「銀河最終便 」 1992〜1994 













『銀河最終便』

・流されて来たのは一つの舟であり 櫂も櫓もない小舟であった

・〈夕焼けも三日も見れば見倦きるよ〉薄水色の空の三日月

・美しい空と夕陽を追いかけてそしてそれからどうなるという

・風になる! ある日突然そう思う 地球を焼いてくる炎が思う

・一生には悲しい日々が何度かある 流れるように飛ぶ鳥を見た

・いつだめになるかもしれない灰色の鳥は微かに血を滲ませて

・これからの悲運の時代を傷ついた鳥はどうして生きるのだろう

・時にはもうすべてが終ったと思う 風が焔を吹き消している

・シャガールの恋人たちは空を飛ぶ 壁にもたれて私は唾る

・玉葱の芯には何もないゆえにあるがままなる炉辺の幸福



・老いる前に時々〈空虚〉もやってきて小半時ほどどこかへ消える

・魂の抜けゆく真昼ひっそりと脱皮している蛇(くちなわ)がいる

・切れ切れのあるかなきかの生命線〈老婦人の夏〉はいつまで

・青春が遥か昔であったこと 無為と無能がゆるされたこと

・魂の古巣のような背表紙の金文字指でたどる図書室

・甦る春があるなら死のように眠っていようね冬の陽だまり

・幸福と思えば思える冬の日のその陽だまりに影さしている

・陽炎が立つから春が来たのだと思ったあれは冬の陽炎

・黄昏に忘れた記憶蘇る 風が木の梢(うれ)ゆらして過ぎて

・最後には何にも無くなってしまう 終りの時が近づいている



・《午前晴、正午浅草、夜小雨》、晩年に降る荷風の小雨

・雨が降る とても静かに雨が降る 眠りなさいと夜を降る雨

・この夏の心弱りか予期しない 驟雨のような別れのためか

・あの人も私も歳をとったのだ 育った街も海も変って

・私は正常ゆえに虚しいと 汚れ知らない夏の日の蘭

・〈一つ星てんとう虫は毒がある〉夕闇来ればその名も消える

・〈二つ星てんとう虫も毒がある〉七星てんとう虫の幸福

・笛を吹く少年笛は何の笛 失くした夢を母に呼ぶ笛

・今よりはまだもう少し若かった父に似ている少年の顔

・父方の、母方の血を受け継いで その横顔の相似る姉弟



・いつの日かあなたのために歌う歌〈さよならだけが人生ならば〉
           さよならだけが人生ならば/また来る春は何だろう  寺山修司

・私の心は消えてしまうから雨のようには歌えないから

・眠れない夜や逢魔が時のため涙ぐむ日の日没のため

・私の中にあなたが生まれた日 風が生まれた 風は旅人

・私がいつか死んでも日付のない宛名すらない手紙のように

・十五年前にはこの街の空を知らず かかる日暮を思いもせずに

・さりながらさはさりながら何事かあきらめていた私がいた

・見上げては空より青い海の青 海より青い風の夕暮れ

・〈多摩川の清き流れ〉と子は歌う〈茅渟の浦幸う里〉と我は歌えり

・街に降る雨は車の音で知る 夜降る雨は夜の音して



・ハンガリー舞曲のように悲から喜へ変り身早く裏切らんとす

・哀切でメランコリックな劇に似て昔の恋の痛みのようで

・さしあたり口あたりよきシャーベット 熱ある朝の身を起こすため

・何よりもまどろむことの心地よさ 降る霧雨の午前十時に

・恋なくて私は盲い夢なくて私は狂うそれと知らずに

・簡潔な主題のための四楽章、第三楽章からの憂鬱

・惨憺たる希望よ、薄明の絶望よ 私は何で生きようか風よ

・黄昏に蒐めた夢を焚火する 巨いなる手の見え隠れして

・今閉じた人の心をノックする 秋の木の実を落として風が

・ほんとうはあなたに告げたかったこと 銀河最終便で届ける





『優しい悪魔』

<淡々とこのかなしみに堪えること>イエティの棲むネパールの空

美しい空というには怖すぎるこのごろそんな夕焼けが多い

微笑んでいるのは悪魔かもしれず 優しい悪魔であるかもしれず

哀しみはエゴン・シーレの赤と黒 尼僧に触れている枢機卿

雪の峰、風の荒野を越えてくる サラマンドラは火を恋いながら

風の神(レラ・カムイ) 雪を沈める湖の流され白鳥、眠れる白鳥

暁の共同墓地のモーツァルト 無邪気な鳥は撃たれやすくて

もがいたら羽撃いたなら逃げられる? 天国までは遠すぎるけれど

月読みの草牧原の白き馬、天翔るなら銀河を超えて

君がまだ歌わない歌があって 天の飼い葉を食んでいるところ





『顫えはじめる』


私は桜の花が嫌いだと誰かが歌う 低き声にて

内側から溶かしていこう 軟弱な僕らは戦争には行かない

私を滅ぼすものが世界なら、他者なら死なら 赤き口あけて

その朝、夏降る雪のように降る 暗き窓辺のエゴの木の花

夢に降る エゴの真白い花びらが 午後燦々と陽の照る中を

何度目の夏がめぐってきたのでしょう 真昼の星になったのですか

〈私はもう私ではいられない〉破滅してゆく五月の夕陽

夏に病む太陽があり森があり 誰のためでもない凋落がある

葛藤の巷に降りてくる時に顫えはじめる六月の雨

ためらいてふるえて繊き雨は降る 夢見ることをあきらめて降る

アイオロス! 風の支配者ならば訊く ここ吹く風はどこへ行くのか

焼きはらう野はまだあるか 薙ぎはらう百合のようなる心はあるか

鞠を蹴り鞠に遊んだ大納言 蹴鞠に倦きて死にたるという

一生は長すぎたのかも知れないね 千日ならば愉しかりしを

出逢いたいものなら初めにあったのだ 無関心にも似て過ぎた日に





『恋しきは秋』

光る海、海見る丘に吹いた風 その気軽さが好きだったのに

どんなにか遠回りして念入りにわざわざ無くした夢だったろう

饗宴はまだ始まったばかり 復讐劇はさらに優雅に

身軽にはなれない私 許されないほどの悪でもないのに

悲しみのために盲いた梟と 精霊たちが今宵の主役

太陽をもう何十回もまわったが 誰も悲劇を演じられない

稲妻が連れてきた雨 あの雲の切れ間から射している日の光

まだ夢の亡骸ならばここにある 残骸だから苦しまないよ

剥製の鳥が見ている北の空 CDで聴くユーカラの歌

鴎外の口髭に見るダンディな明治の男 恋しきは秋

鴎外は優しい父であったから微笑の似合う父だったから

一枚の紙片が炎になる炉心 その炎から飛び立つ小鳥

迷宮の森をさまよう一羽ゆえ 羽より軽く生きられもせず

どのようにたとえ一生が終っても北をめざして飛ぶ鳥がいる

まだもしも言葉があれば語るのに 死にたいほどの自由について

もう一度風のささやき楡は聴く 北の斜面の雪消えるころ





『アメフラシ譚』


一枚の絵皿を私は持っています 〈実朝出帆〉と名付けています

擦りながら浅瀬を渡る霧の船 すでに座礁は時間の問題

砂浜にうちすてられた船がある 海を知らずに朽ち果てる船

沈黙が怖くて何か話してる 亡霊を見たなんて言えない

そんなにも遠いところへ行っていた 躙り口から向こうは密室

こんなことナンセンスだというように位階三段跳びの実朝

でもこれで禁忌が一つ増えたのだ あなたに無礼講とはいかない

形式が絶対であるわけはない ところで太陽系はどうする

陽のあたるところに眠る三毛猫の鈴が鳴ってる 夢に噛まれて

距 離(ディスタンス)とっても大事と思うんだ 誰にも近づきすぎてはいけない

木乃伊取り、埴輪になって眠る頃 帝の国の日はまた昇る

甲斐の国、酒折の宮に照る日影 ヤマトタケルは白鳥になる

ある意味で疎まれているあの人たち私はあの人たちが好きです

かたつむりそんなに薄い殻の家 すぐに毀れてしまうだろうに

すべてもう終ったことさ 疲れきるおまえを見たよ 冬の街角

どうしようかと思うほどかなしい日〈カムイ・ユーカラ〉アトイが歌う

アメフラシ、雨を降らせて下さいな 答えがどこにも見つからないよ

最後には死が救いだというように 花を見ていたなんてあまりだ

序曲から終曲までのくらやみに花は萎れていったのでした

何もかもご存じだったのですね 手を貸して下さればよかったのに

《世の中は鏡に映る影にあれや》 夢と思えば生きてもゆける

《アカルサハ、ホロビノ姿》 見苦しく張り裂けてゆく殿様蛙

ほんとうは死んでいるんだ 痛いのはケロッグ・ケロッグ錯覚なんだ

かなしみがまた夕闇を連れてくる 降りだしそうな寒い春の日

雨の日に探していたのは名無しの猫 ホリー・ゴライトリーの飼猫

ずぶ濡れで街をさまよう名無しの猫 明日がなくても生きねばならず

精神的外傷なんてなんでもない もうすぐ木っ端微塵になるよ

〈死にたくも眠りたくもない〉死にたくても眠りたくてもそれができない

私は夢を見ていた夢は忘れたが まだこの先もつづく現実(うつつ)や

死児を抱き北に向かえる一家族 一路の果ての冬の家族よ

日本を縦断してゆく列車に乗る 骨壷を膝に抱えた家族が

灯の下に 或る幸せの一家族 かなしみ知らず生きし頃あり





『微笑みの国』


かなしみよ生々流転する川よ 世界樹の沈みゆく河

囚われてしまった船は動けない 囚われている理由

そしてまた虚しい明日、そしてまた夢の凍結 私を殺せ

閉じられて初めて完成する円環 波頭から砕ける形

死には死のスピードがある 壁掛が織り上るまで待っていられない

なお生きよ! 禁断の実を食み尽くせ 不死なる鳥がいるわけもない

疲れたら枯葉のマント被(き)て眠れ 光の春は遠いのだから

太陽が眩しいのならだるいなら オブローモフのようにおやすみ

汚れなくイノセントなるヒトゴロシ血に染まるほど白く透ける手

〈微笑の国〉は微笑、〈黄金の国〉は黄金 奪われて夏





『JJのため』


母というかなしいものを何としよう 私の通ってきた暗闇を

虚しさは昨日も今日もありました それが永遠なんです実は

その先に何があるってわけでもなく 生まれ変って生きたくもなく

素裸で投げ出されている点と線 サム・フランシスのように無防備

目を瞠るような奴だよともかくも ひとりぼっちで来る死神は

死神の羽交い締めなど怖くない どこまでだって逃げてあげる

どよめきは森の向こうの球技場 森の中では風が死んでる

漱石やマイケル・ファラデーとは違う 森林太郎的生き方

残骸のような時代に生きる鳩 広場よごしているだけの鳩

喝采と非難は一つ「肖像にあなたは全然似ていない」って

愛されることを拒んだ物語 たしか放蕩息子の話

〈血の汗が流れるほどに熱心に〉イエスは祈るゲッセマネの祈り

十字架を背負って登る ゴルゴタへ 手足を釘で打たれるために

三人の中の一人の罪人が イエス・キリストと呼ばれた男

聖霊によって妊る子はイエス ヨセフを父とよばなかった子

幸福の宅配便はないですか? 退屈しているJ・Jのため

胃袋を鋏で切られたんですね 石ころ詰めて縫ったんですね

大事だと思ったものが石ころで おかげでとっても平穏な日々

死に方はいくつもあるが死はひとつ 未来世紀に私はいない

「アンチェインド・メロディ」歌う一路真輝 映画『ゴースト』でも流れていた





『冬の祝祭』

「エリ、エリ、ラマサバクタニ」その弱さ限りなく終末に近づく

気絶した瞬間に見えたのは 母船(マザー・シップ)のような貝殻

勾玉は胎児の形 月満ちて生まれるまでの幼い星か

もうすぐだね 張り裂けてゆく樹が見える 蝉はとっくに死んでしまった

マダミエナイ トッパコウナドドコニモナイ 蟻は墓穴を掘っているのさ

ラクリモサ ただ簡潔であることと ああこんなにも少ない音符

スコアには数小節の生と死が 最後に一声啼くと白鳥

引き金は自分で引こう 一発はただ一発に過ぎないけれど

全てのもの全てのことを善しと言いし この善きことの残酷にして

精霊の言葉捕えよ 風と樹と空が交わしている秋の歌

鉄仮面 一人が一人の影になる 影は陽気な短命な王

その秘密封印されて 私が誰であっても私は私

おそらくは君を明かるくするものの一つに闇の存在

フイルムに感光している放射能 『石館』と呼ばれている4号炉

一歩ももう歩けないって気分だよ 大きな鳥の影を見ている

夜明け前 死骸を積んだ貨車が出る 早く死ぬ者ほど運がいい

夜明け前 焚火を囲む人たちか 奇妙に明るい一角がある

あきるほど雨を見た夏 仰向けに死んでしまった灰色の蝉

乾く身はアリにもキリギリスにもなれず 失語に至るまでの過程

その道が鎖されている もう一つの死が始まっているかもしれず

安住に適した土地じゃないけれど ここより先へは飛べぬタンポポ

我思わぬゆえに我在り 生キルタメ、明日を思わず我を思わず

つらいつらい人生なんてなくていい 冬の時代の思惟するゴリラ

みんなみんなひとりぼつちで死んでゆくひとりぼつちで生まれた烏

見渡せば財務局の官舎の屋根 給水塔に群がるカラス

オレンジに染まった街の交差点 あるとき風がおまえをさらう


                                     『玲瓏』




すでにもう半券ばかり 大方は見終わっているこの世の舞台

あの頃の私は「現実」にまだ平手打ちされたくらいの若さ

酸素止めれば死んでしまう熱帯魚である 午後の水槽

母親であるアザラシは死んでいる 気息奄々波打ち際で

暗渠には暗渠の風が吹いている遠い国から吹いてくる風

御詠歌をうたう老婆たちは信ず 衆生を救う仏あること

曼陀羅をかけ蝋燭の炎みて 炎の中に仏見ている

砂漠には砂漠の花が残されて サン〓テグジュペリもランボーも死す

沈黙は最後の言葉 誰よりも大切にして軽蔑している

全体を括弧で括つて隠れたい 透明願望引きずっている

子別れに儀式はいらず春氷雨「週間賃貸」置かれた机

まいまいがまいまいであるそのためにぬめりと殻が必要である

少し熟れ傷ついている果物が百一歳の遊亀さんのマンゴー

生きているこの荷が重い蝸牛、銀河に飛んでゆけよ砕けて

イキテユクコトハトッテモムヅカシイ 鳩も烏も生息すれど

海見れば海の青さに空見れば空の青さに人恋う心

かさぶたのような一生かもしれない すでに何かは起こってしまい

しなかったことの後悔満ち満ちてだからといってしたくもなかった

斜滑降してくる烏……そうだ忘れていた君のこと


                                    『雁玩館』
                            
祥  * 『冬の祝祭』(初出「玲瓏」) * 19:12 * comments(0) * trackbacks(0)

銀河最終便



銀河最終便









流されて来のは一つの舟であり 櫂も櫓もない小舟であった



〈夕焼けも三日も見れば見倦きるよ〉薄水色の空の三日月



美しい空と夕陽を追いかけてそしてそれからどうなるという



風になる! ある日突然そう思う 地球を焼いてくる炎が思う



一生には悲しい日々が何度かある 流れるように飛ぶ鳥を見た



いつだめになるかもしれない灰色の鳥は微かに血を滲ませて



これからの悲運の時代を傷ついた鳥はどうして生きるのだろう



時にはもうすべてが終ったと思う 風が焔を吹き消している



シャガールの恋人たちは空を飛ぶ 壁にもたれて私は唾る



玉葱の芯には何もないゆえにあるがままなる炉辺の幸福



老いる前に時々〈空虚〉もやってきて小半時ほどどこかへ消える



魂の抜けゆく真昼ひっそりと脱皮している蛇がいる



切れ切れのあるかなきかの生命線〈老婦人の夏〉はいつまで



青春が遥か昔であったこと 無為と無能がゆるされたこと



魂の古巣のような背表紙の金文字指でたどる図書室



甦る春があるなら死のように眠っていようね冬の陽だまり



幸福と思えば思える冬の日のその陽だまりに影さしている



陽炎が立つから春が来たのだと思ったあれは冬の陽炎



黄昏に忘れた記憶蘇える 風が木の梢(うれ)ゆらして過ぎて



最後には何にも無くなってしまう 終りの時が近づいている



《午前晴、正午浅草、夜小雨》、晩年に降る荷風の小雨



雨が降る とても静かに雨が降る 眠りなさいと夜を降る雨



この夏の心弱りか予期しない 雨のような別れのためか



あの人も私も歳をとったのだ 育った街も海も変って



私は正常ゆえに虚しいと 汚れ知らない夏の日の蘭



〈一つ星てんとう虫は毒がある〉夕暮来ればその名も消える



〈二つ星てんとう虫も毒がある〉七星てんとう虫の幸福



笛を吹く少年笛は何の笛 失くした夢を母に呼ぶ笛



今よりはまだもう少し若かった父に似ている少年の顔



父方の、母方の血を受け継いで その横顔の相似る姉弟



いつの日かあなたのために歌う歌〈さよならだけが人生ならば〉



私の心は消えてしまうから雨のようには歌えないから



眠れない夜や逢魔が時のため涙ぐむ日の日没のため



私の中にあなたが生まれた日 風が生まれた 風は旅人



私がいつか死んでも日付のない宛名すらない手紙のように



十五年前にはこの街の空を知らず かかる日暮を思いもせずに



さりながらさはさりながら何事かあきらめていた私がいた



見上げては空より青い海の青 海より青い風の夕暮れ



〈多摩川の清き流れ〉と子は歌う〈茅渟の浦幸う里〉と我は歌えり



街に降る雨は車の音で知る 夜降る雨は夜の音して



ハンガリー舞曲のように悲から喜へ変り身早く裏切らんとす



哀切でメランコリックな劇に似て昔の恋の痛みのようで



さしあたり口あたりよきシャーベット熱ある朝の身を起こすため



何よりもまどろむことの心地よさ 降る霧雨の午前十時に



恋なくて私は盲い夢なくて私は狂うそれと知らずに



簡潔な主題のための四楽章、第三楽章からの憂欝



惨憺たる希望よ薄明の絶望よ 私は何で生きようか風よ



黄昏に蒐めた夢を焚火する 巨いなる手の見え隠れして



今閉じた人の心をノックする 秋の木の実を落として風が



ほんとうはあなたに告げたかったこと 銀河最終便で届ける













優しい悪魔









<淡々とこのかなしみに堪えること>イエティの棲むネパールの空



美しい空というには怖すぎるこのごろそんな夕焼けが多い



微笑んでいるのは悪魔かもしれず 優しい悪魔であるかもしれず



哀しみはエゴン・シーレの赤と黒 尼僧に触れている枢機卿



雪の峰、風の荒野を越えてくる サラマンドラは火を恋いながら



風の神(レラ・カムイ) 雪を沈める湖の流され白鳥、眠れる白鳥



暁の共同墓地のモーツァルト 無邪気な鳥は撃たれやすくて



もがいたら羽撃いたなら逃げられる? 天国までは遠すぎるけれど



月読みの草牧原の白き馬、天翔るなら銀河を超えて



君がまだ歌わない歌があって 天の飼い葉を食んでいるところ

















六月の雨









私は桜の花が嫌いだと誰かが歌う 低き声にて



内側から溶かしていこう 軟弱な僕らは戦争には行かない



私を滅ぼすものが世界なら、他者なら死なら 赤き口あけて



その朝、夏降る雪のように降る 暗き窓辺のエゴの木の花



夢に降る エゴの真白い花びらが 午後燦々と陽の照る中を



何度目の夏がめぐってきたのでしょう 真昼の星になったのですか



〈私はもう私ではいられない〉破滅してゆく五月の夕陽



夏に病む太陽があり森があり 誰のためでもない凋落がある



葛藤の巷に降りてくる時に震えはじめる六月の雨



ためらいてふるえて繊き雨は降る 夢見ることをあきらめて降る



アイオロス! 風の支配者ならば訊く ここ吹く風はどこへ行くのか



焼きはらう野はまだあるか 薙ぎはらう百合のようなる心はあるか



鞠を蹴り鞠に遊んだ大納言 蹴鞠に倦きて死にたるという



一生は長すぎたのかも知れないね 千日ならば愉しかりしを















風の囁き









出逢いたいものなら初めにあったのだ 無関心にも似て過ぎた日に



光る海、海見る丘に吹いた風 その気軽さが好きだったのに



どんなにか遠回りして念入りにわざわざ無くした夢だったろう



饗宴はまだ始まったばかり 復讐劇はさらに優雅に



身軽にはなれない私 許されないほどの悪でもないのに



悲しみのために盲いた梟と 精霊たちが今宵の主役



太陽をもう何十回もまわったが 誰も悲劇を演じられない



稲妻が連れてきた雨 あの雲の切れ間から射している日の光



まだ夢の亡骸ならばここにある 残骸だから苦しまないよ



剥製の鳥が見ている北の空 CDで聴くユーカラの歌



鴎外の口髭に見るダンディな明治の男 恋しきは秋



鴎外は優しい父であったから微笑の似合う父だったから



一枚の紙片が炎になる炉心 その炎から飛び立つ小鳥



迷宮の森をさまよう一羽ゆえ 羽より軽く生きられもせず



どのようにたとえ一生が終っても北をめざして飛ぶ鳥がいる



まだもしも言葉があれば語るのに 死にたいほどの自由について



もう一度風のささやき楡は聴く 北の斜面の雪消えるころ















アメフラシ譚









一枚の絵皿を私は持っています 〈実朝出帆〉と名付けています



擦りながら浅瀬を渡る霧の船 すでに座礁は時間の問題



砂浜にうちすてられた船がある 海を知らずに朽ち果てる船



沈黙が怖くて何か話してる 亡霊を見たなんて言えない



そんなにも遠いところへ行っていた 躙り口から向こうは密室



こんなことナンセンスだというように位階三段跳びの実朝



でもこれで禁忌が一つ増えたのだ あなたに無礼講とはいかない



形式が絶対であるわけはない ところで太陽系はどうする



陽のあたるところに眠る三毛猫の鈴が鳴ってる 夢に噛まれて



距 離(ディスタンス)とっても大事と思うんだ 誰にも近づきすぎてはいけない



木乃伊取り、埴輪になって眠る頃 帝の国の日はまた昇る



甲斐の国、酒折の宮に照る日影 ヤマトタケルは白鳥になる



ある意味で疎まれているあの人たち私はあの人たちが好きです



かたつむりそんなに薄い殻の家 すぐに毀れてしまうだろうに



すべてもう終ったことさ 疲れきるおまえを見たよ 冬の街角



どうしようかと思うほどかなしい日〈カムイ・ユーカラ〉アトイが歌う



アメフラシ、雨を降らせて下さいな 答えがどこにも見つからないよ



最後には死が救いだというように 花を見ていたなんてあまりだ



序曲から終曲までのくらやみに花は萎れていったのでした



何もかもご存じだったのですね 手を貸して下さればよかったのに



《世の中は鏡に映る影にあれや》 夢と思えば生きてもゆける



《アカルサハ、ホロビノ姿》 見苦しく張り裂けてゆく殿様蛙



ほんとうは死んでいるんだ 痛いのはケロッグ・ケロッグ錯覚なんだ



かなしみがまた夕闇を連れてくる 降りだしそうな寒い春の日



雨の日に探していたのは名無しの猫 ホリー・ゴライトリーの飼猫



ずぶ濡れで街をさまよう名無しの猫 明日がなくても生きねばならず



精神的外傷なんてなんでもない もうすぐ木っ端微塵になるよ



〈死にたくも眠りたくもない〉死にたくても眠りたくてもそれができない



私は夢を見ていた夢は忘れたが まだこの先もつづく現実(うつつ)や



死児を抱き北に向かえる一家族 一路の果ての冬の家族よ



日本を縦断してゆく列車に乗る 骨壷を膝に抱えた家族が



灯の下に 或る幸せの一家族 かなしみ知らず生きし頃あり















枯葉のマント









かなしみよ生々流転する川よ 世界樹の沈みゆく河



囚われてしまった船は動けない 囚われている理由



そしてまた虚しい明日、そしてまた夢の凍結 私を殺せ



閉じられて初めて完成する円環 波頭から砕ける形



死には死のスピードがある 壁掛が織り上るまで待っていられない



なお生きよ! 禁断の実を食み尽くせ 不死なる鳥がいるわけもない



疲れたら枯葉のマント被(き)て眠れ 光の春は遠いのだから



太陽が眩しいのならだるいなら オブローモフのようにおやすみ



汚れなくイノセントなるヒトゴロシ血に染まるほど白く透ける手



〈微笑の国〉は微笑、〈黄金の国〉は黄金 奪われて夏

















J・Jのため









母というかなしいものを何としよう 私の通ってきた暗闇を



虚しさは昨日も今日もありました それが永遠なんです実は



その先に何があるってわけでもなく 生まれ変って生きたくもなく



素裸で投げ出されている点と線 サム・フランシスのように無防備



目を瞠るような奴だよともかくも ひとりぼっちで来る死神は



死神の羽交い締めなど怖くない どこまでだって逃げてあげる



どよめきは森の向こうの球技場 森の中では風が死んでる



漱石やマイケル・ファラデーとは違う 森林太郎的生き方



残骸のような時代に生きる鳩 広場よごしているだけの鳩



喝采と非難は一つ「肖像にあなたは全然似ていない」って



愛されることを拒んだ物語 たしか放蕩息子の話



〈血の汗が流れるほどに熱心に〉イエスは祈るゲッセマネの祈り



十字架を背負って登る ゴルゴタへ 手足を釘で打たれるために



三人の中の一人の罪人が イエス・キリストと呼ばれた男



聖霊によって妊る子はイエス ヨセフを父とよばなかった子



幸福の宅配便はないですか? 退屈しているJ・Jのため



胃袋を鋏で切られたんですね 石ころ詰めて縫ったんですね



大事だと思ったものが石ころで おかげでとっても平穏な日々



死に方はいくつもあるが死はひとつ 未来世紀に私はいない



「アンチェインド・メロディ」歌う一路真輝 映画『ゴースト』でも流れていた















冬の祝祭 









「エリ、エリ、ラマサバクタニ」その弱さ限りなく終末に近づく



気絶した瞬間に見えたのは 母船(マザー・シップ)のような貝殻



勾玉は胎児の形 月満ちて生まれるまでの幼い星か



もうすぐだね 張り裂けてゆく樹が見える 蝉はとっくに死んでしまった



マダミエナイ トッパコウナドドコニモナイ 蟻は墓穴を掘っているのさ



ラクリモサ ただ簡潔であることと ああこんなにも少ない音符



スコアには数小節の生と死が 最後に一声啼くと白鳥



引き金は自分で引こう 一発はただ一発に過ぎないけれど



全てのもの全てのことを善しと言いし この善きことの残酷にして



精霊の言葉捕えよ 風と樹と空が交わしている秋の歌



鉄仮面 一人が一人の影になる 影は陽気な短命な王



その秘密封印されて 私が誰であっても私は私



おそらくは君を明かるくするものの一つに闇の存在



フイルムに感光している放射能 『石館』と呼ばれている4号炉



一歩ももう歩けないって気分だよ 大きな鳥の影を見ている



夜明け前 死骸を積んだ貨車が出る 早く死ぬ者ほど運がいい



夜明け前 焚火を囲む人たちか 奇妙に明るい一角がある



あきるほど雨を見た夏 仰向けに死んでしまった灰色の蝉



乾く身はアリにもキリギリスにもなれず 失語に至るまでの過程



その道が鎖されている もう一つの死が始まっているかもしれず



安住に適した土地じゃないけれど ここより先へは飛べぬタンポポ



我思わぬゆえに我在り 生キルタメ、明日を思わず我を思わず



つらいつらい人生なんてなくていい 冬の時代の思惟するゴリラ



みんなみんなひとりぼつちで死んでゆくひとりぼつちで生まれた烏



見渡せば財務局の官舎の屋根 給水塔に群がるカラス



オレンジに染まった街の交差点 あるとき風がおまえをさらう









「玲瓏」23号〜30号

















海豹









すでにもう半券ばかり 大方は見終わっているこの世の舞台



あの頃の私は「現実」にまだ平手打ちされたくらいの若さ



酸素止めれば死んでしまう熱帯魚である 午後の水槽



母親であるアザラシは死んでいる 気息奄々波打ち際で



暗渠には暗渠の風が吹いている遠い国から吹いてくる風



御詠歌をうたう老婆たちは信ず 衆生を救う仏あること



曼陀羅をかけ蝋燭の炎みて 炎の中に仏見ている



砂漠には砂漠の花が残されて サン〓テグジュペリもランボーも死す



沈黙は最後の言葉 誰よりも大切にして軽蔑している



全体を括弧で括つて隠れたい 透明願望引きずっている



子別れに儀式はいらず春氷雨「週間賃貸」置かれた机



まいまいがまいまいであるそのためにぬめりと殻が必要である



少し熟れ傷ついている果物が百一歳の遊亀さんのマンゴー



生きているこの荷が重い蝸牛、銀河に飛んでゆけよ砕けて



イキテユクコトハトッテモムヅカシイ 鳩も烏も生息すれど



海見れば海の青さに空見れば空の青さに人恋う心



かさぶたのような一生かもしれない すでに何かは起こってしまい



しなかったことの後悔満ち満ちてだからといってしたくもなかった



斜滑降してくる烏……そうだ忘れていた君のこと









    「雁玩館」



祥  * 『冬の祝祭』(初出「玲瓏」) * 19:35 * comments(0) * trackbacks(0)
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