岩合さんの猫のテレビを視ています。毎日視ている。毎日楽しい。

白い猫、

茶色い猫、

白黒の猫。

 

世界ネコ歩き。

 

猫識もあるよ。

 

子猫の登場。

白茶の三兄弟。

 

チチカカ湖。

段々畑の白い花、紫の花。

ジャガイモに花。

 

ここはペルーの村だから

機織り機ぶが糸車、

織物をするお婆さん。

邪魔をしている茶色の子猫。

 

遊んでいた子猫がいきなり寝てしまう。

仰向けになりそのまんま。

兄弟の猫でお休みなさい。

 

 

風間祥  * 『日記』 * 12:51 * - * -

辻邦生さんと水村美苗さんの『手紙、栞を添えて』の中の一節

水村美苗

「外国語で本を読むということの意味━━。

それを理解したのは、日本に戻り、

見渡す限りが日本語にうめつくされた中に

身をおいた時です。

日本語以外の言葉に接するということが、

いかに精神を癒してくれるか。

中略

かならずしも外国語である必要はない。

今ここに流通する言葉との距離さえあればいい。

古典でもいい(事実、荷風は江戸の人情本は読み続けている)。

もっとも根源的には、孤立した人間の言葉ならいいのです。

一九九七年一月十二日

 

 

辻邦生

「こうした言葉の氾濫は、

その中にいると、まったく感じられない。

その暴力性も、閉塞性も、一度日本の外に出てみると、

はじめて、目も口もふさがれ、

一億一心で同じことを言っていたのだと気づきます。

中略

一人で考え、感じていたと思っていても、

それは、集合的な日本人の心性・習性を

ただなぞっていたにすぎなかった━━

そう思ったとき、そのマユのようなものは

飛び散りました。」

一九九七年一月十九日

風間祥  * 『時事』 * 12:49 * - * -

新 花へんろ 〜風の昭和日記〜その一・その二、その三・その四 / BSプレミアムカフェ

今回は、新 花へんろ(1997年)

語りは、小沢昭一

スタジオキャスター 渡辺あゆみ

 

配役には、

西島秀俊

橋爪 功

佐藤友美

羽野晶紀

渡辺いっけい

塩見三省

國村隼

烏丸せつ子

などが加わる。

中江有里さんも

女優として参加している。

 

沢村貞子さんや、中条静夫さんや渥美清さんが、

この時までに亡くなられて、

語り手や配役に交代があったということだ。

 

 

桃井かおりさんの夫役も、

河原崎長一郎さんから

伊武雅人さんに代わっている。

 

早坂暁さんは、

東大医学部を蹴って、

日大芸術学部へ行って、

映画や脚本の世界へ入っていったわけだけど、

意志が強いね。

桃井かおりさんが演っている、

早坂さんのお母さんの子どもへの

理解の仕方が素敵だね。

 

そういえば、

10歳までは育たないと周囲に言われ、

4歳までは脚が立たなかった早坂さん。

その子を乳母車に乗せて、

お四国、八十八か所の旅に出て、

ただ一人成長を祈念し育てた母である人が、
わが子が従軍する時に、
生涯にただ一句詠んだ句。

 

・十五吾子の頬のごとくや春の月 

 

 

戦争が終わって、

海辺の町にも

何かしらの変化が。

 

戦前篇の方が、

花へんろ らしいんじゃないかな。

ずっと印象に残っていたのは

戦前篇。

戦後編は視ていない。

あったことも知らなかった。

今回の戦前篇を総集編で見せるというのは、

かなり風情が損なわれた。

じっくりと全部を、

いつか見せてもらいたい。

 

今回、総集編で流しているのは、
要するに、

新しく制作した『花へんろ特別編 春子の人形』

(8月4日、土曜日放送   出演 坂東龍太、芦田愛奈、)

のための番宣なんだろうな。

風間祥  * 『映画・演劇(宝塚)・TV・コンサート』 * 09:34 * - * -

花へんろ NHK BSプレミアム を視た 桑原研郎さんの音楽がいいなぁ

四国の、瀬戸内の海の穏やかさ。

あくまでも優しい海と海辺の町をめぐる遍路道。

 

遍路道に面して、

商店が連なり、

早坂暁さんの生家である富屋勧商場があった。

 

このドラマ、

今見ると、吃驚することばかり。

何と、このドラマには、

「 後ろ姿の しぐれてゆくか 」 の、

種田山頭火が、登場する。

 

 

若い頃の、桃井かおりは、

早坂さんの母親の役。

 

懐かしい顔、顔、顔。

中條静夫、沢村貞子、藤村志保、

下條正巳、加藤治子や樹木希林、

市原悦子、小林亜星、磯野洋子

語りは渥美清だ。

 

それにしても、早坂暁さんを含めて、

大半の人が、彼岸へ行ってしまった。

 

広島、原爆、人が燃える時の青い燐の炎。

そのような特別な死に方ではないが、

みんないつかは、残らず死ぬ。

俳優さんも、それを視ている私たちも。

 

それも、あまり遠くない いつの日か。

 

風間祥  * 『映画・演劇(宝塚)・TV・コンサート』 * 22:51 * - * -

原発を推進、輸出する政府保証の不良債権。

日立英原発、即時中止なら損失は最大約2700億円に

 日立製作所は、英国での原発計画をめぐり、現時点で中止すれば最大約2700億円の損失が生じるとの見通しを示した。着工の可否は来年中に判断する。着工への手続きや調査にも費用がかかり、中止決定が遅くなれば、損失はさらにふくらむとみられる。(朝日新聞デジタル)

[続きを読む]

 

 

これって、政府保証をつけて契約したんだよね。

(総事業費3兆円のうち、2兆2千億円)

国民の税金を無駄遣いする政府が。

まだ改めない時代遅れの考えて。

 

愚かな政府が、打出の小槌のように思っている税金。
国民負担は、安倍さんや経産省の懐には関係ないからね。

売れも儲かりもしない原発にしがみついて、

債務を膨らます。

東芝の失敗を見ながら、まだ覚めない。

計画が失敗した時は、

莫大な損失を肩代わりしようという

気の狂った日英の施政者軍団。

 

 

こんな愚かな政府のために、

年々歳々、降り積もる債務を、

国民がずっと支払い続けなければならないんだろうか。

馬鹿な政府のために。

 

この原発のことに限らず、

安倍さんが、ばら撒きドブに捨てた金額は

どれくらいあるのだろう。

ヤッテル感のために、外遊を繰り返し、

しかも夫婦そろって飛行機を使い、宿泊代を使い。

経済人を引き連れて、大名旅行をした上に、

債務を膨らませたのでは、

何のために行っているのかわからない。

 

 

馬鹿な政府に投票した国民だけで支払えばいいのに。

そういう方法も選択の時にあればいいのにね。

 

陸上イージス、1基1340億円…2基導入へ

7/30(月) 13:56配信

読売新聞

 小野寺防衛相は30日、2023年度の運用開始を目指す地上配備型迎撃システム「イージスアショア」に、米ロッキード・マーチン社製の最新鋭レーダー「LMSSR」を搭載すると発表した。LMSSRを搭載すると、イージスアショア1基(本体)は1340億円となる。防衛省は2基を導入する計画だ。

 イージスアショアは、イージス艦のミサイル防衛機能に特化した陸上型施設。LMSSRの探知距離は1000キロ・メートルを大きく上回り、海上自衛隊イージス艦搭載のレーダー「SPY1」と比べると、探知距離は2倍以上になる。配備候補地の秋田、山口両県から朝鮮半島全域を常時監視できる。

 導入費は施設整備費などを含め、最終的に4000億円以上になる見通しだ。搭載する新型迎撃ミサイルの取得費用を含めると、費用はさらに膨らむ可能性がある。

 

 

 

今日は、こんな記事も。

 

全く、次から次へと。

役にも立たない防衛機器を、

アメリカの註文通り買わされ、

巨大軍事産業が暴利を貪るのに貢献するだけで、

財政状況の悪化を、

国民の社会保障費が増えるせいにする。

 

国民皆保険制度の維持も危ぶまれているというが、

その恫喝の声は聞こえても、

ミサイルやイージス・アショア、

イージス艦、戦闘機、オスプレイと、

次々と購入するそれらの経費を

底無しに注ぎ込むことについては、

少しもためらうようでもないし、

何一つ危ぶむ声も聞こえない。

 

 

ところで、

こんな政府に対して、

なんでみんな怒らないの?

なんでみんな寛大なの?

 

税金を無駄遣いされても怒らないのはなぜ?

愛国教育で洗脳されているの?

 

 

防衛費なんてものにお金を使わず、

もう一度、原点に戻ったら?

素朴に必要なものを、等身大で考えたら?

 

今でも繁栄する経済大国の一つでもあるけれど、

国土の広さでも資源でも、

日本は、基本的に貧しい国だよ。

 

そういう意味では、

極東の小国であり、

原発でぐるぐる巻きの上に、

自然災害も頻発する、

戦争になったらひとたまりもない、

大陸の防波堤の一部のような孤島だよ。

 

外国の協力がなければ、

自給自足さえできないんだよ。

 

山も畑も海も荒らして、

生きてもいけないんだよ。

 

自分たちの口を充たす食料さえなく、

それなのに、種を売り、水を売り、

最後には、命までも売ろうというの?

 

武器で装備したつもりで、

敵の敵の敵、そのまた敵の敵の敵になるの?

 

だからこそ、

アメリカに気に入られる必要があり、

世界中から富を奪う手伝いをする必要があるというの?

 

ミニアメリカになって、

ミニミリタリー国家になって。

お下がりと払い下げで、

ギブミーチョコレートと、

アメリカ兵のジープに駆け寄った時代と、

対象が変わっただけなんだろうか。

 

風間祥  * 『時事』 * 13:49 * - * -

BS朝日 テイバン・タイムズ 「都会で過ごすひと味ちがう夏休み」

番組では、下町ガイドツァーで

omoレンジャーが大塚を歩いている。

極上スイーツや、

揚げたての天婦羅をその場で。

 

 

人生を楽しく過ごすなら、

下町に住むのが一番だな。

 

気取った山の手の住宅街なんて、

何にも無い。

お店もなければ、

人っ気もなく、

静まりかえっている。

ゴーストタウンも同じ。

 

美味しいお店が一杯あって、

物が安くて、

工夫と人情に溢れた下町が一番いい。

 

 

このあと番組は、横浜へ。

六つ脚アルマジロの安心して仰向けになった放恣な寝姿。

オニオオハシのカラフルさ。

陸亀。

 

アニマルガーデンも、ある意味、避暑スポットなんですね。

如何にも涼し気な水族館に限らず。

 

 

風間祥  * 『映画・演劇(宝塚)・TV・コンサート』 * 11:27 * - * -

オペラ『秋のソナタ』第二幕に入る 映画のイングリットバーグマン母娘にもまして激しく

小説や映画では、よくあるけれど、

オペラでは、あまり見たことがない。

こういう愛と憎しみ、才能溢れた人の

親子の確執自体は、ギリシャ悲劇以来、

古典的なコンプレックス劇でもあるけれど。

 

 

「人生を生きていない。

生まれてさえいない。

 

音楽を通してしか

私は感情を表現することすらできなかった。

 

そもそも私は生きて来たのかしら」

 

 

 

NHKBS プレイミアムシアター 歌劇「秋のソナタ」

ベルイマン監督特集より   

フィンランド国立歌劇場

 

 

映画祭もやってるよ。

恵比寿ガーデン

《ベルイマン 生誕100周年映画祭》

 

夏の遊び/野いちご/魔法陣/仮面/ペルソナ

/ファニーとアレクサンデル/夏の夜は三たび微笑む

/処女の泉/鏡の中にある如く/冬の光/沈黙/

叫びとささやき/秋のソナタ/第七の封印

 

風間祥  * 『映画・演劇(宝塚)・TV・コンサート』 * 01:37 * - * -

死神のような竹中平蔵や安倍総理にはお気に入りの働かせ方改革

もちろん後ろから糸を引いているのは経団連。

労働者の生き血を吸って生き延びるのだろう。

 

デモをする学生も、ストをする労働組合もいなくなって、

お気楽な施政者。

 

知らぬ存ぜぬ、勝手に騒げと言っていれば、

世の中は回っていくのだ。

風間祥  * 『時事』 * 15:33 * - * -

まとめて再掲。金井美恵子さんの短歌批判と歌壇の反応に関して書いた「銀河最終便」内過去記事

ご参照ください。

内野光子さんのブログ

〇自浄能力を失った歌壇か―「腰が引ける」とは(2018年3月9日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/

 

以前、書いた文章ですが、

早稲田文学春号デビュー50周年特集号『金井美恵子なんか怖くない』

(2018.3 発行)を読んだので、

金井美恵子さんの当時の短歌界への指摘を読んだ時の、

当時の感想など、まとめて再掲しておきます。

金井美恵子 早稲田文学3月号

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

///////////////////////////////////////////////////

今さらもう何を言っても詮ないとすべてを諦めてゆくよ折節

大きな社会も小さな社会も社会はみんな同じで
短歌界なんてところも同じ仕組みで。

金井美恵子さんの指摘も、この世界には届かない。
そよりとも風も吹かない。
一木一草動かず、すべて世はことも無し。
本尊は安泰で、門弟三千人の世界は微動ともしない。
そのことを憂う人はいない。

何があっても権威は安泰、何があっても大樹の陰と 今日の日暮れはことに悲しく

金井美恵子さんが指摘した問題も、
この何とも言えない空気も、
権威の壁の厚さ、
誰も抵抗しない、
抵抗できない壁の厚さ。
なぜなら、全体が壁だから。

穂村弘さんの明晰さに救いを感じる 『短歌研究』座談会での、金井さんの指摘に対する発言

「短歌研究」2013年『短歌年鑑』の座談会
(佐佐木幸綱、島田修三、栗木京子、小島ゆかり、穂村弘)で、
金井美恵子さんの文章に触れている部分を読んだ。

穂村さんの、本質を衝 いた発言がある。
他の歌人は、 問題の周辺をうろついている。
中には、全く解っていない発言者もいる。
発言の無い歌人もいる。

栗木 「結局、第二芸術論のときの発言と変わらない。
島田 「もうちょっとひどいんだ。金井さんが言っているのは。
もう一つ、歌人の書く散文や批評の質が低いと言っている。
その質の低さというのが、また感心しないものを引用しているんだけれども、
要するに閉じた言語空間の中でお互いにヨイショしあっているんだろうと、
こういう批判をするわけです。
お互いだけが理解し合える世界の言葉でしか語っていないんじゃないの

というのが金井さんの論理。

いいものを見ていないんだ、あの人、全然。」
・・・中略・・・
穂村 「でも、他に本当にいい歌があるということで反論になるのかなぁ

という気もするんですよね。
短歌を解毒するという言い方とか、

何か僕は衝いているような気がしていて。
普通に言うと「風流夢譚」のほうがずっと毒に見えるんだけど、

だけどそうじゃない、
短歌の、ある言語空間のほうが毒なんだという。

これは直観的に当たっているような気がしますね。」
島田 「毒にも薬にもならないと言っているわけ。」
穂村 「それこそが実は毒だということなんだけど、

お茶とかお花とかだったら、先生がいて、
流派があって、段とか級みたいなものに、

師範のお免状があったり、はっきりしていますよね。
でも短歌は微妙に流派があるといえばあるけど、

そこまではっきりあるわけじゃないし、
段や級があるわけじゃないけど、欄によって、

偉い欄や、ちょっと初心者の欄があるみたいな。」
島田 「阿吽の何かね。」
穂村 「その共同体と表現との微妙な関係のすべてが

気持ち悪いと言えば気持ち悪いわけです。
また、これまでは結社と皇室のパラレルな感じとか

相似形として漠然と感じられていたところが、
たとえば永田家は歌の家という形で、

今回はっきり可視化されたところがあって、

金井さんはそこを意識したんだろうと思います。」

 

このほかにも、栗木京子さんの、
「ただ、たとえば岡井隆さんの『わが告白』とか、

それから河野裕子さん、永田和宏さんのエッセイ集が出たときに、

ご本人はそんなつもりはないんだけれども、

出版社側が、夫婦そろって歌会始選者であるとか、

岡井隆さんが御用掛であると広告とか帯に書くじゃないですか。

それがやはり私は問題ではないかと思っていますね。

短歌を知らない一般の人にエッセイ集を読んでもらおうとして

皇室を表に出さざるをえない。そこに金井さんは違和感を憶えたのでしょう。」

というような発言もあるが、
「ご本人はそんなつもりはないんだけれども」って、
ではご本人は、どんなつもりなのか、
どんなつもりもないというのだろうか。
栗木さんもお解りのように、
金井さんでなくても、違和感を感じるのが当たり前なのだ。

風間祥  * 『短歌について』 * 23:50 * comments(0) * trackbacks(0)

2、再び、金井美恵子さんの文章と歌人の反応の不思議さ

論考 たとへば(君)、あるいは、告白、だから、というか、なので、『風流夢譚』で短歌を解毒する  
                           金井美恵子
     『KAWADE 道の手帖』  p76 〜p93  全18ページ。


どう読んでも、金井美恵子さんの文章は、至極尤もな文章で、
この論考のどこが、歌人の誰彼を怒らせているのかわからない。

述べられているのは、まったくその通り、
としか言いようのない事実だけである。
荒唐無稽な想像でも作られた戯画でもない。

本来なら、短歌の世界の内部から出て然るべき批判が、
歌壇外に追放されたくなく、仲間を失いたくない歌人に代わって、
ジャンル外の金井さんによって語られただけであって、
感謝をもって迎えるべき批判だ。

自浄作用が無いことを恥じることはあっても、
怒ったりなど考えることも出来ない。

岡井さんの原発に対する意見や、論旨、
引用されている、日経誌上に発表し、
著書『わが告白』にも書いた認識違いの数々の文章、
告白とは名ばかりの「自慢話」
皇室の威光を中心とし一族郎党相伴って短歌下僕を侍らせる
ピラミッド的ヒエラルキーの肯定。
蔑まれても仕方がないとしか言えない。

同じく、夫妻で歌会始選者を務め、
死に至る経過の一部始終を、紙媒体やTVで近接撮影・放映を
許可した永田一家の在り方。
「現象」と表現した皇后。
国民大衆と皇室と歌人の関係。

歌人が、歌会始選者であり皇室御用掛であり「未来」代表であり
有力で高名な弟子を数多く抱える岡井氏を慮り、
同じく生前歌会始選者を夫妻で務め、
人気結社「塔」の主宰である永田夫妻を慮って、
「未来」や「塔を」敵に回し、歌壇を敵に回す勇気のない歌人たちが
誰も口に出来なかった批判を、
というより、違和にさえ感じなかった感覚麻痺の歌人たちに代わって、
作家であり詩人である金井さんが、発しただけのこと。

当然出されていい疑問、当然問わなければいけない姿勢。
短歌界の中からでも、外からでも、どこからでも。

金井さんは、当たり前のことを言っているだけだ。
それを、短歌に対する蔑視だ嫌悪だと恥ずかしくはないのだろうか。
そんな調子なら、揶揄や嘲笑、蔑視や嫌悪を受けても、
当然の帰結だとも言える。

「揶揄と嘲笑」というが、されるようなことをしているのだ。
短歌界は、自分で自分の姿が見えないようだから、
文学の隣人が鏡を用意してくれただけだと解している。


 

風間祥  * 『短歌について』 * 20:17 * comments(0) * trackbacks(0)

1、大辻隆弘さんの毎日新聞「短歌月評:「短歌否定論」を読んで

 
 
短歌月評:「短歌否定論」=大辻隆弘
毎日新聞 2012年11月19日 東京朝刊
 
作家・詩人の金井美恵子が「たとへば(君)、あるいは、告白、だから、というか、なので、『風流夢譚(むたん)』で短歌を解毒する」(『道の手帖(てちょう)・深沢七郎』)という短歌否定論を発表している。
 
金井はこのなかで、短歌を「大衆に支持される巨大で歴史的な言語空間」として規定し、そこに歌会始を頂点とする天皇制のヒエラルキーを見てとっている。彼女は、岡井隆が皇室に関わり、皇后陛下が河野裕子の歌を愛好されていることをその証拠として挙げる。
 
金井の文章に底流するのは、文壇のなかに今も根強く残る短歌への蔑視である。それは、現代短歌を「和歌」と見なし、それを天皇制と直結させる偏狭で硬直した戦後左翼的な短歌観に他ならない。
 
戦後、短歌は俳句と並び第二芸術論という激しい否定論に曝(さら)された。その背後には、敗戦を機に噴出した日本文化に対するヒステリックな劣等視があった。金井はおそらく、少女期にそのような風潮のなかで短歌と出会ってしまったのだろう。彼女は「<広島がいいね>とトルーマンが言ったので八月六日は原爆記念日」という自作歌を披露してもいるが、このようなものを本当に短歌だと考えているのだとすれば認識が浅すぎる。
 
金井の短歌蔑視の背景には、突き詰めれば、日本語や日本という共同体への深い嫌悪があるのではないか。嫌悪する日本語によって思いを綴(つづ)らざるを得ない、という屈折した自意識は、挿入句の多い難渋な彼女の文章にも滲(にじ)み出ている。が、その鬱憤を短歌に向けられては、たまったものではない。
 
短歌は言語芸術の一ジャンルである。それ以上でも、それ以下でもない。虚心坦懐(きょしんたんかい)でフェアな目が強く希求される。(おおつじ・たかひろ=歌人)
 

 

王国が侮辱され侵害されたといわんばかりの
大辻さんの反応、
驚いた。

 

因みに、金井美恵子さんの文章に関しては、
松村正直さんや、『短歌年鑑』(角川短歌1月号増刊)の中でも、
三枝昴之、川野里子、島田修三さんが、触れている。
 
「短歌に対する執拗なまでの侮蔑と嫌悪感」
(『短歌』9月号「歌壇時評:短歌への嫌悪感」松村正直)とは、
いったいどのようなものなのだろう。
というより、なぜ、そのように、歌人が感じるのか。
非常に興味深い。

「短歌は言語芸術の一ジャンルである。
それ以上でも、それ以下でもない。
虚心坦懐(きょしんたんかい)でフェアな目が強く希求される。」
と、立派なことを書きながら、
「が、その鬱憤を短歌に向けられては、たまったものではない。」
と捉える大辻さんの文も、フェアなものではないと感じる。

何よりも、このような見方は卑怯だということに、
大辻さんは気づいていないのだろうか。
問題はこちら側にあるのではなく、金井さんの資質にあるかのような書き方であって、
短歌自身の問題点には、一切目を向けようとはしていない。

 
「金井の短歌蔑視の背景には、突き詰めれば、
日本語や日本という共同体への深い嫌悪があるのではないか。
嫌悪する日本語によって思いを綴(つづ)らざるを得ない、
という屈折した自意識は、挿入句の多い難渋な彼女の文章
にも滲(にじ)み出ている」

金井さんの「屈折した自意識」が、短歌蔑視の原因だと言いたいのか。
「日本文化に対するヒステリックな劣等視」をする時代に、
「少女期にそのような風潮のなかで短歌と出会ってしまった」ことが、
このような文章を書かせることになった原因だというのか。
全ては、書き手の感性の問題だと。

まるで、日本を批判をしたからと言って、日本が嫌いなら
日本から出て行けという嫌韓・嫌中の人たちと変わらない発想だ。
日本語を独占物のように考えているのだろうか。
いったいなぜ、短歌の在り方を批判したら、
日本を愛していないことになり、日本語を愛していないことになるのだろう。
傲慢な決めつけに過ぎない。



岡井隆氏や河野裕子さん(永田一家)に対する疑問や批判が
禁忌ともなっているかのような短歌界の現状を見る限り、
金井さんの指摘は、別に病的な怨念や
不自然なトラウマによるものとは思えない。

極めてまっとうな批判としか思えない論考について、
あからさまな無視、あるいは全面拒否以外の対応がないとは、
短歌界の閉塞性をそれ自体が裏書きするようだ。

現在の短歌の世界では、岡井隆氏を批判することは、
師事しつながるすべての歌人を敵に回すことに他ならない。

短歌の世界の在り様が、短歌以外の世界から
批判されたからと言って、
短歌への執拗な蔑視だ嫌悪だと言って
全否定するスタンスというのはいったい何だろう。

ただ、心のうたであり、文学であるべき短歌に、
自ら必要以上の綺羅を纏わせようとしたのは誰だ。
いったい誰がそうしたのだ。
誰がことさらに好んで天皇家へ近づき
その権威のもとにかしずくことを選んだのだ。
それでいいのかと問われているのだ。
なぜ誰もみな貝のように口を噤んでいるのかとも。



外からの目線を全て拒否か無視  いつの時代もそのようにして

 

 

風間祥  * 『短歌について』 * 23:31 * - * -

ゴルフ代、飲食代、加計氏と安倍首相の頻回の 斡旋収賄罪は成立しないの?

過去の記事ではあるが、

週刊文春によれば、加計孝太郎氏は、

旅費とか、昭恵夫人のミャンマー関連資金とか、

ミャンマー関連の役員には、
公務員である昭恵夫人付き秘書も名前を掲げられているし、

加計氏は、安倍首相のために年間1億円ぐらい使っていると常々広言してた

ということだったようだれど、1億円というのはオーバーで、

ただ関係の密なることを自慢していたにせよ、

安倍総理のゴルフ代や食事代等で貢献しているのではないかという

あれは根も葉もない噂だけだったのだろうか。

 

安倍首相自身も、事が表面化し、問題化する前は、

加計氏がビッグスポンサーだと言っていたというのに、

その後、それらしいニュースが出ることもなく過ぎている。

 

安倍首相が、獣医学部のことを知った日として、

1月20日を絶対譲らないのも、

義務違反になること恐れるためだとも言われていたのに、

まるで忘れられたように、

二人の「腹心の友」同士の斡旋収賄云々は、

問題になっていないようだ。

 

でも、やはり、変なことは変なことだよね。

鳴沢村の別荘では、斜め向かい同士だし、

肝胆相照らす仲で、長年の近い親類も及ばない付き合いで、

疑惑が発生するのも当然だし、

その詳細の中には、加計氏と二人のこともあれば、

秘書官や議員を伴っての会食やゴルフのこともあり。

 

必ず自分のものは自分持ちだったのかどうか。

首相自身、加計氏が会食費を出すこともある、と言っているが、
14回にも及ぶ会食、その他の費用の詳細はわからない。

 

そんなに頻回にゴルフや食事をしながら、

1月20日まで全く知らなかったなんて不自然なんだから。

全く知らなかったことにしなければならないほど、

金額が大きくて、表に出れば、

大変なことになると

自覚していたからじゃなかったんだろうか。

罪の大きさを知っているのは、

何より誰より、当事者なんだろうから。

風間祥  * 『時事』 * 09:52 * comments(0) * trackbacks(0)
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