<< NHKは安倍政権の広報を以て任じているのかヤッテル感の協力ばかり | main | ミサイルを購うお金はあっても社会保障費に充てるお金はない政府 >>

「ゆるキャラにはなるな」と大林宜彦監督、最後の講義。/NHK BSプレミアム

フィロソフィーを持って生きる。

自分が知っている過去のことを伝え、

戦争の狂気に、

正気を以て、対峙しなければならない。

表現することで、

未来へと伝えて行く映画。

今理解されるようなものではなく、

死後100年後に理解される映画を作り、

伝えること。

「私のゲルニカ」を。

 

 

忘れているね。

私たち。

フィロソフィーどころか、

何もかも、無くなり、

何もかも、滅茶苦茶になった時代。

 

でも、だからこそ、

大林監督は、映画について若者に熱く語るのだ。

「僕が此処にいる意味。」

つまりは、全ての人にとっての

自己の生きる意味だ。

 

そんなことを笑い飛ばして、
ただアカルク生きることの虚しさ。
ハッピーエンドなんてないんだよ、と、

(人の一生涯単位で言えば)
監督は言う。
それでも生きる。

それでも表現し続ける。

 

映画の尊厳と力を信じて、

映像で語り続ける。

未来につなぐため。

 

余命3カ月と宣告され、

80歳になる大林監督が語る。

この危険な時代に在って、

今を生きる若者に。

 

小津映画の中に描かれる戦争。

日常的で平凡な生活に描かれた戦争について。

黒沢監督の遺言について。

監督から監督へ、また次の監督へ、

(観客から観客へ、また次の観客へと、)

つなぎ続けて、たとえ何百年かかってもと、

信じ続ける映画の力。

(映画という媒体の形は変わったとしても。)

 

権力の壊せないもの。
知性の力。
フィロソフィー。
表現。

今は、完全に潰えたように見えるが、

地中に深く根を下ろし汲み上げる水の力。

 

素晴らしい授業だった。

『時をかける少女』という映画があったが、

監督の脳は、いつでも、

時を駆け続ける。

これからもずっと時を超えて駆け続けるのだろう。

 

たとえ空しい夢であれ、

一人の人が信じ、誰かに僅かでも、

一時でも一瞬でも届けば、
あの広島で死んだ人の命が、
青い燐の炎になって浮かんだように、
無い、わけではないのだ。
確かに在って、見える人には見え、
鮮やかに命の灯の在り処を証すのだ。

 

そう信じているような、

一人の映画作家の最終講義だった。

 

風間祥  * 『時事』 * 15:38 * comments(0) * trackbacks(0)

コメント

コメントする









トラックバック

このページの先頭へ