた人の心をノックする 春一番と飛ばれる風が
ほんとうはあなたに告げたかったこと 銀河最終便で届ける
〈淡々とこのかなしみに堪えること〉イエティの棲むネパールの空
暁の共同墓地のモーツァルト 無邪気な鳥は撃たれやすくて
もがいたら羽撃いたなら逃げられる? 天国までは遠すぎるけれど
君がまだ歌わない歌があって 天の飼い葉を食んでいるところ
私は桜の花が嫌いだと誰かが歌う 低き声にて
内側から溶かしていこう 軟弱な僕らは戦争には行かない
その朝、夏降る雪のように降る 暗き窓辺のえごの木の花
夢に降る えごの真白い花びらが 午後燦々と陽の照る中を
アイオロス! 風の支配者ならば訊く ここ吹く風はどこへ行くのか
焼きはらう野はまだあるか 薙ぎはらう百合のようなる心はあるか
鞠を蹴り鞠に遊んだ大納言 蹴鞠に倦きて死にたるという
一生は長すぎたのかも知れないね 千日ならば愉しかりしを
一枚の紙片が炎になる炉心 その炎から飛び立つ小鳥
もう一度風のささやき楡は聴く 北の斜面の雪消えるころ
一枚の絵皿を私は持っています 〈実朝出帆〉と名付けています
形式が絶対であるわけはない ところで太陽系はどうする
距 離(ディスタンス)とっても大事と思うんだ 誰にも近づきすぎてはいけない
アメフラシ、雨を降らせて下さいな 答えがどこにも見つからないよ
何もかもご存じだったのですね 手を貸して下さればよかったのに
《世の中は鏡に映る影にあれや》 夢と思えば生きてもゆける
《アカルサハ、ホロビノ姿》 見苦しく張り裂けてゆく殿様蛙
精神的外傷なんてなんでもない もうすぐ木っ端微塵になるよ
死には死のスピードがある 壁掛が織り上るまで待っていられない
太陽が眩しいのならだるいなら オブローモフのようにおやすみ
素裸で投げ出されている点と線 サム・フランシスのように無防備
目を瞠るような奴だよともかくも ひとりぼっちで来る死神は
大事だと思ったものが石ころで おかげでとっても平穏な日々
勾玉は胎児の形 月満ちて生まれるまでの幼い星か
ラクリモサ ただ簡潔であることと ああこんなにも少ない音符
あの頃の私は「現実」にまだ平手打ちされたくらいの若さ
少し熟れ傷ついている果物が百一歳の遊亀さんのマンゴー
祥  * 『ダイジェスト版』   * 19:59 * comments(0) * trackbacks(0)

花詞集 抄

光彩を放っているね移り気な忘恩の花ラナンキュラスよ
羊歯族の裏白の蔭、無限大 水を湛えて澄む羊歯の森
禊萩は仏の乾き癒す花 薄紫の悲哀の水辺
花魁草ほんとうの名は草夾竹桃 温和な日々が流れますように
大毛蓼、蓼科の蓼は多年草河原にあっても汚れない心
ライラック苦しきことを忘れんと買い求めくる水無月の花
茴香のウィのかなしみ水無月は憂いある月、上水に雨
使者の首を奪っておいで イチハツの花咲きいでて美しい月
もう私死にそうな気がしていますムギワラギクが憶える前に
ノカンゾウ何を宣告されている萱原に夏来るという夕べ
アヤメ咲く危め殺めと変換す 薄紫に野原を染める
アズマギク=別れだなんてさびしいですね またお会いしに来ていいですか
許されることがなくても美しい ひっそりと咲く狐の曾孫
「アケビには白い心の疚しさが才より樹液溢れる果肉
死んじゃいたい。そんな気分になったりするルピナスおまえは貪欲すぎる
「愛の通夜」いったいどうしてそんなことに 茉莉花の花祭り
「頼りすぎ」蔓紫の花言葉 明日は何で笑おう私
祥  * 『ダイジェスト版』   * 11:11 * - * -

硝子の狐 抄

濡れているのは私 硝子越しではない雨の秋
真実は誰にも見えず明かされずガラスの兎耳垂れている
薔薇・菫・オリーブ・檸檬 黄昏が硝子に射した夏の花束
その人に夕べの愁いあるらしき うすむらさきの硝子の埃
街路樹が桜並木の葉が触れる大きな硝子窓のレストランがあり
退屈は夢見る硝子 ベネチアの、ローマの酒盃に注ぐ葡萄酒
学生も子供を連れたお母さんものんびり歩いている硝子窓の向こう
武蔵野は昔、飛火野 飛火野の野焼きしてみよ 硝子の狐
鸚鵡にはおやすみなさいを教えよう硝子の小壜が涙壷とも
胎内にあかるき光りともす子の指を映して液晶硝子
夏蝉は遠く遥かに死絶えて私を待つ瑠璃の一族
飛騨高山、四国内子町の和蝋燭 古い硝子戸開ければ燈る
火の髪の火の飲食(おんじき)の弱法師 夏来ればニンゲンを返せと
もの憂くて倦んで疲れて死にたくて心の奥の硝子砕けて
野火もえてまた野火もえて身は焼けて瑠璃の仮面の砕けて落ちて
詩と音楽、珍味佳肴につきものの二つも盛って硝子の器
ボローニャの腸詰、マラガの干し葡萄、海老も冷たく硝子の大皿
難題は遡っても玻璃に映る残照のような当主の浪費
山海の珍味蒐めて還暦の馳走配って血潮の玻璃皿
水槽にメダカ泳げば透明な硝子に水藻ゆれて夏来る
憂愁・苦悩・絶望・悲惨・呪詛・傲慢あなたが見ていたのは万華鏡
一冊の書物のように傍に置く 氷のような硝子の文鎮
何という美しさだろう硝子より星より水は涼しく湧いて
炎上をしている三島屋火薬店 冬の花火が硝子を揺らす
青空の硝子のような輝きの真中を進む黒の一隊
卑弥呼病めば卑弥呼の国もまた病んで瑠璃色の海もまた病む
今日もまた夢を見ている夢見ればあなたに逢える 硝子の狐
祥  * 『ダイジェスト版』   * 07:32 * - * -

風は旅人&銀河最終便 (短歌人&未来+玲瓏掲載歌より抄出)

青春の謝肉祭なら知っている 紙吹雪なら一枚残っている
反宇宙、反銀河、反地球、反私。何処にあっても今日の飲食
この村は星の里ですその昔隕石落ちたほこらがあります
弔いの夜の彗星は鳥だよと墓掘りながら村人が言う
忍野村その八海の水底に幽界はあり光る魚あり
春になれば花も咲くさと陽だまりの土を踏んでみている
冬の樹の梢の彼方に消えてゆく黄色い飛行船を見ている子供
夕暮になれば富士山影になり石段降りる猫も影になり
どんぐりが帽子被って落ちているゆうべ風が吹いたらしくて
山椒の赤い実を腹いっぱいに詰めているよ香ばしそうな鳩だよ
白黒のぶちと茶色の子猫が林で生まれてさざんかも咲いた
風はまだ吹かないけれどいつか吹くと誰かが言っているような秋
往き帰り枯葉の寝床にうずくまる白い猫見るこの幾日か
閉館の今日は優しい切符切るシモーヌ・シニョレに似た小母さんも
老館主右脚少し曳きながら閉館の日のロビーを歩く
甲冑の触れ合う音のする如き黒き家並みの果てに海あり
白壁と定紋瓦、長屋門 昔日知らぬ子等の落書
その昔合戦ありという杜の傍ら行けば風花が舞う
舟隠し洞窟潮の引くときに小さき魚の残る岩陰
夕焼けの墓地に海見る少年は熟れしばかりの無花果を食む
やがてその石に夕焼けが射せば薄桃色の馬頭観音
存在の奥の欠落埋めがたく夾竹桃の夏もすぎゆく
「邪魔だったから」家族殺しの少年のつぶやき夏の草いきれ
今日もまた優しい嘘をついている富士の笠雲雨呼んでいる
禅林寺へ行ってみました三鷹で降りて 昨日どこへも行くところなく
花と酒、それも津軽の酒がある 太宰治は幸福な死者
鉛筆の芯折れている音がするどこかの沼で魚が跳ねる
犯罪を犯したいほど雲一つ草木一つも動かぬ真昼
街路樹の赤い風船ひきちぎり春一番の南風吹く
ひとり出かける日の駅前に浩平の好きなボンネットバス
日常がただ日常で過ぎてゆく等身大の鏡の中で
太陽は天の赤道通過中眠気とだるさとたたかいながら
絶版の「父の帽子」の中にいる父鴎外と森家の人々
二本木行きバス終点のバス停の馬小屋の馬、留守番の馬
こうもりが薄暮の空を飛んでいるまだ帰らない子供を待って
夕空に一つ星あり三日月あり近づき消える飛行機もあり
美しいというものはあるどこにでも小さな家の軒に降る雨
八幡の大杉樹齢数百年「皮一枚のぼくの人生」
こんな午后もしあったなら鴨川の石になってもよいほたる草
少し汚れ少し壊れて美しい騎馬民族の王の水差し
何もかもお終いだって知っていて何も知らないふりをしている
ふるさとの海へ行こうと話してる春休みには大橋渡り
ざる一杯バケツ一杯の海老やシャコおやつに食べていた漁師町
浩平と二人で渡る瀬戸大橋海老の匂いのする町に来る
冬ざれの史蹟公園散歩する缶コーヒーを片手にもって
千曲川上流育ちクレソンを佐久の馬刺の大皿に盛る
半分は冗談だった薄情さ私の本質だっただなんて
夜行性みみずく一羽起きてきて日々の軽さに爪たてている
物語(レシ)と呼ぶにふさわしい一生もあり母たちの世代
畑にも庭にも雨が降っている蓮池に咲く花にも降るよ
冬眠のがまとこの頃の私とどちらが先に目を醒ますのだろう
鹿苑寺「白蛇の塚」の子孫かも赤と黒との小さな小蛇
通夜の客若い日の名で呼びあって遥か昔の物語する
夜明けから降りだした雨昨日まであなたの庭に降っていた雨
一日中雨が降ってる一日中雨を聞いてる蛙……私
祈りにも似た暮しなどに憧れるこの春ゆえの軽い変調
平家谷、落人部落、桃源郷、杏花咲く村に来ている
父と子と古い公図を開いている古屋敷二町歩八幡平五町歩
犬目行きバスに揺られて四十分 君恋温泉今日は訪ねる
本陣の道を歩けば土埃 四方津へ降りる最終のバス
二重の生、二重の私を生きている梅雨入りの日の空々漠々
家を売り家を購いまた家を売りそうして心はざらざらになる
核融合試験官でもできるらし詩のようなもの創っているらし
人恋うて人恋いやまぬ夕暮よ蛍の沢と呼びし深沢
突然に視界展けて富士がある木のトンネルを抜けて行ったら
縁側に出て村を見る富士を見る南アルプス邑の朝焼け
富士よりも高く住むような村に来て無住の寺で聴く蝉しぐれ
私は暗いところで暮していた名だけ明かるい学園通り
閑雅なるよきものなんてこの世には存在しないものかもしれない
優しくも強くも生きてゆけないしオブローモフにもなれないけれど
遠く住む友の葉書を読んでいるその街はもう雪が降ってる
思い軽く生きているよと告げている花と木のことだけ書いてある
利休の死、死の死があって残るもの、流派という名の形骸ばかり
サイレント・マジョリティなどと呼ばれいつも何かに括られている
西多摩のなんじゃもんじゃの旧家には「富貴安楽」の額掛けてあり
街中の五重の塔をとり囲む墓一千基陣形に似る
火だるまになって死ぬのも非業なら延命治療という非業死もある
奥多摩の渓谷二千年前の海パレオパラドキシアの伝説
生まれ落ちたる時の他にはドラマなく垣間見るだけの私の人生
「そしてまた雨ふる今夜私の両手は緑いろ」とソーサの歌う
北陸は能登能美郡根上町春の煙の立つ昼下がり
ひかえめに静かに生きてみたくなる酸晴雨降る白い一日
今は最期、とぎれとぎれのつぶやきのそのつぶやきのように降る雪
切れ切れに想い出したりして雪に 終幕近いシーンの音楽
ここにいる私はいったい誰だろう春のうららの墨田川かな
もう誰の心も残っていないから風の別れのような青空
虹立つは昨日一人の魂が空へ急いで帰った軌跡
ブラインド越しに見ている街の空、赤い屋根から濡れはじめている
人が死にそしてそれから何もない 窓ガラスには雨の雫が
離れ猿次郎は親を知らざれば自分を猿と思わざりしよ
それぞれの運尽きるまで凩天にそよげよ風が流れる
少しだけ暗いところが好きだった陽あたる丘に住んでいたから
向かいあい一人は絵地図一人は歌のようなものなど書いている午後
煙突の見える場所から描いている五歳の地図の空の拡がり
思う程死ぬのは簡単じゃないと呼吸不全に陥りながら
若い日は誰にもあったはずなのにシーラカンスのように眠って
私のためというなら何のため私は生きているのだろうか
日曜日の教会の裏は荒井呉服店 春の燕が通り抜けする
魂の蛍明滅しただろうあなたが病んでいた夏の日々
白い手のさよならだった細くなり小さくなって優しくなって
エルドラド幻の郷エルドラド金の釣針のむ魚たち
蛙、蛇、鰐棲む河の流域に栄えて滅ぶ エルドラドという
さよならがどうもになって終ること長い時間が流れていたこと
国分寺の家に行ったら咲いているえごの花びらもう泥だらけ
雨降れば傘さしてみる萼あじさい去年と同じ色に咲いてる
降る雨のように触れられないならばいっそ何にも無いほうがいい
気がつけば横になりたくなっている雨の日は雨の音聴きながら
学校は金太郎飴本舗ゆえ熟練工のような教師もいる
まだ見えない雨を感じているような雨の匂いのする日曜日
鬱々と鬱を重ねてゆくばかり生気失せゆく今日鴎外忌
難破した船から救い出すように絶版の書の数冊を購う
完結が死であるならばこの旅は滅びの歌がよく似合うはず
誰が死んでも空は照り風は真夏の街馳け抜ける
夕焼けが窓染めている安っぽい映画みたいだけれど綺麗だ
午前五時「桑の都」の蒸気立ち「中村豆腐」の硝子戸が開く
わけもなく今日は心が軽くなり九月初めの雨に濡れている
空はもう秋の空だと雲が言う日本海には高気圧がある
一顧だにかえりみられないもののため 石を積んだり崩してみたり
負へ負へと退却していた私の兵隊たちを呼び戻している
ひまわりに似た花が咲く夏の朝それも晩夏の雨上りの朝
〈カグー〉君は飛べない鳥と呼ばれているなぜそうなったのか誰も知らない
国分寺の家の樹に似て太い幹蝉がとまっている夏の闇
窓際に誰かが忘れていった本 風が読んでる「梁塵秘抄」
私も月の小舟を一人漕ぐ「梁塵秘抄」の桂男のように
不安との道連れであるあまりいい人生送っていないのである
その心見えなくなって長い日が、長い時間が過ぎてしまった
レコードの針を降ろした時の音、多分忘れてしまうだろう音
生きて逢う最後の夏を見るように積乱雲をあなたは見ていた
「苦楽園」誰が名付けし駅名と 小さな駅に人を待つ時
北側の窓から猫が出入りするすすきが白い川べりのアパート
じゃがいもを剥きながら思う一節 お皿を洗いながら思う一章
つい二年前まで母は生きていたその街角を曲って消えた
悲しみに胸を切られて血を流す出血多量の夕焼けがある
「あなたさえいれば私は生きられる」久しぶりに読む恋愛小説
世界中が留守になったと思うでしょうあなたのいない世界の夜明け
何の夢も希望もないと思える日「ヒマラヤの芥子」の絵葉書が来る
秋の午後歯医者の椅子に座っている「夜半には雨」と気象情報
究極は心の壁を持たないこと ホームレスヨーコ ニューヨークにいる
今そこを風が通っていったのは きっと精霊になったあなただ
「ジェラス・ガイ」レノンの口笛聴いている雨だれを聞くこともないから
恋しさに似たるは水の悲しさに母病むときは血のかなしさに
いずれ死屍累々の私だ 廃墟のような胸の洞だ
暮れかけた空見上げれば空さえも雲ばかりその蛇腹を見せて
誰かが幸福になれば私も幸福になれる 羊のような雲も浮かんで
人一人たとえ病んでも狂っても笑い話になるだけだろう
住む人が変われば家も変わるのさ あなたのいない人生だって
今もまだ病院にいると思おうか私は一人と思わないため
ざわざわと樹を揺する風 起きなさい目覚めなさいと樹を揺らす風
素裸で立っている樹が美しい何にも飾ってない樹が好き
「アフリカは悲し雲も森も無く」滅びゆくものみな美しく
戦争が終れば次の戦争が、終らなくてもまた戦争が
結局はお伽話であるらしい生まれも育ちもひよわなる花
戦略も計画もなく生きていて、いつか身ぐるみ剥がされていて
言ってみればこの雨のひとしずくのようなものかもしれない私は
タランチュラ赤い年老いた星雲 銀河に咲いた昏い紫陽花
太陽が暗くなるまで炉を燃やす ほろりほろりと人が死ぬまで
無条件降伏強いる強いられる貧しき者は幸いならず
一度だけ不用意だったことがあるあの時そしてそれからはない
充電を予告している赤ランプ かく果てしなく膨らむ宇宙
昔々地球という星があった 天満宮には桜も咲いて
三鷹にも雨は降るかもみぞれかも 春の雪降る禅林寺かも
茉莉さんが冷たい雨に濡れている茉莉さんは雨が好きだったけれど
この星に少し後先になって生まれてもしかしたら出逢えて
人生はこうして流れ去ってゆく「淡雪流る」その春の日に
「問題は数学ですね。」今回は私は母として聞いている
放心をしているような午后の空、春のプールに揺れている影
教室の窓から遠く眺めていた 鉛色したある日の海を
青谷を降りれば海星女学院、聖母子像も遥かなる街
春早き神戸の街の花吹雪今年の桜見ずに終りぬ
昨日来て今日帰りゆくような旅 親しみ薄き街になりゆく
この駅は久坂葉子の死んだ駅、阪急六甲通過している
もう一度風に逢うため私も一つの風となるための旅
私は急ぎ始めているらしい生き急ぐというほどではないが
老残を見せたくはない見たくない、風を誘って散る花がある
距離感が私を誘う 水流は風を含むと中国の詩に
ついにもう昨日の夢のように降る、雨のプールをみているある日
雨の日の雨のプールを見ている日 降りたくて降る雨なのだろう
既にもう優しさに似た残忍さ着心地のよい毛布にも似て
夢よりも儚き世とは思わざり日々生き難きこの世なりけり
もうすでに遠い思い出かもしれないこうしてみんな終ってゆくね
通いあう心もたない私と線路向こうの昼鳴く鶏と
純白の花咲くように純白の死が突然にあなたを捕え
麻酔事故 脳死十日の後のことピアノ教師の死のあっけなさ
もっと普通のありふれた、たとえば沈む夕陽のような
甲府から二つ目の駅が身延線善光寺駅、桜散る駅
満月の夜の花散る無人駅、銀河鉄道停車する駅
郵便はまだ来ていないかもしれない春の便りは少し遅れて
またいつか逢えればいいね春が来て花が咲く頃逢えるといいね
雨はもう降らないだろう離れ住むひとの心を伝えるようには
春今宵老父一人の逝った夜、湖の霧晴れてゆくらし
様々に色変えながら咲くことにすでに疲れていたりけるかも
誰だって魔法の杖は持ってないもちろん私の手は空っぽさ
幸福の青い鳥などいないことただ樹のように朽ちてゆくこと
私を呼んでいるのは洗濯機、「朝日のあたる家」の薄闇
沙羅の木の風に鳴る時風を知る夢見る頃を過ぎて久しき
とどめを刺すこともできるというように一秒間の空白があり
この岩を裂いてつくった切り通し落ち行く先も風の断崖
敗軍の将は鎌倉道を逃げ首塚一つ残していたり
もうすでにあきらめている人生の放課後に吹くその夏の風
その胸に咲く薔薇のため降る雨の優しさだけを愛しはじめて
日常が重く切なく辛いなら風の青さが身にしみるはず
見知らない街には見知らない人が、昔のあなたに似ている人が
逆瀬川、仁川、夙川、芦屋川、流れる水に花を浮かべて
玄関に猫が六匹居眠って、ローランダス家の風の休日
〈幕切れの見事さなんか言われても仕方がないよ生きていたいよ〉
やがて死はそこにひっそりやってきて待っているのだろうに 膝をかかえて
悲しんでばかりいないで夜光るこの遊星の光あつめて
地球ではいつも何処かでジェノサイド夜も目覚めて耳立てる犬
死体なき殺人劇も終るから普通の日々も始まっている
衛星(シギント)はいつも見ていた天安門、アラビア半島、日本列島
砂漠は見えないものがあるという消えた死体や顔なき兵士
垣間見た世界の終りいつだってナンセンスなる世界の終り
人知れずグレていたんだ今日一日白い木綿に針刺しながら
従順に老いて死ぬゆえこの星に青い地球に緑の国に
湾岸より以後は朝夕刊を見ずニュースは後から知ることにする
真っ白い曼珠沙華咲く〈石の華〉見えない花が今日もどこかで
私の生まれた冬のサモワールかなしみならば沸かせるだろう
心には心の傷が絶え間なく〈優雅な行進曲〉が聞こえる
『何も無し』その日七月一四日、ルイ一六世の日記短く
終日をまた一生をうたたねのオブローモフの醒めて見る夢
死ぬ他は何にもしない夕陽さすそよぐ葉陰のアンシャン・レジーム
さびしさに空の真水を汲み上げて秋はこころのうちにこそ来る
晩年の母の気鬱をまぎらわす猫の行方もわからなくなる
何処にでも折って畳んでゆけるように絵筆数本持つだけの暮し
ささやかなこの幸福でいいのよと風に吹かれる青紫蘇の花
生きて在るそのことだけを愛してもトスカ暗愁かぜのゆうぐれ
幸福なことなのかしら日本に北半球に生まれたことが
ぼうふらのように発生した群れは冬の時代が生きられなくて
出て行って帰って来ない人もいる 街に空き家が目立つこの頃
透明な秋のつづきの日に消える ジジという名の黒猫置いて
病む時があるから癒える時がある一番好きな季節は晩秋
アマデウス、蝋燭の火が消えるから早く書いてよそのレクイエム
眠れなくなるのは思いつめたから《あんたとあんたの音楽のせい》
誰かもまたどこかで歌を歌っている朝が来るのが待ちきれなくて
雪、雪、雪、雪が降る 世界は白い愛に満ちている
狂うほか死ぬほかなくて居る砂浜 千鳥が波を呼んでいるから[ 智恵子抄より]
やつれてゆく姿見るほど強くないゼームズ坂は日に日に遠い
その恋の物語には封印を 虚しくひらく贖罪の花
晩秋の雨なら知ってるかもしれない私がこんなに疲れたわけを
だんだんと心も冷めていきますね 日向の匂い忘れるほどに
なお濁り濁りきれない街の空 静かに破滅することもある
太陽は西に沈んでゆくときに少しみんなを幸福にする
いつだってあの人の後を歩いている二十年後を歩く坂道
電車からまだ見えていた赤い屋根、雑木林の古いあの家
もうそこに今は無い家、無い林 焚火していた黒沼博士
日々辛酸日々に破滅をくり返す血の色に似た夕空がある
あの人はいつも悲しい眼をしている 夢で時々会うあの人は
一瞬の炎がそれを包みこむ 世界を支える樹が炎えている
祈らせて奪う命もあるだろう〈雪のサンタマリア〉の祈り
原子量58・933記号CO原子番号27それがすべての始まりだった
半身はバターのように溶けたから残った臓器は貴方にあげる
石積みの一つ一つの均衡と石の一つの忍耐力と
そしてまた時代は変わる青空の水平線の向こうから来る波
そう言えば短い戦争があった 長い破局が始まっていた
〈私〉の死につながってゆく足跡 遠く逃げれば遠く行くほど
誰だって最後は不慮の死を遂げる 運命という風の一撃
降りかかる雪はいつでも美しい とりわけろくでなしの死に顔
「学校に行きたくない」と電話して横浜線に自死せる少女
大丈夫父母は気づいておりません むしろ我が身を責めております
部外者に口外してはなりません貴方の子供が可愛いかったら
父母集会 美談、拍手で終ります めでたく一件落着します
朝刊に轢死と載ったそのわけを知ってはいても風の噂に
黒塗りはコピーミスというわけではなくて教育委員会の調査報告
校長は無事に退職されました 何事もなき春の夕暮
遠い日に逃げてしまった青い鳥 つがいの鳥の一羽だったが
雪だけがあなたの心の色に似て触れようとすれば消えてしまう
死んでいるのではないよ ただ眠っているのだ蝶は 石よ
傾いて立つ樹のように傾いて風の手紙を待っているだけ
いつの日かまた逢う風の又三郎 さよならだけが人生じゃない
これよりは終着駅へ突っ走れ春の日暮れの海岸電車
懐かしいオブローモフに逢ったんだ 午前零時半に別れた
絶望の他に何にもないのならその絶望を食べていなさい
それは怠惰のせいというのでもなく多分生まれつきの他なく
パラダイムシフト完了夜明けだと囀る鳥の声がしている
『君たちのために腐ってしまった』もっと上手に腐らせてあげる
この上はもう何もない焼野原 春の雪降る窓を見ている
逢えるでしょうきっといつかは逢えるでしょう君は優しいゴーストになる
死のうかもう楽しいことがないのならgame・overする揚雲雀
どん底に何度も落ちてきたじゃないもうお終いと思ったじゃない
倒れこむ愛があるならそれもいい知らんふりなどしているのもいい
積載量オーバー許容量オーバー風に吹かれていたかったのに
雛人形飾って納う武者人形飾って納ういつまでの花明り
「幸福の木の実」一粒あればいい尊厳がもしそんなものなら
降る雨のミサイルよりも怖いもの生きて気体になる私たち
激突で最後は終る松葉杖そっと隠していっても無駄さ
よかったら焔の瓶詰一ダース 夢の時間さ 炎やしてあげる
ダレモミナココロニキヅヲモツという ありふれた死もやがて来るべし
少し寒く少し疲れた。夏が来ても眠っていたい木の陰の蛇
明るい日、明るい五月 草も木も花さえ殺意秘めたる五月
看守付き格子付きではないけれど花降る午後にまだ行き逢わず
〈主体〉なら遊びに来たよ昨日から誰かの胸で死にたがってる
もう何も無いことを知っている新しい日々にも何もおこらないことを
憂愁の最前線はどこにある空が錯乱する夏の朝
この街にカラスが飛んでくるわけは死臭が漂いはじめたからさ
蜘蛛の巣の繊細な糸かけられてついに息やむまでの宙吊り
物置に蛇のぬけがらいたちの巣迷宮の入口というわけではないが
燃える街、暖炉に落ちた焼夷弾 母の記憶の中のその夏
川鉄の、神戸製鋼所の煙 阪神工業地帯の煤煙
ふりむけばいつでもそこに街角に、海があったが夢かもしれない
今さらに何を求めて小綬鶏は午睡している榛の木を呼ぶ
榛の木は応えられずに耳澄ます 崖を下ってゆく水の音
一行の詩には償う力がない ゆうべ生まれてけさ死ぬばかり
あじさいの花の下にはかたつむり 雨降る午後の物思いして
桜桃忌・鴎外忌など来ると思う 明るい雨の降る街に出て
灯篭の水に流れる八月は昨日を吹いた風に吹かれる
八月のさまよう死者が問いかけるドウシテワタシハカエレナイノカ
「もしかしたらこの手で殺したのかもしれない」王の悲惨は夏に始まる
健康で生きていること死なぬこと『辛酸佳境に入る』に至らず
初めから根こそぎだった草だから 不在は誰のせいでもなくて
「あきらかに産湯を出ない一生」と占いに凝る親戚の人
「情報が話してるから僕たちは何にも話すことがないんだ」
あんな死が僕の死なんて思うなよ 悪戯好きの天使のドジさ
いきなりの自己主張とも見えてきてなぜこんなにも血を見る世界
いうなれば二重の条件つきの生 台風の目の中の日本
一九九二年の夏である 日本が日本を病んでいる夏
それだってまた喜んで手を振って 前へ前へと押されていって
突き抜けて吹く風だったはずなのに中上健次死す夏となる
しなければよかったことの一つ二つ生まれたことに比べれば何も
明日きみが死んだら信じてあげるその嘘の幼さ
雨雲は東へ去ると伝えくるさらに深まりくる欝らしき
あの人を嫌いにならないでおこう雨の日はラフマニノフを聴きながら
もう誰もいないから空は晴れて明日は明かるい日になるという
鬱陶しいほどの緑のなかにいて湧水に手をひたしていたり
富士川の上流という早川で貝の化石を拾ってきました
星が落ち貝が化石になるまでの時間をヒトは蛍のように
みすずかる信濃追分ふりむけば桔梗色した秋が来ている
その人も白いすすきのように立ち〈笛一管による井筒〉舞う
血まみれの時代の顔がふりかえる 撃ち抜かれている人間の顔
木陰から木陰へ続く小径より栗のいが踏み上る石段
栗の木の栗落ちる音えごの木の実の雨だれに似て風に鳴る音
くぬぎの実ならの実しいの実けやきの実かしの実も落ちよ風の連弾
夕暮の富士シルエットになってゆく想い出だけで生きてみようか
国分寺崖線に立つ古家は嵐吹くたび傾いでいった
海亀を見においでって言われた日 まだ観音寺にいた頃のこと
海亀は漁協の樽に入っていた お酒をのませて海に帰した
その町に昔私は住んでいた「浦島太郎」の村の子のように
千年もその前からも住んでいたその頃の人もまだいるような
伝説の岩 女が身を投げてその血に染まった海の赤岩
漁師には海があるから海へ出る 人はどうして生きるかなんて
絶滅種の一つになるかもしれない海に降る雨が見たくて海見ていれば
意味もない 疲労ばかりが快い耐えがたいまで哀れな人生!
豚よりもましかもしれないヒヒならば・・・桜の園に死にたきものを
恩寵のように澄んだ青空 美しい冬です風邪をひかないように
お気遣いは無用 微かな苛立ちといつも同じ軽い憂鬱
誰よりも柔らかそうな栗色の捲毛はナポレオンの遺髪
睡蓮と蓮の違いを誰かが言う眠く気怠く美術館の茶房
マケドニア、昔大王の生れし国〈フルーツポンチ〉の危険な香り
まだ君の火薬は湿っていませんか?僕の火薬は濡れていますが
木枯らしがおまえを待っているばかり隠れ家はもうないのだからね
暗いから灯りがとても美しいだから暗闇を怖がらないで
小鳥はいつ逃げたのだろう檻はいつ私を閉じこめたのだろう
また冬が来るのだろうか何連れて 掌にのるほどのかなしみ
ひとすくい匙で掬ってごらんなさい焦げる匂いがする 胃袋で
どの草もみんな同じ倒れ方 倒され方も似てくるものね
東洋の辺境に棲む水棲まし 波紋までもが愛らしいんだね
Ir・GaGa 水を私にと祈る シュメール文字が巨石に残る
夢を見た出血多量の紅雀 しばらくは眠れそうもない
照る月に流れる雲の影映る 湖底に村が一つ沈んだ
ともかくもそれを涅槃と呼ぶがよい行き倒れたる〈同行二人〉
御誂え向きにぼろぼろではあるがなかなか着心地のよい隠れ蓑
美しく時は過ぎたと思うべし切断の後動く虫けら
憧れて生きていた日もあったのに多分そうだったのに 忘れた
交番はいつも不在だ神様もいつも不在だ『パトロール中』
「お母さん かたつむりって貝なんだよ」 六月の雨、雨の降る庭
風ならば初夏の小径を吹いていた 古井戸一つ隠す草むら
つわぶきの黄色い花も咲いていた萼あじさいの群落の蔭
王女という渾名のがまが待っていた 雨降る前の夜の玄関
美しい楽しいことはもうないと街の隠者のように棲む蟇(ひき)
洞窟にluminous moss光蘚(ひかりごけ) 未知なるゆえに我は愛せり
行く航路(みち)を見つけたのかもしれないね 船の舳先に灯りが見える
そこだけに風が流れている気配 河口に近い海を見ている
夕焼けが好きだった子供は夕焼けが好きな大人になった それだけ
天国に一番近い収容所 一生何もしなかった罪
抵抗がなくなったから飛べません 漂うことももうできません
あの声で遠い昔も啼いていた 夜明けの空に弧を描くカラス
流されて来のは一つの舟であり 櫂と櫓もない小舟であった
〈夕焼けも三日も見れば見倦きるよ〉薄水色の空の三日月
美しい空と夕陽を追いかけてそしてそれからどうなるという
風になる! ある日突然そう思う 地球を焼いてくる炎が思う
一生には悲しい日々が何度かある 流れるように飛ぶ鳥を見た
いつだめになるかもしれない灰色の鳥は微かに血を滲ませて
これからの悲運の時代を傷ついた鳥はどうして生きるのだろう
時にはもうすべてが終ったと思う 風が焔を吹き消している
シャガールの恋人たちは空を飛ぶ 壁にもたれて私は唾る
玉葱の芯には何もないゆえにあるがままなる炉辺の幸福
老いる前に時々〈空虚〉もやってきて小半時ほどどこかへ消える
魂の抜けゆく真昼ひっそりと脱皮している蛇がいる
切れ切れのあるかなきかの生命線〈老婦人の夏〉はいつまで
青春が遥か昔であったこと 無為と無能がゆるされたこと
魂の古巣のような背表紙の金文字指でたどる図書室
甦る春があるなら死のように眠っていようね冬の陽だまり
幸福と思えば思える冬の日のその陽だまりに影さしている
陽炎が立つから春が来たのだと思ったあれは冬の陽炎
黄昏に忘れた記憶蘇える 風が木の梢(うれ)ゆらして過ぎて
最後には何にも無くなってしまう 終りの時が近づいている
《午前晴、正午浅草、夜小雨》、晩年に降る荷風の小雨
雨が降る とても静かに雨が降る 眠りなさいと夜を降る雨
この夏の心弱りか予期しない 雨のような別れのためか
あの人も私も歳をとったのだ 育った街も海も変って
私は正常ゆえに虚しいと 汚れ知らない夏の日の蘭
〈一つ星てんとう虫は毒がある〉夕暮来ればその名も消える
〈二つ星てんとう虫も毒がある〉七星てんとう虫の幸福
笛を吹く少年笛は何の笛 失くした夢を母に呼ぶ笛
今よりはまだもう少し若かった父に似ている少年の顔
父方の、母方の血を受け継いで その横顔の相似る姉弟
いつの日かあなたのために歌う歌〈さよならだけが人生ならば〉
私の心は消えてしまうから雨のようには歌えないから
眠れない夜や逢魔が時のため涙ぐむ日の日没のため
私の中にあなたが生まれた日 風が生まれた 風は旅人
私がいつか死んでも日付のない宛名すらない手紙のように
十五年前にはこの街の空を知らず かかる日暮を思いもせずに
さりながらさはさりながら何事かあきらめていた私がいた
見上げては空より青い海の青 海より青い風の夕暮れ
〈多摩川の清き流れ〉と子は歌う〈茅渟の浦幸う里〉と我は歌えり
街に降る雨は車の音で知る 夜降る雨は夜の音して
ハンガリー舞曲のように悲から喜へ変り身早く裏切らんとす
哀切でメランコリックな劇に似て昔の恋の痛みのようで
さしあたり口あたりよきシャーベット熱ある朝の身を起こすため
何よりもまどろむことの心地よさ 降る霧雨の午前十時に
恋なくて私は盲い夢なくて私は狂うそれと知らずに
簡潔な主題のための四楽章、第三楽章からの憂欝
惨憺たる希望よ薄明の絶望よ 私は何で生きようか風よ
黄昏に蒐めた夢を焚火する 巨いなる手の見え隠れして
今閉じた人の心をノックする 秋の木の実を落として風が
ほんとうはあなたに告げたかったこと 銀河最終便で届ける
<淡々とこのかなしみに堪えること>イエティの棲むネパールの空
美しい空というには怖すぎるこのごろそんな夕焼けが多い
微笑んでいるのは悪魔かもしれず 優しい悪魔であるかもしれず
哀しみはエゴン・シーレの赤と黒 尼僧に触れている枢機卿
雪の峰、風の荒野を越えてくる サラマンドラは火を恋いながら
風の神(レラ・カムイ) 雪を沈める湖の流され白鳥、眠れる白鳥
暁の共同墓地のモーツァルト 無邪気な鳥は撃たれやすくて
もがいたら羽撃いたなら逃げられる? 天国までは遠すぎるけれど
月読みの草牧原の白き馬、天翔るなら銀河を超えて
君がまだ歌わない歌があって 天の飼い葉を食んでいるところ
私は桜の花が嫌いだと誰かが歌う 低き声にて
内側から溶かしていこう 軟弱な僕らは戦争には行かない
私を滅ぼすものが世界なら、他者なら死なら 赤き口あけて
その朝、夏降る雪のように降る 暗き窓辺のエゴの木の花
夢に降る エゴの真白い花びらが 午後燦々と陽の照る中を
何度目の夏がめぐってきたのでしょう 真昼の星になったのですか
〈私はもう私ではいられない〉破滅してゆく五月の夕陽
葛藤の巷に降りてくる時に震えはじめる六月の雨
ためらいてふるえて繊き雨は降る 夢見ることをあきらめて降る
アイオロス! 風の支配者ならば訊く ここ吹く風はどこへ行くのか
焼きはらう野はまだあるか 薙ぎはらう百合のようなる心はあるか
鞠を蹴り鞠に遊んだ大納言 蹴鞠に倦きて死にたるという
一生は長すぎたのかも知れないね 千日ならば愉しかりしを
出逢いたいものなら初めにあったのだ 無関心にも似て過ぎた日に
まだ夢の亡骸ならばここにある 残骸だから苦しまないよ
一枚の紙片が炎になる炉心 その炎から飛び立つ小鳥
迷宮の森をさまよう一羽ゆえ 羽より軽く生きられもせず
どのようにたとえ一生が終っても北をめざして飛ぶ鳥がいる
もう一度風のささやき楡は聴く 北の斜面の雪消えるころ
一枚の絵皿を私は持っています 〈実朝出帆〉と名付けています
擦りながら浅瀬を渡る霧の船 すでに座礁は時間の問題
砂浜にうちすてられた船がある 海を知らずに朽ち果てる船
沈黙が怖くて何か話してる 亡霊を見たなんて言えない
そんなにも遠いところへ行っていた 躙り口から向こうは密室
こんなことナンセンスだというように位階三段跳びの実朝
でもこれで禁忌が一つ増えたのだ あなたに無礼講とはいかない
形式が絶対であるわけはない ところで太陽系はどうする
距 離(ディスタンス)とっても大事と思うんだ 誰にも近づきすぎてはいけない
木乃伊取り、埴輪になって眠る頃 帝の国の日はまた昇る
甲斐の国、酒折の宮に照る日影 ヤマトタケルは白鳥になる
かたつむりそんなに薄い殻の家 すぐに毀れてしまうだろうに
アメフラシ、雨を降らせて下さいな 答えがどこにも見つからないよ
何もかもご存じだったのですね 手を貸して下さればよかったのに
《世の中は鏡に映る影にあれや》 夢と思えば生きてもゆける
《アカルサハ、ホロビノ姿》 見苦しく張り裂けてゆく殿様蛙
精神的外傷なんてなんでもない もうすぐ木っ端微塵になるよ
疲れたら枯葉のマント被(き)て眠れ 光の春は遠いのだから
太陽が眩しいのならだるいなら オブローモフのようにおやすみ
素裸で投げ出されている点と線 サム・フランシスのように無防備
漱石やマイケル・ファラデーとは違う 森林太郎的生き方
大事だと思ったものが石ころで おかげでとっても平穏な日々
勾玉は胎児の形 月満ちて生まれるまでの幼い星か
ラクリモサ ただ簡潔であることと ああこんなにも少ない音符
すでにもう半券ばかり 大方は見終わっているこの世の舞台
あの頃の私は「現実」にまだ平手打ちされたくらいの若さ
母親であるアザラシは死んでいる 気息奄々波打ち際で
まいまいがまいまいであるそのためにぬめりと殻が必要である
生きているこの荷が重い蝸牛、銀河に飛んでゆけよ砕けて
祥  * 『ダイジェスト版』   * 17:06 * - * -

水たままりの空 抄  

病み疲れほろりはらりと紫木蓮 月へ帰ってゆく泣き兎
水遁の、火遁の夜を奔る風 忍びがたくて葛篭重蔵
あるものは今宵離れゆく大空を火の粉が舞う火の鳥だろう
雪じゃない花が散ります桜ですこれが最後の波瀾万丈
救援の部隊は来ないどこからも 未来の地図のない国がある
小舟にも魚がついて来るという 大きな河があるという国
降りたくてたまらない空 泣きたかったら泣けばいいのに痩せ我慢の空
あの時もあの日も頼りない風がマルメロの葉をそよがせていた
金色の筋が燿めく桜色 イトヨリ鯛より細く美しい魚
蜻蛉飼う私の脳は可哀想 あまり眠りもせずに夜もすがら
真っ白に青空に咲くさるすべり夏がまったりと来ていると思う
水底に水が湧くとき砂も湧き 石舞い上げる光の器
永遠の無国籍軍フェルマータ国境越える蜜蜂部隊
クレッシェンド・デクレッシェンドどうしろというのだ降ったり止んだり雨は
台風が来ているらしいこんな夜「薔薇への三つの願い」聴こうね
雨月には透明石のような曲 ピアノと管弦楽の組曲
エロティック生まれつきだと花蘇芳 狂う牛とか狂う月とか
張り裂けた二つの顔のどちらかに懐かしい人優しい人の
しっかりと遺伝子を巻き閉じこもる巻貝にして憎悪のシチュー
誘惑 あともう少しやってみようかな こうして汚い死に際
雨の日の青蛙こそ愛しけれ 薄い緑のひかりの雫
どんよりと乳白色の空の下 唐辛子の実の赤、花の紫
折鶴蘭どこまでのびてゆく茎の辿りゆく先 地上の機影
秋茗荷 雨月の闇の底に根を生やししとどの朝露に濡れ
荒草の繁れば薔薇もジャスミンもたちまち煙る霧雨の秋
重ね書く枕詞の連なりの二重懸かりの幻視幻聴
阿修羅はきれいな仏像である 石窟破壊する国もあり
ほろほろと頭の芯が酔った気分 「無関心」の花咲き
無関心になった自分の心にはエノコログサもほとほと手を焼く
ほんとうは誰にも何にも興味なくエノコログサは風に吹かれる
永遠のはらわたを抜く作業して「レ・ミゼラブル」バック・ステージ
岩場には岩場の色のイグアナが重なりあって海を見ていた
てのひらに残るぬくもり月光の生み落したるひかりの卵
透かし見る光の卵 なきやまぬ小さき薄紅きモンスター
静かなる炎が見えてほんとうのあなたが見える阿修羅の裸像
春のように眠る空母が目覚めたら誰にも止めることができない
夜が来た不安な夜だ世界樹が葉を湿らせる孤独な夜だ
どんぐりが帽子被って落ちている 華麗な秋のさみしい一個
風の日は木の実降らせて雨の夜は銀鱗降らす交信記録
水面にも晩秋の雨ふりしきるせめて榛の木まっすぐに立て
満月の夜の乱心の気疎さに渦巻きながら消えるシャコンヌ
鏡花の言う「春は朧でご縁日」夜を燈して怠惰に暮れて
やがてもう人は誰をも非難せず春陽炎のようなたつきを
クリスマスツリーを肩に歩く人 ピエール&シベールの樅
落書きの後はそのまま残されて 夕空低く町の蝙蝠
スピノザはレンズを磨くゆっくりと 秋はエチカとマロングラッセ
胃袋は天才じゃないスピノザのレンズ磨きの生計の技
ゆっくりとレンズ磨けば見えてくる哲学的誤謬や愛の欠落
修辞法、その一、その二、何よりも気配消し去る文体序説
朦朧と夢見るようにありがちなロシア気質の巣ごもり卵
まどろみの中から外へ出たくないつまりそういう獏の一生
崩壊の過程を生きているらしい遠い海まで行けたらいいね
「アカショウビン」その名の通り赤い鳥 嘴までも紅い鳥という
郵便の記念切手のその一つ「水辺の鳥シリーズ」の鳥たち 
茴香のウィのかなしみ水無月は憂いある月、上水に雨
山峡の畑に咲いた馬鈴薯の花に雨降る夏が来ている
〈甲州百目〉、烏が好んで食べるから一つ残して 夕陽の梢
忘れられさびしかったと三日月が小舟浮かべる星の湖
誰ゆえに名づけられしか万年草 記憶の底の花に逢いにゆく
次々と啓く手紙のそのように雪兎の噛む歯型現る
卒塔婆といい慰霊碑といい墓碑といいやがて夕陽の照らす石や木
クロッカスやリボンで飾るスイートピー マラガの葡萄も素敵な晩餐
ゆうべ聴く冬の雷(いかずち)冬の雨 草木地下に眠る幸福
たいせつなあなたをなくしたあの日からたいせつな日がなくなりました
大切な一日のため雨よ降れ しずかにひらいてゆく花がある
ひらり 蝶 ひらり ふわり と街川の 流れをこえて 春の野に出づ
川沿いの道を歩けば見えてくる海の背中と白い帆船
架橋駅その橋の下通る風 海辺の町の匂いしている
夙川の堤防の道、香櫨園駅より海へ一本の道
山肌は今にも赤く露出してこの街を呑むと断頭見せる
芦屋川、住吉川が氾濫し「細雪」にも書かれた洪水
湯村という温泉がある甲府の外れ 太宰冶が逗留したという
湯村という温泉がある鳥取にも 夢千代日記の舞台と言われる
川浦の湯は信玄の隠し湯と言われ湯治に猿も鹿も来る
有馬の湯 黄色くタオルを染めながら宝塚歌劇団の生徒さざめく
奈良田には奈良田温泉、七不思議、石や烏が話を運ぶ
お天狗が攫って行った殿様の若君のほか入らぬ湯宿
砂糖菓子崩れる魂は濡れて 晴れた空から降る天気雨
せせらぎに大河に海に注ぐ川にブナの森から注ぐモルダウ
何処にもあるらし地獄坂というこの世の坂をのぼる冬の日
一本の樹にとまる鳥 一枚の画布に描く空 その空の青
森の香も清しき樫の木の舟も二人の櫂も流されていた
赤い月鼓鳴る冬の公演の レダよあなたは官能の蛇
猫語など覚えてみてもしようがない私の猫は死んでしまった
グロリア アンダルシアの火の心マノロ・カラスコ風のバラード
ストラホフ修道院のコンサート冬のプラハの雪のセレナーデ
森の奥 予言の鳥は飛んだかしら シューマンの鳥、眠りの森の
天井に天使舞うから図書室の空に予言の鳥も羽ばたく
貝殻も海に生まれた神もいるその良心のような音楽
魂を楽器にしたらどんな形? 掬ってみたい海の透明
ラルケット 天使が喇叭吹くときに 始まるだろう世界の終わり
いつだってリアルタイムで書いていて私の鳥は記憶喪失
移り気な小鳥のように気紛れな予言の鳥も抱えるユーロ
ブナの森、ヴルダヴァ、エルベ、凍る海 雪も流れて言葉も消えて
元気になってよかったね羽毛3枚=300g軽やかに熱も引け
大四楽章「生」 九十歳、朝比奈隆が振る終楽章
張り裂けたと思ったらそこは青空 水の無い月が始まる
「五ヶ月間、水の無い生活でした。」旧友からの年賀状の余白
神々しい満月だけが空にあり 張り裂けた街の残骸があり
回送の電車が千切れそうだった 高架下商店街のある駅
定点で観測してもわからない 山襞深く病む人までは
無意識と記憶喪失 その二つ、病と言えば病かもしれず
つめたいよさむいよ凍りそうなんだよ誰かが噛んでいるよ真上で
寓話風 永久凍土に眠る象 寒いから毛むくじゃらで氷の中
北の海辺で出逢ったのはアザラシ 雪斑の子連れの海豹
ノクチュルヌ半音階と対位法 ノアンの日々の草光る日々の
NOHANTその村かつてショパンの卓の花野菜など摘んだ畑道
空に鳥、水に魚というこの春の空の愁いのよう 濁る空
誰一人待たない故郷と知ったとき柱時計も止まった気配
水がほしい水がほしいと根を張って根ばかり張って瘤だらけの樹だ
苦蓬・チェルノブイリの4号炉覆う石棺 雨のロシアの
1907年製のサモワール 刻印された帝政ロシア
エルミタージュ サントペテルブルグの灯がともる「この世に完全な幸福はない」
〈休みなさい。陽気であれ!〉と告げている 『孔雀時計』が時を報せる
月光を浴びてアマリア・ロドリゲスが歌うファド「暗いはしけ」
川辛子クレソンの濃い緑敷きガーリック牛肉ソテーに赤い冷采
夜明けにはまた産みたての卵を抱いて途方にくれる
日の暮れの蛇崩れ坂に行き惑う 菜の花色の月も滲んで
桜散る絢爛豪華な崩壊をしばらく見ない水たまりの空
きっと今日投函するよ あの町の夕焼け色の丸いポスト
春の雨しずかに降れば黄昏の心満たしてゆく水位線
ソノヒトガモウイナイコト 秋の日にふしぎな楽器空にあること
祥  * 『ダイジェスト版』   * 13:28 * - * -

海の絵 抄

物として物の形として残る三段式マホガニーの本箱
1907年製の湯沸かしと、くるくる引き出す硝子戸の本箱
シュワシュワ たてがみも尾も黒き馬 風をさらって東洋の馬  
雨乞いの黒馬、晴れ願う白馬 祈願の絵馬は日の国の馬
湖の岸に沈んだ葦舟も鴛の浮き巣も降る雨の中
ここにある悲しい気分の水たまり 極月なれば映す裸木
舌あれるほど食したる蝶・葉虫 蝦蟇も蝸牛も篭もれる枯葉
磁気嵐すぎゆく月の砂漠にも月の仔馬や兎が眠る
流されて流れて待てば億年の氷河の底に眠るマンモス
潮の海 でいだらぼっち身を浸す 肘・膝、擦ってゆく鮫・鯨
銀青の燐粉散らし甍越え 水惑星をこえてゆく蝶
宙をゆく風の帆舟や月の馬 虚空の底に湧く星の砂
やくざにも屋形船にも刃にも「や」がついているやさぐれの「や」が
んとこしょどっこいしょって んと重い石はこぶ運命の「ん」  
岩手県江刺市威武師字菊池 物語りせよ吹雪やむまで
西さ行っても父さいね東さ行っても母さいね 此処さおいでとおがさの囲炉裏 
数千の蛍が宿る木の話 ガダルカナルの、サイパン島の
真珠より小さく青く光る星 蛍集まる木があるという
人肉を食した兵士もいたという「命(めい)ニヨリ生キ命(めい)ニヨリ死ス」
焼夷弾、原爆、椰子の実、蛍の木 昨日毀れたTVで見たもの
吉野郷、天川村の「ごろごろ」と名づけられたる秋の名水
たかだかと思えどススキ、女郎花、秋の饗宴 離れて紫苑
いにしえの道を辿れば海も見え 高凪という凪の瀬戸内
緑釉に元気な兎走るからきっと明日はよいことがある 
白釉の小さな壷を手にのせてつつんでみれば温もりの朝 
古備前は深夜ひそかに鳴るという 満身創痍の備前の壷が
白磁の壷、住吉川の水乾き鰯雲湧く秋空の下 
白磁壷、気品に溢れ涼しげに 異郷の秋の紅葉の中 
なぜこんなにさびしいのですか 鼬(いたち)だったらわかりますか
なぜこんなにさびしいのですか 白ふくろうにはわかりませんか
なぜこんなにさびしいのですか 面ふくろうって可笑しいですね
なぜこんなにさびしいのですか なぜ教会の屋根裏が好きなのですか
なぜこんなにさびしいのですか とうとう鷹と争ったのですか
なぜこんなにさびしいのですか もう夏は終ったって知っていますか
どんなにでも冷たいものは生まれます 氷塊一つ夏の彫刻
人の顔人の声して火喰鳥 火を放ちゆく微かに燃える
夜の闇に流れて溶けてゆくコーダ セルゲイ・ラフマニノフの終曲
「休止符の時にも歌え」アルトゥール・トスカニーニのレッスンその1
楽譜集燃やしてあがる炎がある また夏が来る海岸倉庫
バルセロナ、サグラダ・ファミリア教会の尖塔の穂の穂の上の青
薔薇色の空をバックに立っているヒマラヤシーダの大きな影が
ヒマラヤの水に雪(すす)がれ氷より透明な色、欠片の形
淋しくてひとりぼっちで悲しくて ヒマラヤシーダの枝走る栗鼠
雪だるま スノウマンにも春は来て 溶けてしまった夢の紫
そんなにも羞ずかしがりやのきみだから残して帰る 春のヒマラヤ
ふかふかの綿毛の中の小さくてやさしい瞳 きみの青空
薔薇、水仙、ジャスミン香る春の夜 月光降りて蘇る花
見憶えはこの薔薇色の蛇にして石棺守る女王の蛇
雨の日は川にも見える坂道は ヒマラヤシーダとリラの向こうね
南側の窓の向こうに木が繁り リラが咲くという四月の真昼
合法的脱出をしたのね透明なある日世界の隙間を抜けて
風景が遠く見えたり灰色の石膏色の街に見えたり
いつだってどこだっていい何でもいい生きていようね美しい秋
ヒメダカを家人が10匹貰ってきて放す川底の砂と砂色
知らないでいるのはいつも一人だけ鴉が運ぶ巣の枝一枝  
鬱兆す雨期の森には幽かながら杳い遥かな麝香の匂い 
桃の花 その桃色の明るさに雪洞燈すその悲しみに
春の夜の夢ばかりなる手枕のざぁざぁ降りを歩むザリガニ
鮮やかに心ほどけてジャカランダ 花祭り冬去れば春
渦巻いているね世界がゆっくりと流れるように死んでゆくのか
梅が咲き、雪柳が咲き、桜が咲き、咲く花の下 鬱々と猫
夢でいいもう一度だけ黄昏の春の優しい雨であること
レクイエム聴こえて愛の第二章 ページに挿む木の葉の栞 
擦れ違う人群れすべて老いていて石膏色の街に佇む
人間が去り動物たちが去り 水惑星に降る雪がある
もう言わないもうさよならも永遠もいつ終ってもいい優しい時間
火の鳥に似ている白色矮星をティコブラーエに教えてあげる
ヌレエフとプリセツカヤの赤い月 「レダ」は二人の残した手紙
官能の蛇が月夜に舞踏する「ボレロ」もう戦争は終ったかしら
さびしくてたまらないから逢いに来てマイアサウラの木霊する声
また明日夜間飛行機飛び立つよ サン=テグジュペリの郵便飛行機
シディ・ブ・サイド美しい街の褐色のキック 梅雨の日本に
虹色のシャワーを見たよ校庭でサッカー部員が水撒くホース
そこだけに静寂がある 終了のホイッスル鳴る時のカーン氏
淡々と凭れるカーンの表情を見せてゆっくりVideoは切れる
子はグレー孫はアルビノ遺伝子の表現形式、検定交雑
「詩経」「楚辞」そしてそれから始まった律詩、絶句と古詩の流れは
定型と自由詩分かれてゆく時の 五言絶句と七言絶句
律詩には五言律詩の対句あり押韻ありて漢詩月韻
腑抜けとも愚か者とも旅行記の独逸、伊太利亜、長い空白
鵞鳥より暢気な当主、落魄も知らずに遊ぶ稚気のみの医師
裏山の茗荷も破竹も猪に 胡桃や茸もやられましたか
吹っ切れた顔をしていた爽やかな声が聞こえた 理由とルールが
雨の日のレインコートの思い出は黄色いレインコートの思い出
手をつなぎ階段降りて国立のノイ・フランクやサンジェルマンへ
一ツ橋大学通りでお買い物 紀ノ国屋さんや銀杏書房
雨の日のお買い物には自転車が使えないから雨のお散歩
風が愛し乱歩が愛し茉莉さんが愛し 回転木馬まわる浅草 
花筏、葉に実を乗せる花筏 飛蝗も蜻蛉も乗せておくれよ
サンカヨウ、一本蕨、ツルシキネ 怪人二十面相の夢
それでもなお優しさよりも大切なものはないよと弥勒の微笑  
一輪の薔薇の花さえ汲み上げるいのちの水が渾身あがる  
百合の茎まっすぐ昇る真水あり ブナの森なれば水の合唱   
『安南の人は子供を沢山産む』「佛印」からの叔父さんの葉書  
『道路には子供の遊ぶ声がして家の中では母親が子を叱る声がする』 「北の薔薇』チェンマイ、美しい町の黄昏の橋渡る列車で  
水田と小川と風にゆれる芭蕉 家鴨が歩く村「北の薔薇」  
外に出てふーらりふらり散歩する芭蕉がゆれる緑と水を  
小川には影が映っておりました鳥がゆっくり飛んだらしくて  
夜明けには鶏、アヒル、鴨の声 霧が流れて始まる朝  
人間の側面描けば人間の欲望生まれ育つプロセス  
村人と猫と犬数匹が蝋燭と花を捧げる灯の村の祭  
密林の雨に打たれている芭蕉 田中一村の芭蕉の葉っぱ   
モルダウは流れる合唱も聞こえるヴルダヴァ、エルベ、森の国の河
ブナの森、ヴルダヴァ、エルベ、凍る海 雪も流れて言葉も消えて
せせらぎに大河に海に注ぐ川にブナの森から注ぐモルダウ
緊迫が常態としてあるゆえに精悍な顔見せるアフガン  
街角の海見る煉瓦の会館の小窓から見る海岸通り  
また行けば解体される店舗あり海岸通りの午後の散歩道  
郷愁は危険な薔薇の棘かしら 私を刺す病む薔薇の棘 
一度だけ破ってしまうかもしれない「悲の器」にはしない約束
大連から届いた本に挿まれた栞一葉、涼しい栞
白光の束が空から届いたら何か異変があるといいます
薄青い鳥の刻印標されて封印された夏の消息
前日に食べた手紙の白い束 消化できない山羊の「ヤギハシ」
手紙には優しい愛の花言葉 ヒマラヤに咲く芥子の便箋
アドレスは確かでしょうかキカイにも難なく文字は読めるでしょうか
トラックを追って走った道くんとロンが見送る鉄路のほとり  
国立の三角屋根の後にも卒塔婆のような灰色のビル  
ロータリー見下ろす画廊に見る漆器 水盤に浮く睡蓮の花
何事もなく過ぎたわけじゃない何事もない毎日を望んだ狐
失ったものは言葉や物じゃない燃えていたのは火鼠の皮衣
ガンダーラ、ガンダーラと今歌うあれはタケカワユキヒデの声 
空き地には蛇苺熟れ三輪車漕ぐ幼子の足も見えてくる
ホテイアオイは水鉢の中、水鉢の中にはメダカと斑の金魚
遥かで杳くてやさしいものにいつか逢えると思っていたが
初夏の朝は薄紫の悲しみに浸されていることに気づいたりする
東京は雨 紫陽花の芽もふくらんで雨季近い川のせせらぎの音
リンパ腺、耳下腺腫れて五月闇 灯ともし頃は鬱兆す頃
木は眠り木は育つ霧の森木の海は遥かな心育てて眠る  
異次元の入り口だったかもしれない 朧月夜の桜咲く道 
私たちはいったいどうなってゆくのだろうか もう真っ暗かもしれない明日
ためつすがめつしているうちに一本の樹になってしまえり翠の桜
空想と空想むすぶ接点に空の巣があり燕やすらう  
イクパスイ彫刻された木の意匠 道南十二の館の出土品 
吹雪く城 蝦夷の地に立つ城ゆえに年貢納める米倉を持たず
交易の商品あれば石高に換算すれば無限の富を積む
弁財船、北前船の航路から引き揚げてくる数多の賜物
異文化と異種交易の接点に蝦夷の夕焼け落日の海
ブナにはなおブナだけに付く蜂もいてブナの森から湧き出る光
露草が路傍に咲いて露の青ドクダミの白シャガの紫
愛の通夜さみどりの通夜もう誰も愛を無理やり殺しはしない  
アダージョが流れる海辺 廃船と水平線に溶ける太陽
夕焼けと雑木林と降る木の実 もう帰れない烏のお宿 
百合が咲き水仙が咲く断崖のせり上がりゆく波の先端  
失われた時を求めて彷徨えば森蔭に湧く燿めく泉  
人間が怖くなることありません?私は今とても怖いの
春真昼、他人が解らなくなって 旧友以外は怖くなってて
睡蓮とウォーター・レタス浮かべている水鉢、金魚もメダカも泳ぐ
庭先まで山あじさいの藍色に煙って見えた雨の坂道
通り雨、霧が昇れば座敷まで霧這いのぼる山霧の里
鹿に会い、ハクビャクシンに遇う林道 木のトンネルを抜ければ峠
峠から見れば本栖湖から登る富士山頂にかかる月
流れ星、流れて消えて流星群、あなたの住んでいる町に降る
皮膚一枚、心一個の重さにも足りず 言の葉、木の葉 言の葉、木の葉
祥  * 『ダイジェスト版』   * 13:22 * - * -

眩惑 抄 161

感情は食べてはならないと文殊菩薩 食べていいのは萵苣(ちしゃ)や白菜 
山あいの生姜の花の薄紫 雨の日、雨のひかりあること
野火止のムラサキシキブ花盛り 水辺が好きな一本の樹は  
夏来ればさやぐ身なれば白い旅 水呑む龍が睨む一水 
午が丘、夕陽が丘に挟まれて 朝日が丘の磯野波平 
観音寺・箕浦、燧灘めぐる海岸線の予讃本線
薔薇病めば棘もまた病む 桜桃忌・鴎外忌など来る雨季の憂鬱 
殺されて幸福だったと言えるほど煮詰めてあげる幸福のジャム 
野焼きした春の煙も憶えている山桃のジャム届ける 君に 
あの人は待っていました郊外の小さな駅に車をとめて
点在し時間と距離を超えて会う おちあう場所は風の洞窟
病む母の夜の心のさくら・さくら 桜を待たず母は逝きたり 
母がまだ若かった頃の隣家なる「櫻正宗」砂地続きに 
防火水槽代わりに酒の大樽を隣家より頂くという 家焼け残る 
その年の神戸は焼かれ焼け残り 昔の「洋館」の暖炉と酒樽 
ロシアより帰った人が建てたからニコライ時代のサモワールもあり 
その古い役に立たない湯沸かしは今も私の部屋の片隅に 
震災後その街を訪ねてはいません おそらく潰れてしまっているから 
東京に桜咲き満ちる春の、日比谷帝劇・日生・東京宝塚劇場 
観覧車ゆらりと高しお台場の水に浮かんだブルー・クラフト
国立の大学通りの桜も咲く 銀杏書房の洋書に挿む 
一ツ橋大学図書館、時計塔 枝垂れ桜が咲く入学期 
池水に浮く花びらが風紋を 甲羅を見せた亀も数匹 
その赤い三角屋根の駅ももう何時までだろう ビル聳り立つ 
並木道十字に交差するところ交番前の桜と桜 
珈琲店の一面硝子窓に見る 爛漫の春大学通り 
一斉に花は葉桜、街路樹は欅若葉の萌え出る五月 
お茶壺は夏を氷室の城山で 夏が終れば江戸城内へ  
堀割に雪溶け水は滔々とご城下の田を潤してゆく  
用水の淵には桜の花びらが渦巻き流れる春の奔流  
城代や高禄の武士住居する家中川橋渡る一画  
石垣を低くめぐらし椿植え、桜を植えて池に水も引く  
桜散る無人の駅の善光寺、甲府盆地を静岡へ発つ  
急行も止まらない駅善光寺、高台にあり桜散る駅 
身延線 中央線に平行し桜吹雪の銀河鉄道  
その村でいちばん旧い家がある薄墨色の夕闇も来る
旋回、旋回、旋回、旋回 グラン・ジュテ! 薔薇、薔薇の精、跳ぶニジンスキー
再見!」とあなたは行ってしまったね 春の日逢った人が春逝く  
あの世から今日も降る雪・降るみぞれ この世からも書くあなたへの手紙 
絵葉書の余白に滲む海の色 桜前線黒潮育ち
約束はまだ果たせない花便り 渡海船は一日二便
秋山の無生野というところには護良親王親筆の信 
「この子は私の大事な子で〜」 作家が残した命名の手紙
手形押し、「僕は元気だ安心して」 戦地から来た兵士の手紙
夜空より九億九光年の彼方 瞬く星が生まれる便り 
亡くなった政田岑生氏デザインの玲瓏箋の藤沢蛍 
揚雲雀 ちからのかぎり飛翔して悲しみ告げる茜空あり  
森の奥しづかに水はきよらかに野生の樹林貫いてゆく 
もう飛べない飛びたい夢ももう持たない 東京湾に夕日が落ちる 
泣くたびに美しくなる死ぬたびに美しくなる 風の不死鳥  
そして風! 天翔る鳥、火の鳥は 光になるよ 《グランド・ゼロ》の 
春怒濤 憂鬱症の猫となる 卒業写真から遠い日々 
春早き神戸の街の花吹雪 さよなら雨に煙る聖母子(像) 
卒論は13枚の『地獄変』 締切の日の窓口で書く 
雨上がり ひかりを曳いてツバメ飛ぶ 街が大好き人間が好き 
雪を割って陽だまりに咲く野の花の小さく炎える春の絵手紙
ゆっくりと記憶の野火は放たれて手負いの獣追いつめてゆく
誰よりも愛しているというように 春の雪降る生まれたばかり
現実に私は何をすればいい 失う前に教えてほしい
病室の窓の向こうに積乱雲 母が入院していた夏も
いつだって言葉にならない言葉だけ ためらうように月が出ている
原潜が浮上している 春うらら 東京湾に立つ蜃気楼  
昨日また誰か死んだね、雨の燕 「いつもこの駅で降りていた人」
ブック・オフに知は100円で売られけり 海を渡って死んだマンモス  
蕗の薹、どっさり採った裏山の斜面に去年の鬼灯(ほおずき)の赤 
たらの芽の天麩羅もよし、ふきのとう・たらの芽、籠に入れて下る坂道 
木小屋あり竹藪あれば踏み迷う 蜥蜴、かなへび、洞の蝙蝠
ホップには薄緑色の花が咲き、夏の雨降る微かに匂う 
そういえば昔も花を見ていたね 六香公園の冬の日だまり  
大きな木 勇気・元気と名づけられ雨の公園の真ん中に立つ 
簡単な引っ越しが済んで ラーラと呼んでる犬の小屋も作って
人生は悲しすぎる何かである 私は歌を歌いはしない
手をつなぐ黄色いレインコートを着た子供 雨の日はいつも手をつないで
野の果てにタンポポ枯れて綿毛飛ぶ 日本に帰りたいしゃれこうべ
人が死ぬ その時何が起こるのか 花束を乗せた始発電車よ 
「酒鬼薔薇」 海見る丘のニュータウン 殺意の薔薇の棘もびっしり
遠い日の夏の日暮れの路地の奥 蝋石で絵を描いていた少女
けんけんぱけんけんけんぱ日が暮れる 夕日が落ちる海が見えない 
表情に出さない出せないこともある 一瞬、数秒ほどの空白 
数字には変換できない言葉にも表現できない あなた一人を 
十数羽のみ生き残っていたアホウドリ「発表によれば一千羽」南の島に無数に殖えよ 
祥  * 『ダイジェスト版』   * 22:28 * - * -

原人の海図 2 抄

水無月の雨の青さよアジサイの紫翳る雨の青さよ
病み疲れ病み呆けてもいる花びらが水無月の文になりたいという 
まだ雨は降っていますか 雨の日は痛む右手をどうしていますか
命には命の水が必要です 葦、葭原に 鷺、カイツブリ 
炎天にやすらう木陰なき蝶が身をよこたえる紫陽花のもと 
夏の雪ゆうべ降るかと思うまで白き花びら散る木陰には 
「二百年後に最高の音を出す」 ヴァイオリンは夢を見ている
白き蘭あなたのことだ満ちてくる記憶の中に射す晩夏光
風よどむ日の匂いがあるとあなたは言う 海の匂いを伝える手紙 
帰ろうか 少し疲れてきた私 今、故郷の空の誘惑 
椿がゆれ椿の影がゆれている 土塀に夕日、掘割の水
この星のどこかに必ずいるだろう 反世界にも雨のかたつむり
サリサリとセロリを食めば、朝採りの胡瓜、トマトも浮かぶ井戸水
ぎらぎらと太陽が照る油照り 狐が待っている曼殊沙華
きっとこの石そっくりの魚もいて 石のふりして眠っているね 
夜明けにはめざめる魚 昨日見た夢がリアルで怖かったこと
ぐんにゃりと木は立つサンレミ療養院 南を離れ北を恋う人
荒れ狂う空の下にも麦畑 ヒース花咲く故郷へ向かう 
烏羽玉の夜に目覚めて儚ければヴァイオリン・ソナタのための第二楽章 
クリスマスツリーを肩に歩く人 ピエール&シベールの樅 
クロッカスやリボンで飾るスイートピーマラガの葡萄も素敵な晩餐
ガラパゴス諸島の象亀 イグアナも重なりあって海を見ている
足跡をみんな消したら死にましょうマイマイツブリノヒカルアシアト 
ガザX光の中に消滅す 幾万の影ヒトガタノカゲ 
グレゴール・ザムザが死ねばグレゴール・ザムザに似ている虫もまた死ぬ
カフカ作『断食芸人』の台詞<タベタイモノガナカッタダケデス>
『マルチニック島、蛇使い』「震えるピン」のアンドレ・ブルトン
もしかするとそこはあなたの左耳 愉しい比喩や音楽のこと
宇宙蛇タラリトゥラリ真夜垂れて銀の小雨を降らす晩夏だ
炎には還元炎と中性炎 攻めの炎と守りの炎 
偏頭痛起こるときにはわかるのよ眩しい光に包まれるから
遠い蝉鳴いてるこの世の果てに立つ一本の樹が落とす病葉
眠りすぎ?眠らなさすぎ?どちらでも冷たい水ね指がよろこぶ
左から稲妻が来て引き裂いて疼かせて去る脳葉の森
雪の日を思い出します雪の日の酸っぱいような痛さが来ます
水よりも静かに時を刻む音、ユンハンス製目覚し時計  
金属のベルトの一部が歪んでる鈍い光沢、遺品の時計  
古楽器や古時計には何があるの 永遠という涼しい時間  
過ぎた日の後悔に似て海馬には沈澱してゆく時の残骸  
思い出の回転木馬の遊園地、長針の馬と短針の驢馬  
カリヨンの橋を渡れば見えてくる双瘤駱駝のような山並み
寺院では鐘を鳴らしてその鐘の聞こえるまでの町を保存する  
水時計、日時計、砂の時計あり 終身無言の歌を歌って  
江戸の鐘、ノートルダムの鐘の音、川面に春を告げていた音  
ドクドクと流れています血の半身 出血多量の柱時計です  
夕闇の蔵座敷には射の光 柱時計が鳴ったみたいです  
もう既に死に絶えている血の系図 人気ない夜軋む秒針  
お別れにもう一度だけゆっくりと螺旋階段上る日時計  
最終のバスは四時半 犬目宿本陣大黒柱の時計  
遠ざかるバスが残した土埃 コスモス街道まだ日は暮れぬ
追分を陣馬街道曲がり行く西多摩に入るボンネットバス
花遍路、遍路の道のバス停に夏越の祭の日程張られ 
私の中にもバスが走ってる 最終バスかもしれないバスが
ひらり 蝶 ひらり ふわり と街川の 流れをこえて 春の野に出づ 
川沿いの道を歩けば見えてくる海の背中と白い帆船 
架橋駅その橋の下通る風 海辺の町の匂いしている 
夙川の堤防の道、香櫨園駅より海へ一本の道 
山肌は今にも赤く露出してこの街を呑むと断頭見せる
芦屋川、住吉川が氾濫し「細雪」にも書かれた洪水 
砂糖菓子崩れる魂は濡れて 晴れた空から降る
せせらぎに大河に海に注ぐ川にブナの森から注ぐモルダウ
「太古の海」「盆の海」など話す時ジャック・マイヨール氏自殺の訃報
絵葉書のグラン・ブルーに百匹のイルカが描く海の曲線
一本の樹にとまる鳥 一枚の画布に描く空 その空の青 
森の香も清しき樫の木の舟も 二人の櫂も流されていた 
赤い月 鼓鳴る冬の公演の レダよあなたは官能の蛇
猫語など覚えてみてもしようがない 私の猫は死んでしまった
旋律ハソコデ膨ラミソコデ消エソコデ躓キソコデ泣クノダ 
ロマンスは秋の焚き火の火の色のあなたのためにだけ歌う歌 
楕円ゆえ二つの焦点持っている答えも二つ人生の法則
音楽と言葉について話すとき死んでもいいほどきれいな夕焼け
夢想から生れるものは倦怠で倦怠からは殺意が生まれる 
或いはまた倦怠よりも実直な働き蟻の集団自殺 
商店街、駅前通り、遊歩道、日々通る道に出会う人たち  
境内の鳩に餌を撒くお婆さん八坂神社も杜の武蔵野  
野火止のほとりに立てば鴨、子鷺、「江戸街道」に交叉する川
季節には季節の花が咲く町のサルスベリ咲く夏の日想う
素裸の木々は冬陽を浴びながら東京もいま春を待つ日々
曇りなく晴れた東京 人工の渚に遊ぶヤドカリの群れ  
蜘蛛の巣も蟻の巣もあり蜂の巣になるかもしれない東京に住む
地下街の果てもまた地下 東京は重深度地下迷宮の森
大江戸は「大江戸線」にのみ残り春曙の空に紛るる
六本木麻布の高台、荷風氏の偏奇館なる住居もあった
人間が怖くなることありません?私は今とても怖いの
春真昼、他人が解らなくなって 旧友以外は怖くなってて
飢餓線上這ってゆく虫一列になって冬へと向かって歩く
背景の山から射した西日受け開け放たれる寺院の蔀  
後光射す仏三体、涅槃の釈迦、阿弥陀如来の来迎図絵も  
自力といい他力というも同じ謂 自他一致して虚空の散華  
畦道に蛙が鳴いて雨降って無力のおたまじゃくしが育つ  
人間もおたまじゃくしが進化してこんなになったなれの果てかも  
無力って宇宙の力に委ねきりまかせて生きる大きなチカラ
焼け残る木仏の中に千躰の胎内仏を宿すみほとけ  
草はらをそよがせて去る風のこと鎧戸の中聴こえるピアノ
南天の赤い目をした兎にも見えるだろうか雪の結晶
今捕ってきたばっかりの海老や蛸 茹で上げている腕(かいな)たくましく 
熊にはねぇ滅多に会えないんだよって山の湯の宿の女あるじは 
祥  * 『ダイジェスト版』   * 17:42 * - * -

原人の海図 1 抄

苦しくてならぬと傾(かし)いでゆく身体 大王松の一生終わる
碾き臼を引くとき驢馬は何思う 窓を持たない小屋と碾き臼
お終いになるまで少しある時間 木は空洞に音を楽しむ
(遠くまで飛べないだろうか)海深くある日思った<天使の翼>  
幾度目の拒否を経験するマウス悲しみらしき青の点滅
いつだって置き去りになる石ならばいっそ知らせよ石塊の重さ
死の死の死 眠るためには千年を眠れる言葉が必要だった
三月は優しい季節しゃんしゃんと鈴を鳴らして神社の仔馬
木蓮がそして辛夷が咲くだろう 春ですあなたは死んではいけない
熊の仔は走る熊の親も走る 阿寒の冬は終ったらしい
白い花ジンジャー香るこの夕べ花に降る雨、小径の翳り
手紙には雪解け水の冷たさと春の香りのする草のこと 
廃線のレールがのびてゆく村にひらく月夜の無数の茸 
閃光に地球は開き天蓋の草原もゆる焼けて爛れて
鮟鱇は吊るされ皮を剥ぎ取られ自分がなんだかわからなくなる
「衝撃」と「恐怖」の作戦ありまして 炎える狐が走った砂漠
火の色に包まれていた夜のこと母なる星と教えた狐
おんねんはさばくにうみにふりしずみよるのそこひをながれるオイル
ときじくのかくのこのみのかぐわしくあめのはるよもひでりのなつも
<屋根描けば屋根打つ雨の音も描け>甍に落ちる一粒の雨
車海老、酒に浸して躍らせて食する餐の惨にして燦
薄切りの茗荷、青紫蘇、葱、オクラ、平目/海鮮の舞
虚しさの他に何にもないような このむなしさが存在の証?
かなしいね だってもうすぐ死ぬんだよ みんな、私たちみんなさ
土蜘蛛は長病みにけり病み臥して心弱りて糸吐きにけり
存在が儚くなって背もたれが軽く感じて私がいない
たっぷりと大きな愛が注がれて<地球>と名づけられて生まれる
マエストロあなたの優雅で繊細な音の海から私は生まれた
薔薇色の時の睡りをねむったら目覚めるだろう クメールの風
いつだって此処にある愛 ミミズクが風のささやき聴く夜の森
牡蠣殻の牡蠣の妖艶、牡蠣の華 乳白の靄たなびく夕餉   
火の透明、水の透明、白菜が透ける土鍋の水鶏沸々
ふっくらとやさしく煮えた水鶏と真白き葱の相聞の光  
カラザにはカラザの主張あるらしくぬらりつるりとつかまえられず   
ふりむけば白雉(はくち)の舞の藤の花 あかねさす恋、薄ら氷の冬
私は今日も私の絵を描くよ ドアを開ければ海はすぐそこ
達成は何事にもあれ最終の列車連結解く摩擦音
壁画には迦陵頻伽の鳥鳴きて菩提樹、蓮(はちす)、石に射す影
海鼠、雲丹、壷焼きさざえ、蕗に添え貝の酒蒸し潮の香の膳
泣き兎、月跳ぶときは古傷が微かに痛む しっかりと跳べ
蜜蜂は働き者か 巣が蜜と光りで溢れるほどに働き者か
心がねちょっと火傷をしたのですだからね少しだけやすみます   ☆               
汚されて汚れて生きるその他にどんな生き方あったのだろう
夕陽射す局舎に漸く浜風が もうすぐ帰って来る釣り船が
さてどこに再構築があるのかと見回せば窓際のペンギン
容赦なく苛酷な嵐吹き付けて最終戦争みたいな日々が
泥牛蒡、葱がはみ出す袋がある この夕刻の淋しい時間
伊勢海老の舌に仄かな甘さに似て暮れなずむそら港夕景
港には雨降るもよし止むもよし 出船入船にぎわう夏は
吊るされしまま削がれゆく鮟鱇の体内にありしころの水嵩
文房具店宇宙堂の小父さんと小母さんの愛想良しは天下一品
自転車屋、お肉屋さんも閉店し閑古鳥鳴く坂下商店街
薄紅の茗荷、生姜を食すとき夏ゆうぐれの涼しさは来る
紫陽花の色失せし頃アジサイの干菓子涼菓の店の打ち水
祝祭は仄かに杳く黄昏の光の中の鱧の身の白 
牡蠣、鮑、さざえ、檸檬の風炉に入れ遺恨煮詰めて土産の煮貝
薔薇色の生ハム冷やしその陰にトマトの滲むカニバリズムか
空洞に百合を懐胎する裸身 処女懐胎のマリアの胎児
あの夏のあなたが元気だった日の夏の訪問 百合を見ていた 
山蔭の百合の胞子を受けとめて蛍見る沢、水満ちる沢 
さよならと手を振っていた 庭先のユリが小さく揺れていた夏
いつかまた 一年後の約束のあなたがいないこの夏の駅
笹百合の祭を見むと奈良の旅 稚拙可愛ゆき犬のお守り  
百合若の末裔にして血の系譜 百代の裔うたう百合歌 
笹ゆりの媛蹈鞴五十鈴姫命子守神 犬の守りも尼僧が作る
三輪山の三枝祭ゆりまつり水無月の鬱流す狭井川
櫂も櫨もなくした船が午後の海、曳航されてゆく春の湾
夜明けには茂る葉蔭に一艘の小舟を隠す海人の村
ここに包んできたのはあなたへの愛 でも引用禁止です
星空のプテラノドンに出逢ったら 虹の卵をみごもっていた
つつまれて眠る幸福 まどろみに千の蝶々通う四阿(あづまや)
最初から鋤鍬にすればいいのに 刀なら鞘におさめて
大根でも洗ってなさいご城下の城下鰈 川霧がつつむ朝
野兎が跳んでいるからもうこれはつつみきれない歓喜の季節
丹頂の朱色に風の蓮華微笑 いつか夕陽につつまれていた
洞窟の奥の地底瑚 水脈の何処より来て鳴らす水琴 
地下水の音聴く町の底深く 酒造会社の地下伝う音
でんでんむしまいまいつぶりかたつむり陸生巻貝、若葉食む音
蛙、蛇、鰐、棲む河に雨が降る 雨のアマゾン昼の遠雷
春の日の地下水の音、武蔵野の機関区最後のトンネルの
その殻の内側からもつつく音 やがてあなたのヒナが生まれる
桃、杏、さくらんぼうの実るころ虹の子どもの孔雀の産声
竹林を驟雨過ぎ行く暁に雉子鳴くゆえに明日は善き事
雨の町、鈴鳴るように初燕 燕が飛べば美しい夏
起動音、受信する音 機能する音はしずかに充ちて来る潮
洋上を遥か風立ち 飛べざればヤンバルクイナは啼くばかり
剥落は音なく目にも見えなくていつか私の全てとなって 
石たちがお喋りしているカワラヒワ蝦夷山鳥のように日溜りで
池の面に龍頭鷁首の船浮かべ桜かざして舞を舞う光源氏に楽奏じよう 
鶯のささ鳴き聞けば春は来て 紅梅色の朝も始まる
ある時は浦島太郎ある時は花咲か爺さん夢の種蒔き
春の日の鞦韆ゆれて雲飛べば馬頭琴鳴る西域の風
なにかしら真実疲れた思いあり花野を歩く馬を羨む
今はもうただ独り在る心にて日の暮れがたの坂くだりゆく
わたくしが雨であるなら弾かれて草の葉つたう雨の一粒
雪が降るかもしれないとい言っている ユキノシタは緑の薬草
爆心地グランド・ゼロの記憶より無花果の夕べ滴る乳の
鬱兆す雨期の森には幽かながら杳い遥かな麝香の匂い  
明日の朝だあれもいない校庭に葉っぱ生やした木に似た鳥が
溜息と絶望歌うことのない夏が来るのね白いサルスベリ
まどろみの時間が貴女を癒すよう祈っています 温かいね 雨 
すべて終り、もう何もないと歩く時、道にはツツジ炎え始めている
「亡き名聞く春や三年の生き別れ」丈草の句の中の人影
燕の巣、薔薇色の空 雲焼けて螺旋階段の明治の旅館  
重量を預けてゆらりゆらゆらと象の花子は木洩れ日の中
井の頭公園水も木も光る 50年間鼻揺らす象
クヌギ・ナラ光る小径を草笛が 誰かの吹いている「グリーン・スリーブス」
きらめいて湖面はボート浮かべている 水鳥幾羽午睡する森
山紫陽花、牡丹、芍薬、百日紅 梔子パオパオ熟睡する象
井の頭公園の象、象の目がまどろんでいる 恒河沙の夢  
お釈迦様 象の花子が行きますよ もうすぐ貴方の菩提樹の下  
ふるさとの涅槃の釈迦の寺に立つ樟の大樹の夢の千年  
やがてゆく菩薩、観音、如来にて朝陽、夕陽の石窟寺院  
眠る象、眠る釈迦無二 菩提樹はいのち養う至福の眠り  
微笑んでいるお地蔵さん前垂れの赤い地蔵が蝶とまらせる  
孫の手を引いて通っている人の地蔵に花を届ける人の  
鯉を見てとりどりに咲く花を見て公園通りの日が暮れるまで 
祥  * 『ダイジェスト版』   * 15:26 * - * -
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