銀河最終便
WEB日記

絶望の表れとして天皇が時々現れまた消えてゆく                 
園遊会での手紙手渡し事件で思いだす歌。

天皇が原発をやめよと言い給う日を思いおり思いて恥じぬ /吉川宏志


絶対の権威の象徴であり、
また、保護すべき赤子の象徴のようでもある天皇なるもの。
もちろん戦争中は侵略された国にとっては侵略者の象徴であった。
その実体は、昔も今も、霞たなびく雲居の中。

敗戦の時、ある働きをして、今はまた霞の中。
大いなる「虚」であり「空」であることだけが、
実存する方法でもある、或る御一家。

国民が自身で解決すべき問題であると知りながら、
その虚なるものに頼ろうとする心は何なのだろう。
神でも仏でも父でもない存在を、
あたかもそのような究極の請願の対象にする心とは、
そのような心が、DNAの中に潜んでいるなら、
それはいったい何なのだろう。

つい思ってしまい、
思ってしまったことを恥ずかしく思う、
この歌のように、まだ私たちの心には、  
そのような、潜在的に天皇を父と思うような心が、居続けているのだろうか。
いるのだろう。
それは仕方のないこととして、
機能不全の国会に絶望し、無理な期待を寄せるのも、
不敬と咎め崇め奉ろうとするのも同じことに思える。

畏れおおくもなどと言いだし与野党が色めき立つほどのことでもないと思うが



国会で議論し、国民に向かって語りかけるべき国会議員が、
なぜ、政治的に無色透明中立を余儀なくされている天皇に手紙を手渡したのだろう。

国会も、国民も、聞く耳を持たないからなのだろう。
誰ももう、原発の問題にも、被曝の問題にも、
本気で関心を持とうとしないからだろう。

それで、聡明な天皇・皇后両陛下に、
聞いてもらいたいと思ったということだろう。
どうしようもない相手に、話しかけ、手紙を渡したからといって、
どうなるわけでもないのに。

国会議員は、国会で力を尽くすべきであり、
有権者に語りかけるべきであり、
そうなのだが、多分、石のように見えたのだろう。
賽の河原に石を積むように、無反応で、積んでも積んでも崩れて、
おそらく、山本議員には、ある意味、
御地蔵様か仏様のような存在にでも見えたのだろう。
天皇・皇后両陛下が。
正に両刃の剣というわけで。

(今も昔も日本は、思考停止の日本であることに変りはない。
自分では何も出来ない絶対多数。
権力・権威に弱い絶対多数。
自分で考える前に無意識に服従する。
大きな力を拒否することも、
大きな力に主体的になりうることもない。

「みんな」の意志となるまで遠巻きに見ているだけ。
「みんな」という名の空気が充満するまで待っているだけ。
戦争も原発も受け容れ、
戦争も原発も忘れ、
経済に邁進する。)

国会では、秘密保護法案が審議され、
圧倒的多数を誇る与党によって可決されようという時、
慎重で冷静な審議を求める側が、
失点を数えられ、飛んで火に入る夏の虫になるのは、
自重しなければならない時なのに。
戦略の無い野党に輪をかけるだけ。
やむにやまれぬ気持ちも、時期と方法を間違えば、
かえって与党を利するだけになり、焦点をぼかされ、
軍国主義まっしぐらの危険な重要法案の可決を早めるだけ
になるというのに。



ところで、もし、
天皇が、一人の人間としての意見を、述べることができたら、
果たしてどんな言葉を発するのだろう。
天皇という、人体的には普通の人間でありながら、
ほぼ100%、非人間的な存在として、
普通の人間ではないように振る舞い、
自分を律しなければならない立場を棄て、
人間としてだけの立脚点からしたら、である。
天皇が天皇でなかったら、という意味の無い仮定であり、
永遠に実現しそうもない仮定ではあるが。

ごく当たり前の言葉を、
ごく当たり前に発することができない。
天皇も、普通の人も。
結果的に同じだとしたら、
これは如何なるマジックなんだろう。
国が統御する方向へしか進めないとしたら、
いったいどういう仕掛けで動く、
操り人形になっているのだろう。
天皇も一般人である絶対多数も。

形態は違っているようでも、
あの戦争の時もそうだったのだろうか。
どんな意志が働いて、人々は口を閉ざされ、
一方向へ一方向へと導かれて行ったのだろう。
どんな仕掛けが働いて、
もう止められない流れとなり、
その流れの中へ身を投じて行ったのだろう。
そんな流れが、また渦巻始めている今、
どうしたら、その流れを止めることができるのだろう。


: 『短歌について』 : comments(2) : trackbacks(0) : posted by 風間祥  :
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未だに、ずるい考えを持っている日本のトップ、信長、秀吉、家康、明治、大正、昭和、平成もか?そもそも、任命に天皇をと言うことじたい、私は天皇に了解を得て代行していると言っているように思える責任の無さ、選挙で選ばれたといっても、総理大臣は、政党の長、信長と同じ立場、国民に直接選ばれたわけでもなく、このままでは、戦前の二の舞、いや、全く責任を取る政治にはならないのだろう。最近の止めた元総理の面々の無責任と思えるような言動からしてもそう思えます。
posted by 夕夏 : 2013/11/02 5:48 AM :
ほんとうに摩訶不思議な形態ですね。
その摩訶不思議さに狡さが集約されている。
麗々しく祀り上げれば祀り上げるほど、
神輿を担いだ僧兵のように、
代行権者の権力は増す。
民主主義を標榜しながら、
後光を求める。
一方も虚に徹し、空に徹するほど、
無力とは、無限の権力構造の象徴でもある。

そもそも人間が平等であるべきという人類としての大原則など、
全く無視されている。
頂点と下辺。身分、ピラミッド構造の認証。
国民は、主権者であるとされながら、
臣下の礼を尽くす臣民の立場。
帝と臣民、王と奴隷の潜在的精神構造。

曖昧な象徴天皇制を利用して、権力者、権力機関こそが、
国民を従属させ、声を出せない存在にしようとしている。

象徴天皇制とは何か。
本質が問われている。
posted by 祥 : 2013/11/02 9:03 AM :
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