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150首版 銀河活字時代

今日もまた優しい嘘をついている富士の笠雲雨呼んでいる
花と酒、それも津軽の酒がある 太宰治は幸福な死者
絶版の「父の帽子」の中にいる父鴎外と森家の人々
二本木行きバス終点のバス停の馬小屋の馬、留守番の馬
こうもりが薄暮の空を飛んでいるまだ帰らない子供を待って
夜行性みみずく一羽起きてきて日々の軽さに爪たてている
物語(レシ)と呼ぶにふさわしい一生もあり母たちの世代
畑にも庭にも雨が降っている蓮池に咲く花にも降るよ
通夜の客若い日の名で呼びあって遥か昔の物語する
祈りにも似た暮しなどに憧れるこの春ゆえの軽い変調
もう死んだ気になっているのか夏の蝶 幾何学模様の中に眠って
突然に視界展けて富士がある木のトンネルを抜けて行ったら
縁側に出て村を見る富士を見る南アルプス邑の朝焼け
富士よりも高く住むような村に来て無住の寺で聴く蝉しぐれ
閑雅なるよきものなんてこの世には存在しないものかもしれない
ブラインド越しに見ている街の空、赤い屋根から濡れはじめている
少しだけ暗いところが好きだった陽あたる丘に住んでいたから
向かいあい一人は絵地図一人は歌のようなものなど書いている午後
煙突の見える場所から描いている五歳の地図の空の拡がり
国分寺の家に行ったら咲いているえごの花びらもう泥だらけ
雨降れば傘さしてみる萼あじさい去年と同じ色に咲いてる
降る雨のように触れられないならばいっそ何にも無いほうがいい
まだ見えない雨を感じているような雨の匂いのする日曜日
鬱々と鬱を重ねてゆくばかり生気失せゆく今日鴎外忌
難破した船から救い出すように絶版の書の数冊を購う
わけもなく今日は心が軽くなり九月初めの雨に濡れている
負へ負へと退却していた私の兵隊たちを呼び戻している
ひまわりに似た花が咲く夏の朝それも晩夏の雨上りの朝
国分寺の家の樹に似て太い幹蝉がとまっている夏の闇
窓際に誰かが忘れていった本 風が読んでる「梁塵秘抄」
私も月の小舟を一人漕ぐ「梁塵秘抄」の桂男のように
生きて逢う最後の夏を見るように積乱雲をあなたは見ていた
今そこを風が通っていったのは きっと精霊になったあなただ
「ジェラス・ガイ」レノンの口笛聴いている雨だれを聞くこともないから
ざわざわと樹を揺する風 起きなさい目覚めなさいと樹を揺らす風
素裸で立っている樹が美しい何にも飾ってない樹が好き
言ってみればこの雨のひとしずくのようなものかもしれない私は
太陽が暗くなるまで炉を燃やす ほろりほろりと人が死ぬまで
三鷹にも雨は降るかもみぞれかも 春の雪降る禅林寺かも
この星に少し後先になって生まれてもしかしたら出逢えて
「問題は数学ですね。」今回は私は母として聞いている
放心をしているような午后の空、春のプールに揺れている影
青谷を降りれば海星女子学院、聖母子像も遥かなる街
春早き神戸の街の花吹雪今年の桜見ずに終りぬ
昨日来て今日帰りゆくような旅 親しみ薄き街になりゆく
この駅は久坂葉子の死んだ駅、阪急六甲通過している
もう一度風に逢うため私も一つの風となるための旅
距離感が私を誘う 水流は風を含むと中国の詩に
雨の日の雨のプールを見ている日 降りたくて降る雨なのだろう
通いあう心もたない私と線路向こうの昼鳴く鶏と
満月の夜の花散る無人駅、銀河鉄道停車する駅
郵便はまだ来ていないかもしれない春の便りは少し遅れて
見知らない街には見知らない人が、昔のあなたに似ている人が
逆瀬川、仁川、夙川、芦屋川、流れる水に花を浮かべて
地球ではいつも何処かでジェノサイド夜も目覚めて耳立てる犬
私の生まれた冬のサモワールかなしみならば沸かせるだろう
太陽は西に沈んでゆくときに少しみんなを幸福にする
電車からまだ見えていた赤い屋根、雑木林の古いあの家
石積みの一つ一つの均衡と石の一つの忍耐力と
降りかかる雪はいつでも美しい とりわけろくでなしの死に顔
傾いて立つ樹のように傾いて風の手紙を待っているだけ
絶望の他に何にもないのならその絶望を食べていなさい
それは怠惰のせいというのでもなく多分生まれつきの他なく
積載量オーバー許容量オーバー風に吹かれていたかったのに
雛人形飾って納う武者人形飾って納ういつまでの花明り
少し寒く少し疲れた。夏が来ても眠っていたい木の陰の蛇
物置に蛇のぬけがらいたちの巣迷宮の入口というわけではないが
燃える街、暖炉に落ちた焼夷弾 母の記憶の中のその夏
ふりむけばいつでもそこに街角に、海があったが夢かもしれない
あじさいの花の下にはかたつむり 雨降る午後の物思いして
健康で生きていること死なぬこと『辛酸佳境に入る』に至らず
初めから根こそぎだった草だから 不在は誰のせいでもなくて
「あきらかに産湯を出ない一生」と占いに凝る親戚の人
しなければよかったことの一つ二つ生まれたことに比べれば何も
明日きみが死んだら信じてあげるその嘘の幼さ
雨雲は東へ去ると伝えくるさらに深まりくる欝らしき
あの人を嫌いにならないでおこう雨の日はラフマニノフを聴きながら
国分寺崖線に立つ古家は嵐吹くたび傾いでいった
木陰から木陰へ続く小径より栗のいが踏み上る石段
栗の木の栗落ちる音えごの木の実の雨だれに似て風に鳴る音
くぬぎの実ならの実しいの実けやきの実かしの実も落ちよ風の連弾
どんぐりが帽子被って落ちているゆうべ風が吹いたらしくて
夕暮になれば富士山影になり石段降りる猫も影になり
老館主右脚少し曳きながら閉館の日のロビーを歩く
夕暮の富士シルエットになってゆく想い出だけで生きてみようか
海亀を見においでって言われた日 まだ観音寺にいた頃のこと
海亀は漁協の樽に入っていた お酒をのませて海に帰した
その町に昔私は住んでいた浦島太郎の村の子のように
千年もその前からも住んでいたその頃の人もまだいるような
伝説の岩 女が身を投げてその血に染まった海の赤岩
恩寵のように澄んだ青空 美しい冬です風邪をひかないように
お気遣いは無用 微かな苛立ちといつも同じ軽い憂鬱
睡蓮と蓮の違いを誰かが言う眠く気怠く美術館の茶房
ひとすくい匙で掬ってごらんなさい焦げる匂いがする 胃袋で
どの草もみんな同じ倒れ方 倒され方も似てくるものね
東洋の辺境に棲む水澄まし 波紋までもが愛らしいんだね
Ir・GaGa 水を私にと祈る シュメール文字が巨石に残る
夢を見た出血多量の紅雀 しばらくは眠れそうもない
御誂え向きにぼろぼろではあるがなかなか着心地のよい隠れ蓑
美しく時は過ぎたと思うべし切断の後動く虫けら
「お母さん かたつむりって貝なんだよ」 六月の雨、雨の降る庭
風ならば初夏の小径を吹いていた 古井戸一つ隠す草むら
美しい楽しいことはもうないと街の隠者のように棲む蟇(ひき)
行く航路(みち)を見つけたのかもしれないね 船の舳先に灯りが見える
そこだけに風が流れている気配 河口に近い海を見ている
流されて来のは一つの舟であり 櫂と櫓もない小舟であった
風になる! ある日突然そう思う 地球を焼いてくる炎が思う
一生には悲しい日々が何度かある 流れるように飛ぶ鳥を見た
玉葱の芯には何もないゆえにあるがままなる炉辺の幸福
魂の古巣のような背表紙の金文字指でたどる図書室
《午前晴、正午浅草、夜小雨》、晩年に降る荷風の小雨
雨が降る とても静かに雨が降る 眠りなさいと夜を降る雨
〈一つ星てんとう虫は毒がある〉夕暮来ればその名も消える
〈二つ星てんとう虫も毒がある〉七星てんとう虫の幸福
私の中にあなたが生まれた日 風が生まれた 風は旅人
街に降る雨は車の音で知る 夜降る雨は夜の音して
簡潔な主題のための四楽章、第三楽章からの憂欝
今閉じた人の心をノックする 春一番と飛ばれる風が
ほんとうはあなたに告げたかったこと 銀河最終便で届ける
〈淡々とこのかなしみに堪えること〉イエティの棲むネパールの空
暁の共同墓地のモーツァルト 無邪気な鳥は撃たれやすくて
もがいたら羽撃いたなら逃げられる? 天国までは遠すぎるけれど
君がまだ歌わない歌があって 天の飼い葉を食んでいるところ
私は桜の花が嫌いだと誰かが歌う 低き声にて
内側から溶かしていこう 軟弱な僕らは戦争には行かない
その朝、夏降る雪のように降る 暗き窓辺のえごの木の花
夢に降る えごの真白い花びらが 午後燦々と陽の照る中を
アイオロス! 風の支配者ならば訊く ここ吹く風はどこへ行くのか
焼きはらう野はまだあるか 薙ぎはらう百合のようなる心はあるか
鞠を蹴り鞠に遊んだ大納言 蹴鞠に倦きて死にたるという
一生は長すぎたのかも知れないね 千日ならば愉しかりしを
一枚の紙片が炎になる炉心 その炎から飛び立つ小鳥
もう一度風のささやき楡は聴く 北の斜面の雪消えるころ
一枚の絵皿を私は持っています 〈実朝出帆〉と名付けています
形式が絶対であるわけはない ところで太陽系はどうする
距 離(ディスタンス)とっても大事と思うんだ 誰にも近づきすぎてはいけない
アメフラシ、雨を降らせて下さいな 答えがどこにも見つからないよ
何もかもご存じだったのですね 手を貸して下さればよかったのに
《世の中は鏡に映る影にあれや》 夢と思えば生きてもゆける
《アカルサハ、ホロビノ姿》 見苦しく張り裂けてゆく殿様蛙
精神的外傷なんてなんでもない もうすぐ木っ端微塵になるよ
死には死のスピードがある 壁掛が織り上るまで待っていられない
太陽が眩しいのならだるいなら オブローモフのようにおやすみ
素裸で投げ出されている点と線 サム・フランシスのように無防備
目を瞠るような奴だよともかくも ひとりぼっちで来る死神は
大事だと思ったものが石ころで おかげでとっても平穏な日々
勾玉は胎児の形 月満ちて生まれるまでの幼い星か
ラクリモサ ただ簡潔であることと ああこんなにも少ない音符
あの頃の私は「現実」にまだ平手打ちされたくらいの若さ
少し熟れ傷ついている果物が百一歳の遊亀さんのマンゴー

祥  * 『ダイジェスト版』   * 19:59 * comments(0) * trackbacks(0)

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